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2004/06/12

レーガン元大統領とSDI計画

  レーガン元大統領が亡くなって、私が思い出すのは、この人がぶちあげたSDI計画のことである。今ではすっかり忘れられているが、当時は国際安全保障上の問題として、また原爆を生み出したマンハッタン計画に匹敵するインパクトを科学技術にもたらすものとして、大きな話題になった。SDIとは、Strategic Defense Initiativeの略で、訳して戦略防衛構想と呼ばれた。水爆の父とよばれたエドワード・テラーが提唱したものである。当時は冷戦の真っ只中、米ソは多数の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を抱えて、にらみ合っていた。この計画はソ連の発射するすべての弾道核ミサイルを、宇宙空間で打ち落とす兵器を開発しようとするものだった。すでに公開されていたSF映画のタイトルをとって、「スター・ウォーズ」を地でいくのかとの揶揄もあった。

 キーとなる技術は、未だ存在しないほどの強力なビーム発射装置で、科学的には、大きなチャレンジだった。そのころ、私もある科学分野の日米協力の担当者だったので、頻繁にアメリカへ出かけ、向こうの科学者たちと話をすることも多かった。SDIについては、技術的に到底できそうもない夢のような話だと批判する人がほとんどだったが、中には自分の関係する領域に巨額の研究費が投じられると期待する向きもあった。強力なx線ビームを発生するレーザー装置や、高出力・高エネルギーの粒子ビームの加速器が開発の目標だった。巨大な装置を宇宙の軌道に乗せ、正確な照準をすることができるか、まゆつばものだったが、エドワード・テラーとその配下は、意気軒昂だった。

 レーガンはこの計画にすっかり惚れ込み、戦略上決定的な優位にアメリカが立てる構想として、またアメリカの科学技術を飛躍させるものとして、計画の推進を高らかに宣言した。たぶん1983年頃だったか。そのころは、ライジング・サンとしての日本が、経済的にも、技術の面でも大いに伸びていた時代で、アメリカの科学技術はちょっと足踏み状態だった。その盛り返しを期待した科学者たちも多かった。

 このSDI計画は、結果としては、アメリカの政界でも、科学界でも支持を受けず、実現することはなかった。ところが、その幻に終わった計画が、ソ連の共産主義体制を崩壊させるきっかけになったのは不思議なことである。当時ソ連は、数々の政策的な失敗のため、生産力が低下し、経済が疲弊していた。それでも、アメリカとの軍拡競争だけは、最優先で精一杯背伸びしていた。しかしそのソ連も、このSDI計画にはとうてい対抗できないと、米ソ協調の路線に切り替えたのだ。あのゴルバチョフのペレストロイカのきっかけは、そこらにある。

 兵器としてのビーム装置は実現することはなかったが、強力なレーザービームあるいは粒子ビームの開発は、その後科学技術それ自体の発展の中で、必要に応じた程度で実現した。別に兵器開発という後押しは必要なかったのだ。実は私も研究者としてではなく、研究所運営の立場から、その分野に多少関係したので、レーガン大統領とSDI計画のことを懐かしく思い出すのである。

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