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2004/08/04

鬼気迫る白川静の直筆

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 94才になる漢字の学者、白川静のエッセイ「人間の領域」を自筆のまま巻頭言に掲げたのが、雑誌『風の旅人9号』(隔月刊、ユーラシア旅行社)。達筆とはとてもいえないが、筆跡といい、書いてあることといい、いまの世の中を嘆いて書き記した遺書のように見え、鬼気迫るものがある。少し引用してみよう。

 白川静は、孤高の学者である。漢字、中国の古代史、民俗学などの研究を独りですすめ、「字統」、「字訓」、「字通」という漢字と古語に関する辞典を完成した。最近にわかに注目されている。世間離れした学問をこつこつと進めてきたこの碩学の世を見る目の確かさに驚く。

 戦争や犯罪や飢餓は、神が設定した予定調和の中にはない。自然の秩序の中に存する予定調和が、人間の世界に存在しないとすれば、人間は神に見放された世界に生きているのであろうか。確かに現在の人間は、神に見放されているように思う。人々はみな神のみ名において争い、戦っているが、それは本当の神ではない。

人は真善美を究極の価値として追求する。白川は美と真・善を分けてとらえる。美は生物界に、そして自然にある価値あるものだが、真・善は人がつくりだし、それ故に争うものだとする。上記画像に直筆部分を引用した部分だ。真・善を説くのは宗教であるが、それについて

宗教はかつて、人を救うたかも知れない。しかし本当に救われたのは、愚昧随順の人たちだけであった。救われたというように思うだけで、救われるような人々であった。凡そ生物の全体に霊活な生を与えるもの、それが真の宗教であるはずである。

と既成の宗教を批判しつつ、真の宗教を希求する。

そして、

今の世は悪に充ちている。善を標榜するものが、殆ど悪のようにみえる。この百年来の歴史をみても、どこにも光明はない。人はいよいよ賢明に、悪事をはたらく。

と、絶望するが、最後には、

すべては数億光年の世界と同じく、人間もまた「過程」のうちにある。そしてこの過程のうちに、現実がある。そこが人聞の領域であることを、覚る外にはない。

と、過程の先に希望をつないでいる。

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