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2004/10/31

中国の善隣外交をカラコルム・ハイウェイに見る

 パキスタン北部地域への旅で親しくなった、パキスタンの現地ガイド、サラフディーンさんにあれこれとパキスタン事情を聞いたなかで、こんな質問をぶつけてみた。パキスタンの一般の人からみて、一番好きな国、嫌いな国はどこかと。即座に帰ってきたのは、一番好きな国は、間違いなく中国だ、との答えだった。米国は今一番関係が深く、大事な国だと皆思ってはいるが、同時にイスラムの敵だ、という点で好悪が半ばして、複雑な気持ちを抱いている。日本は、車や電気製品がいっぱい入ってきていて、アジアの進んだ国として、みんな好感を持っている。かつての宗主国イギリスは、今では影響力もなく、遠い国に過ぎない。ただ金持ちの子弟が海外に勉学に行くとなると、イギリスを選ぶ。ロシアには格別の好悪はない。

 嫌いな国となると、対立関係にあるインドとの答えを予想していたのだが、インドには、宗教こそ違え、同胞という親近感が強いという。何度か戦火を交え、カシミール問題で対立しているが、それを乗り越えて、経済的に協力できるようになることをみな望んでいるらしい。今は特別な用務の人でない限り、相互訪問はできないというのにだ。そこで嫌いな国といえば、間違いなくイスラエルということになるらしい。連帯意識を持っているイスラムのパレスチナ人に対してひどいことをしているから、と。

 中国に対する親近感は、もともとインドとパキスタンが、カシミール問題で対立したときに、インドを当時のソ連が、パキスタンを中国が支持した、というあたりから始まっているのだろうか。中国はインドと国境紛争を続けている。敵(インド)の敵(中国)は味方、という関係から,親中国という側面もある。

 しかしそれだけではないようだ。中国の長年にわたるパキスタンへの経済協力や援助が、パキスタン人に、中国は親身に面倒を見てくれる良い隣国だという意識を培ってきた。遠い将来を見通しての、中国の善隣外交が着実に隣国パキスタンの人心をつかんでいる。それにつけても、わが日本の、戦略のない、付け焼き刃的、ばらまき国際協力のあり方と、以前多少関わった経験もあるだけに、比べて考えてしまった。

 今度の旅でフンザまで行くのに辿ったカラコルム・ハイウェイ(KKH) は、中国が援助を申し出て、パキスタンとの共同プロジェクトして建設されたものだ。中国側のカシュガルから国境のクンジャラブ峠(標高4730m)を越え、私たちの訪れたフンザのあるパキスタン北部地域を経、住む人の少ない荒涼たるコーヒスタンの山地を縫って、イスラマバード北方の既成の道路につなぐまで、全長1200km(ターボット橋をKKHの公式の起点として、800kmと書いている文献もある)の2車線の舗装道が建設された。

041031KKH.jpg

 ほとんどが山また山の難路である。日本の現在の土木技術なら大型の土木機械を使い、トンネルを掘り、橋を架け、直線に近い形で道を通すであろうが、KKH は、当時中国お得意の人海戦術で造られた。シャベルで掘り、もっこで運ぶというやり方である。当時、というのは、建設開始が1966年、完成が1979年の十数年間をいっている。できあがった街道は、山の襞を忠実に縫うように屈曲している。谷に沿って曲がって入り込み、谷筋の奥のどん詰まりで、谷川を短い橋で渡る。全部で百を超える橋が架かっている。そのすべては、中国側が造ったという。なるほど橋の欄干はいかにも中国風だ。垂直に近く勾配が70度はあろうかと思われる岩壁にL字状に刻みをつけるように道が走っている部分がある。発破をかけて、岩壁を穿ちながら、道を造ったという。インダス河沿いだが、高いところでは、川の水面から数百メートルもの落差がある。自然の風化作用で、山全体の崩落が進んでいるところもある。なんといってもヒマラヤ・カラコルムの山地は、若い山だ。

 橋以外にも、中国側はクンジャラブ峠からフンザを通り、北部地域の中心ギルギットまでの道路建設に当たった。それより南はパキスタンが造った。両方とも建設の主体は軍だったらしい。難工事ゆえ、土砂崩れ、崩落,発破などで多くの犠牲者が出た。ほぼ1kmあたり1人の割で死者が出たという。KKHのあちこちには、犠牲者の墓や記念碑が見られる。

 1982年8月、KKHの完成祝賀行事が行われ、国境の峠を越えての通商が行われるようになった。86年5月、観光客にも、国境が開放され、中国側からもパキスタン側からも観光目的での国境越えができるようになった。カシュガルからフンザを経てのイスラマバードへのルートは、個人旅行者にも団体ツアーにも人気コースになっている。

 このKKHは、中国側にどれだけのメリットがあるか。峠の向こうに広がるのは、パミール高原とタクラマカン砂漠を中心とするタリム盆地である。ほとんど人跡まれな荒野であり、ところどころにカシュガルなどのオアシス都市が点在するだけである。物流の動脈として道路の意義は余りありそうにない。事実、KKHを通して走る車は少なく、数分に一台程度だろうか。パキスタン独特の満艦飾に飾られたトラックが名物でよく見かけたが、ギルギット以南は別として、国境越えでものを運ぶトラックは、ごく少ないと見た。観光を中心とする両国間の交流に主として活用されている。

 この道路を両者ともに軍が前面に出て造ったということは、いざという場合の軍事目的もあるのだろう。インドあるいは当時のソ連をにらんで、両国が動脈でつながっている、という地政学的な意義もあると想像して良い。

 しかし、この道路の恩恵を受けているのは何といっても、パキスタンの北部の人たちだ。他の地域から実質的に閉鎖されていて、低い経済レベルにあった北部地域が、他の地域と交流できるようになり、さまざまな文化的恩恵を受けるようになった。フンザの人はジャガイモを作り、それをイスラマバードまで出荷できるようになった。観光客も多くやってきて、金を落とす。マイナス面もあるが、確かに人々の暮らしは向上している。

 KKHの維持管理は大変らしい。絶えず崩落がある。雪解けとともに山崩れや谷川の増水で道が壊される。地震も多いそうだ。あちこちで補修作業が行われている。大規模な道路付け替え工事も行われている。その作業を相当部分中国側が担当している。あちこちに中国人労務者のテント村がある。造っただけではなく、メインテナンスにも中国は人を出して援助している。その実情を見ると、パキスタンの人々が、中国を最も好きな国とするのがなるほどと思える。

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コメント

今晩は。
この道、『平家物語』の安徳帝大宰府落ち、はじめ数箇所に、三蔵法師の葱嶺超えもかくや..と出てきますね。拝見して、今でもかなり危険そうです。
‘85年夏に中国側のカシュガル、タシクルガンに行きましたが、ギルギットから、子どもの「留学」の受け入れ先の方が、見えていました。イスラムの連帯を感じた、一コマでした。(彼は、「キンジ イマシニシは、友人です...」と言ってました。)
隣国同士仲が良いのは、うらやましいです!

本日、ギルギットの南65kmで、Mg5.6の地震が有りました。
http://earthquake.usgs.gov/recenteqsww/Quakes/usqgab.htm

投稿: U-1 | 2004/10/31 23:14

U-1さんは、カシュガルへ行かれことがるのですか。北部パキスタンは、風土的には中央アジアの一部といったおもむきがあり、パミールやタリムへの連帯意識があるのでしょうね。
地震。こんなニュースソースがあるのですね。インド亜大陸がユーラシア大陸を押し、その結果、まだ隆起が続いている地方ですから、地震は避けられないようですね。

投稿: アク | 2004/11/01 10:31

アクエリアンさん,ありがとうございます。
KKH,相当の難工事だったと思います。
私の友人が、KKHへ行った時、前を走っていたバスが、岩石なだれにのまれたそうです。今でも、行くのに勇気がいる所ですネ。 旅行記,楽しみにしております!

投稿: U-1 | 2004/11/02 09:47

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