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2004/11/26

『「石灰石」余聞』のA君、亡くなる

 「石灰石」余聞とは、HPの本館に昨年8月書いた一項目である。私のHPの読者の中にはご記憶の方もおられよう。そこに登場したA君の突然の死を知った。全くブライベートな話題だが、彼の死を悼んで彼との奇縁のことを書いてみたい。

 喪中につき年賀欠礼の挨拶状が、A君の死を知らせてくれた。奥様からのものだ。何とA君は10月に亡くなっていたのだ。もとの職場で、部下ともいえる存在だったA君は、退職後の私のHPの熱心な読者だった。奥様は、ワイフのみやと織りのことで縁があった。8月31日の「裂織フェア」にみやが出展した折には、奥様1人が、わざわざ会場においでになり、みや制作のこより織を、色紙掛けに仕立てたもの(紙の裂織「こよりのテーブルセンター」を作るに「友人が額装にしたもの」として写真を出したある)を見せてくださった。その時、A君の最近の論文別刷を届けてくださった。A君はどうしていますか、とのこちらの問いに「ちょっと具合が良くなくて、今日は来られませんでした。論文もこれが最後になると思います」とちょっと言葉を濁していた。おや?と思ったが、それ以上訊かずにすませてしまった。その段階で、彼はもう死の床にあったのだろう。

 A君とは不思議な縁だった。私が在職の最後のころ、役員として担当していた研究所のグループ・リーダーだった。野心的な研究計画を何度も聞いて、励ましたものだった。退職後どうして知ったのか、私のHPの読者となった。読書歴をたどっての自分史のようなものをHPに書いている。なかなか思わしくは進んでいないのだが、昨年の8月、ふと思い立って、大学時代のドイツ語購読の時間に読まされたシュティフターの「石灰石」について書いた。A君からメールがあって、自分の父親は大学教師であって、特にシュティフターの研究者だった。ひょっとしたら私が習ったのは、彼の父ではなかったか、とのことだった。全くの奇縁だった。A君の父親(藤村宏先生)は、私が教養学部の学生だったころのクラス担任だったのだ。

 そんな奇縁のことと、学者だった父親へのA君の複雑な気持ちのことなどを「石灰石」余聞というタイトルで、HPに書き加えたのだった。その時、恩師宏先生がすでに他界されていたことも知った。ご遺族は、私の書いたものを喜んでくださった。それから、遠慮がちながら、HPの談話室にも登場してくれるようになった。メールのやりとりもあった。A君は、研究所を定年退職後、大学院に入り直し、科学技術政策論を専攻していた。送られてきた論文抜き刷りに、私なりの意見を送ったりもした。人工知能やロボットの研究が進み、実用化されるようになる未来社会で、どんなことが予想されるか、科学技術の政策上どんな方策を講じるべきか、などをテーマにして、興味深い考察を進めていた。研究が実を結んで、二つ目の博士号を得て、その分野で活躍することを期待もしていた。
 
 彼は病に冒された。突然の病巣の発見と告知から死まで、わずか3.4ヶ月。あまりにもあっけない死だった。まだ63歳、まことに惜しい。研究はほぼ完結に近く、来春の学位取得を目指していたという。無念だったことだろう。何とも痛ましい。ご冥福を祈る。

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