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2004/07/02

豪雨による新幹線運休体験談

 30日午前中、静岡県に集中豪雨があって東海道新幹線が5時間近く停まった。影響を受けた9万人の一人で、再開後東京駅発一番電車に乗ったものとして目撃談を書いてみる。こういう事態でのJR東海の乗客への対応が心もとなかったこと、乗客もそれぞれなりの自己判断をせまられた経験であったこと、などである。

 今や仕事から解放されたひま人であるが、珍しく用事ができて、久しぶりに新幹線で京都へ向かうことになった。仕事の最盛期には週に1、2回新幹線で東京と関西地区を往復するような生活を1.2年、少し頻度が減って月に1,2度往復する生活を4,5年続けたことがあった。リタイアして、すっかりご無沙汰となり、3年ぶりの東海道新幹線であった。夕方からの行事へ出るのが目的だったから、もっと遅く出てもよかったのだが、せっかく行くのだから、研究施設の近況も見たいと、少し早めに着くように予定を立て、10:33発のぞみの指定券を前日に求めてあった。梅雨時だというのに、台風くずれの雨も去り、前線もどこかに行ってしまっている。曇りときどき晴れ、ただし上空に寒気が来ているので、局地的に雷雨があるかもしれないという程度の天気予報だった。朝食中のテレビにテロップが流れ、雷による停電で、小田原・三島間の新幹線が停まっているという。ダイアが乱れそうだ。気象情報は、静岡のあたりに赤や黄色の雨量の多い雨雲のあることを告げていた。嫌な予感がした。

ともかく早めに東京駅へ出かけて見ることにして、9時には四谷の家を出た。東京駅の中央快速線のホームを降りたときに、新幹線は全面的に停まっているとの放送を聞いた。新幹線乗り換え口あたりは、見たこともないほどの人があふれていた。ぼうぜんと立ったままの人、座り込んで長期戦に備える人、窓口には長蛇の列。改札口までいってみると、静岡県下の雨が規定雨量を超えて降り続いているため、当分全面運休で、再開の見通しは立たないと、ハンドスピーカーで説明している。私の乗る列車はまだ1時間先である。しばらく様子を見ることにした。

 何しろ暑い。冷房の効いている地下へ降りた。ふだんは閑散としている地下も、待つ人でごったかえしている。修学旅行の集団も何組か座り込んでいる。コーヒーでも飲んで待とうと思ったのだが、とうに満席で、立ち飲みする人まであふれている。ぶらぶらとあちこちの店をのぞいたりして、時間を紛らす。トイレに入ると、ここもいっぱいである。脳障害の子供らの集団が近くで時間待ちをしていて、彼らの用を足させるために介護の人たちが大わらわである。はじめて見たのだが、全部脱がないと用を足せない子らである。本当なら、個室に入りたいのだろうが、そちらも長い待ち行列ができている。人目もかまわず裸の尻を曝して用を足す子、支えて励ましてあげる介護の人。こういうときに巡り合わせて気の毒だ。

 再び新幹線乗り換え口に戻ってみると、人垣はさらに厚くなっている。雨は降り続いていて、再開の見通しては立たないらしい。制服を着た駅員も大勢出て、乗客の相談に応じている。正面の白板に、運休を決めた列車番号が次々に書き出されていく。助役なのか普通の駅員と違うユニフォームを着た男が、ハンドスピーカーで状況説明をしている。「静岡市付近の雨は止まず、当面運転再開の見通しはない。できたら旅行を見合わせてほしい。窓口で証明をもらえば、一年間どのJRの駅でも払い戻しが受けられる」という。取りやめなどできない。再開したらすぐに乗りたいということで待っている人に向かって払い戻しのことばかり話しても仕方ないではないか。

 駅員を捕まえて、再開後どうなるのか訊いてみた。再開後しばらくは何本かの列車は全席自由席で運行されるだろうという。別の駅員は、どの列車が運休となるかならないか、まちまちになるだろう。運休となった列車の指定券は無効になる。自由席には乗れるという。そうこうするうちに私の乗る予定だった列車も運休列車リストに書き加えられてしまった。じゃあ、指定券はどうなるか。これがじつに心もとない。ある駅員は、自由席に乗り換えられるが、それは自分の意志でそうするのだから、指定の分だけ余分に払った料金の払い戻しはないという。別の駅員は指定席特急券料の半額が着駅で払い戻しになる、ただし乗車後車掌に証明をもらう必要がある、という。また別の駅員は、今すぐ指定券の払い戻しを受けたうえ、自由席を買い直した方がいいという。

 えらそうな服を着たハンドスピーカー男は、相変わらず一年間有効の払い戻し手続きのことばかりがなっている。ここにいる人は、みな再開を待っているのだ。いうことのピントがはずれている。こういうときに黙っておれない性格である。「指定券を持って、動き出すのを待っている乗客は、どうしたらいいのか。それを説明しろ」と、入り口にいた私服でJRの腕章を着けた人(たぶん管理部門の人だろう)に話してみた。このひとは、ハンドスピーカー男の裾を引っ張り、脇に連れて行った。それっきり、ハンドスピーカー男の姿は消え、私が求めた趣旨の放送もなかった。

 11時をすぎた。状況は変わらない。改札口で訊いてみると、ホームに2列車(のぞみとひかり)が出発を待っていて、ドアは開いていて乗れる状態だという。再開後始発の列車になるはずだ。とにかくそれに乗っておこう。自動改札に券を通し、ホームに出る。列車には、50パーセントくらいの乗客が乗っている。発車間際に運休となったのだろう。全席自由席になっているという。席を確保する。まずはビールだ。目の前のキオスクでつまみと一緒に買い求め、飲み始める。ホームは改札口前と違って閑散としている。

 列車内は冷房が効いていて、気持ちがいい。前方の電子掲示には、依然として静岡県下の大雨は続いていると情報を流している。ときどき放送もある。これは長期戦だ。ビールを一缶終えたころ、放送では、静岡県下の河川の水位上昇や降雨継続、再開の見通し後の安全点検などからして、当分の間再開が見込めないことを言い出した。それがやがて「早くても14時以降の再開となる」との放送に変わった。ここで何人もの人が席を立っていく。出張を諦めたのだろう。携帯で会社あるいは相手先と連絡を取る人も多い。こちらは、携帯を持ち合わせない。ホームの真ん中に緑色の電話が見えた。うちに電話をかけ、とんだ事態に巻き込まれていることを告げる。また、出かける先には、事情を話し、午後の施設見学には間に合わないが、夕方の行事には間に合うだろうと伝える。

 そろそろ昼飯時である。ホームの弁当屋は客待ち顔である。弁当を買い、ビールをもう一缶買いたした。キオスクで週刊誌を買う。こんな状況では読み物として持ってきたやや堅いものを読む気がしない。田中真紀子が小泉首相にかみついている記事の出ている週刊誌の方が気もまぎれよう。ビール・弁当・週刊誌で一時間もった。通りかかった車掌を呼び止め、払い戻しの証明を求めたら、運休列車の番号は全国の窓口に通知されるから、証明の必要はないとのことだった。

 午後1時前、にわかに事態が変わった。階段やエスカレーターから,どっと人がわき出してくる。列車になだれ込んでくる。見る間に空席はふさがっていく。サリドマイドなのか、普通の人の半分ほどの背丈で歩くのが不自由そうな女性が席を求めている。3人がけの真ん中の席に荷物を置いたままの席がある。そこ空いていますか、と声をかけ、席を確保してあげる。通路も立つ人で埋まっていく。近くに立っているのは、80歳位の年寄り男3人組である。気の毒だが、席を譲るわけにはいかない。隣の席を占めた中年のおばさんに訊いている。下の改札口で、まもなく運転が再開され、この列車が全席自由で最初に出るのだとアナウンスがあり、われ先にと駆け上がってきたのだという。2時間も早く席を占め、悠然とビールを飲み弁当を食っていたこちらに先見の明があったというべきか。尋ねて乗る気になった人には、列車はいつでも乗れるよ、と言って改札口を通すが、アナウンスはしないというJRのやり方はどうなのだろう。すしずめ状態を作って2時間以上も放っておくわけにもいかないから、結果としては、これだったのか。

 1時過ぎ、やっと列車は走り出した。8時15分頃からストップしていたというから、5時間近い長い運休だった。上下88本が運休、42本に遅れが出て、9万人が影響を受けた、運休時に乗っていた乗客で最大5時間32分遅れという目にあった人もいた、などとあとで見た新聞は伝えていた。

 通路にに立ちっぱなしの人はつらそうだった。座り込むスペースすら確保できない。近くにいた年寄り3人組は、わずかに共通に確保した場所に、交替で座ったり立ったりしていた。名古屋で降りる人がいて、やっと私の隣に座わることができたその一人と話をした。戦後の混乱期に列車がひどい混みようだったのを思い出した、というのが共通の話題だった。山形の新庄から大阪へ、容態の良くない弟さんを見舞いに親戚3人で行くところだという。新大阪駅に出迎えにきてくれる義妹に連絡のとりようがないと心配していた。

 京都について、精算所に行った。新幹線指定券は全額払い戻しだった。乗車券分だけで新幹線に乗れたことになる。2時間以上の遅れだと指定券は全額払い戻しという規定があるのだという。自由席券では払い戻しがない。この規定をちゃんと知らない駅員が東京駅にいて、乗客の対応に間違った情報を流していたことになる。

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コメント

アクさん

大変でしたね。私も先日、ローマでストに遭っていますからよーくわかります。
でも、さすがアクさんですね、素早い行動が良かったと思います。こういうときは、確かに判断は難しいですが、自分で良く考えないと駄目だと思います。
JRの職員の人の行動が、目に見えるようです。
たぶん「しっかりしてよ、あんた何年JRにいるの?」私も、きっと憎まれ口の二つや三つ、ぶっつけるだろうと思いますよ。

払い戻しの件は、勉強になりました。

それはそれとして、静岡で先日の雷雨を経験したものとしては、あの雷雨で新幹線が走行することは、到底無理でしたから、できるだけ情報は正確に伝えて乗客が判断に困らないようにすべきですね。

私もあの雷雨は生まれて初めての経験でした。深夜から、翌日のお昼頃まで、ゴロゴロドッスーンが鳴りやむことがありませんでした。普通の雷雨とは思えない激しさでしたから、天変地異が起きるのではないかと、気分が落ち着きませんでした。街を歩いている人もおりません。空は、真っ黒。恐ろしい日でした。怖くてパソコンもお休みしていました。

投稿: 美千代 | 2004/07/03 01:51

コメントありがとうございました。静岡市付近に集中豪雨という報を聞いて、美千代さんのところあたりはどうなのか、気になっていました。浸水の被害もあったことや大規模停電のことも、その後知りました。生まれて初めてと、おっしゃるほどの気象状態だったのですね。だとしたら、東京駅で足止めを食らったのは無理からぬことでした。開通後通り過ぎた静岡市県下では、遠くの山は、雨後の水蒸気が立ち登り、河川の水位は上昇し、ところどころ水浸しの地域も見ましたが、でも豪雨が嘘のように青空が見ていました。いくら科学技術が進歩しても、天変地異にはかないませんね。

投稿: アク | 2004/07/03 05:13

 私も6月21日(月)に午前中アポイント仕事での日帰り大阪出張で同様の経験。丁度台風が昼頃関西地方に上陸・縦断した日でした。早朝東京から新大阪までの新幹線は大丈夫だったのですが、帰りは悲惨(とはいっても、本人は結構楽しみましたが・・・)。岐阜県?内でホテルの屋根(10m x 50mの大きさ)が新幹線の電線を切断。復旧に時間がかかったのと、静岡県内の川が危険水位まで上がったので運転見合わせが重なった状況でした。乗る予定だった昼12時30分新大阪発ののぞみが20時20分にやっと新大阪を出発したので実際約8時間遅れ。全体でも90本位の新幹線が運休とのことでした。新大阪のホームにいた駅員は20代の若い連中ばかりでしたが、結構上手く(というか自信を持って)客の対応をしていた様にみえました。こういう状況に慣れていたのでしょう。
 外は嵐の状態でしたので、新幹線の中で我慢して待つことに(ホームや待合室は人で溢れていそうでしたので避けました)。長い間缶詰状態でしたが、会社都合で運良くグリーン車でしたので他の指定席の様に自由席になることもなく、涼しく快適で、お蔭様で、時間を無駄にすることなく予想以上に仕事がはかどりましたし、じっくり本を読むことができました。(こういう時、ノートPCと携帯電話は便利ですね!ただ夕方にフランス本社副社長から電話がきた時はやばかったです。ビールを飲んで少し酔っ払っていたもので・・・。)しかし、こういう緊急事態では、それぞれの人の本性・性格が良く出るのだとつくづく思いました。どうしいいのか分からずホームをウロウロする人。車掌・駅員にどうでもいいから早く発車しろと食ってて掛かる人。早く諦めて今日は大阪に泊まろうと判断する人。在来線、飛行機、車等他の移動方法を検討する人。私の隣の席はタレントの渡辺徹だったのですが、マネジャーやスタイリストよりも彼の方が落ち着いて、車内放送で流れてくる情報を基にテキパキと回りのスタッフに指示をだしていたのは印象的でした。結局彼は飛行機で東京に行こうと判断した様ですが、ただはたして台風の中、飛行機が飛んだかは定かではありません。そういえば、別の新幹線内に缶詰になっていた評論家の田原総一郎らが携帯電話にて、出席予定だったパネルディスカッションに声での参加をしたとか(出席予定パネリスト6人中4人が新幹線の中に閉じ込められていたため、機転を利かしての対応だったのでしょう)。どんな状況でも行動できる、えらい人がいるもんですね。
 しかし、親子そろって短い期間に別々の新幹線のトラブルに巻き込まれるとは・・・。新幹線の遅延は多いのでしょうか?

投稿: Shinji | 2004/07/05 12:30

 会社から、こんな長文をコメントに書いて、大丈夫ですか。仕事の方。新聞切り抜きをファックスで送る約束をしていましたね。思い出しました。ところが、電子手帳に控えてある電話番号の最後が3桁と不完全。オリジナルの名刺は見つからず。ファックスの電話番号をメールでください。

投稿: アク | 2004/07/05 15:43

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