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2004/06/09

東京暮らし、帰ってのリハビリ

  東京で数日を過ごし、水戸に帰ってくると、いつも一日はぼーっと過ごす。「リハビリ期間」と称して、大目に見ている。自分が自分に対して、大目に見る、とはおかしな言い方だが。私のHPにしばらくおつきあいくださっている方はご存じのことだろうが、仕事を辞めたあと、水戸を本拠地としながらも、東京に隠れ家を持ち、月に2,3回、7日から10日ぐらいをそこで過ごす。音楽会や展覧会、いろんなつきあい、写真・街歩きなどのグループ活動への参加など、さまざまな目的がある。だが、根本には、東京という街が好きなことがある。

  都市は活気に満ちている。日ごとに変貌していく街の様子。場所ごとに雰囲気の違う盛り場の数々。そこを行き交うたくさんの人々。深夜になっても人通りの絶えない生きている街。変化の中に残る古い面影。盛り場のごく際に見られる対照的な荒廃の姿。そのどれもが、都市の実態である。それを見、その中にいるのが好きである。

  都市にいるというだけで、気持ちが高揚する。ずっとそこにいれば、そんなこともないのだろうが、穏やかで変化のあまりない地方都市に住むものが、東京に出ると、とたんに気持ちはハイに舞い上がる。ハイのまま数日を過ごし、戻ってくると、昂揚から平穏へと気持ちが収まるのに、時間がかかる。それが最初に書いたリハビリ期間だ。

  そんな熱い湯とぬるま湯とに交互に入っているような生活を、私は楽しんでいる。ずっと熱いのも耐えられないし、ぬるま湯だけではいやだ。どちらも良くて、その交替がいい。刺激と緩和、インパルスとリラクゼーション。その動的な繰り返しを楽しんでいる。

  連れ合いのみやは、私と対照的である。彼女のリハビリは、がむしゃらに働くことらしい。東京から帰ってくると、ふだん以上に、がむしゃらに家事や趣味の仕事に励む。懸案でありながら、なかなかできなかったことなどを、むしろこういうときに一気にやろうとする。そうしながら、平常のペースに戻していく。たまっている疲れを、働くことで取り去っていく。不思議な性格だ。

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