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2004/06/04

人を殺すということが、

どんなことか、分かっていないのではないかと、Oさんはいう。ビルマ戦争で、殺し合いの修羅場をくぐってきた人である。接近戦で相手の顔が見えている場面では、どうしても小銃の引き金をひけなかったという。数十人の部隊が、闘い終わってみたら、数人しか生き残れなかった、そんな戦いを何度も経てきた人である。その人が、件の女児が、あんなにあっけらかんと、友達を殺してしまうことにショックを受けている。

この人とは、月に1,2回会ったりもするが、電話でときどき長話をする。昨夜、次に会う段取りをつけようと掛けた電話が、ついついその話になっていった。よほどショックを受けたらしい。インターネットをはじめたばかりだが、ウィルスに取り付かれたり、迷惑メールが来たりして、マイナス面ばかり感じていたところらしい。今度の事件にインターネットのやりとりが絡んでいると聞いて、いっそう気持ちが萎えてきたようだ。

飯沢耕太郎の話題の新刊「眼から眼へ」(みすず書房)で賞賛されているユニークな写真家O(小野憲一)さんに、HPをつくりましょう、そしてOさんの写真をみんなに見てもらいましょうと、私はもちかけている。パソコンとデジタル写真について、この82歳のご老人の個人的相談役をつとめているつもりである。インターネットやHPが怖い、と思われてしまっては、計画が成り立たない。

こんな話もした。Oさんは、映画好きである。たいていの洋画新作を観ている。最近の映画で、人の殺戮場面を生々しく映像化しすぎているのが問題だ、と感じている。「トロイ」、「パッション」、「サムライ」など、みなそうだという。Oさんは、60年も前の戦場での殺し合いを、未だにトラウマとして生々しく思い出す。映画の描写は、そのトラウマをよみがえらせるらしい。それはOさんにとってのことだが、映画の生々しい人殺しの場面が、今の人々にどのように受け止められているか、心配している。映画やテレビやゲームで観る非日常のシーンと、自分の日常とが、さしたるバリアなしにつながってしまわないか、という心配である。

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