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2004/11/26

『「石灰石」余聞』のA君、亡くなる

 「石灰石」余聞とは、HPの本館に昨年8月書いた一項目である。私のHPの読者の中にはご記憶の方もおられよう。そこに登場したA君の突然の死を知った。全くブライベートな話題だが、彼の死を悼んで彼との奇縁のことを書いてみたい。

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2004/11/25

柳原和子の、幸運な忘れもの物語

 トイレから新聞を手に、「あなたに似た人がいる」と、女房殿がニコニコしながら出てきた。この人は、トイレで朝刊をゆっくり読む癖がある。朝日新聞木曜日の「お金」欄に、柳原和子が、このところ連載している記事である。柳原は、医療問題を鋭い視点で書いてきたノンフィクション作家であるが、自らガンを患い、「ガン患者学」(中公文庫)などの著書で知られる。

 なるほど、「忘れ吻、落とし物の常習者である」という書き出しで記されている忘れもの歴は、私も脱帽である(私が忘れものについて前回書いたのは、帽子についてだった)。ある忘れものについての挿話がとてもいい。その部分だけも、朝日新聞を読まれない方に紹介したい。この記事(04/11/25)には。アサヒ.コムにリンクがないので、転載を許してもらおう。

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2004/11/21

忘れもの哀話

 忘れものについてのしょうもない話を一席。
  
 出かけようとして、帽子がないのに気がついた。格好を気にして外出するときには、かぶることにしているセーム皮のハンティング。色はダークグリーン。どうも帽子は身につかないたちである。頭を締め付けられる感じが好きではない。だからすぐに脱いでしまう。屋内に入れば脱ぐし、乗り物に乗っても脱ぐ。すると置き忘れる。これまで、いくつもなくしている。

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2004/11/20

イチローが理系?

 雑誌「諸君!」12月号の巻頭コラム(「紳士と淑女」)に書いてあることが、変でもあるし、面白くもある。紹介して、ひとこと論じてみたい。

 イチローが感情を表にあらわさないのは、彼が「理科系人間」のせいだという。一方、イチローに国民栄誉賞を与えようなどと考えるのは、「文化系人間」だ、というのだ。

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2004/11/14

デジタル化の中で、アマチュア写真家たちは悩んでいる

 ベテランのアマチュア写真家たちの会合があった。フイルムを使うカメラを使いこなしてきた彼らは、デジタルへ向かう流れの中で、変化に順応しようか、断固としてフィルムに留まろうか、対応に苦慮している様子だった。

 カメラ・メーカーは自社カメラの愛好者を結集してクラブをつくっている。その下には地区別の支部が組織されている。不肖私めも、アマチュアカメラマンの端くれとして、某N社のクラブに属し、デジタルを名乗る支部のメンバーとなっている。先日このクラブの支部長連絡会なるものが開かれた。私は支部長の代理として半日の会合に出てみた。グループ・ディスカッションやパーティーの場での会話から、デジタルへの根強い抵抗を感じた。

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2004/11/10

紅葉のカリマバード村とウルタル峰

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 前回の「星空のウルタル峰」に対照的な昼のウルタルをお目にかけよう。私たちが滞在した10月中旬も終わり頃、カリマバード村は紅葉真っ盛りだった。細く天に向かって伸び上がっているポプラは黄色に、春その花ゆえに人々を惹きつけるアンズの木は赤に、見事な秋の彩りを見せている。紅葉の間にちらほらと見えている建物のほとんどは、観光施設で、やや目障りであるが、カリマバード村が傾斜地に沿ってどんな位置にあるのか、おわかりいただけよう。一番上の高台に偉容を見せているのが、藩王時代の王宮、バルティット砦である。

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2004/11/07

星空のウルタル峰

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(クリックすると拡大した画像を見ることができます)

 フンザ滞在の最後の夜、完全な晴天に、はじめて恵まれた。その日まで雲に隠れて姿を見せなかったウルタルが、ちょうど半月だった月明かりに照らされて、白く輝いている。頭上には満天の星空。月光が強過ぎて、南天の星座は、さほど見えず、天の川もこれと確認できないほどだった。フンザは星空がきれいに見えることでも、観光客に知られている。旅仲間にはカメラ好きが多く、この夜はホテルの屋上で、星空の撮影会となる。カシオペアを頼りに北極星を確認し、それを中心に星の描く円弧を撮影しようと三脚を据える。私は、ウルタルと、さらにその麓のギルギット砦を入れるため、広角レンズで構える。星空の撮影ははじめてだし、露出がむつかしい。デジタルカメラのいいのは、何度かトライした結果をその場で見ることができることだ。この画像は、絞りをf5.6、露光感度をISO400に設定して、10分間露出したものである。

 白く見える山がウルタルで、左が第Ⅰ峰、右が第Ⅱ峰(標高7388m)である。撮影場所が標高約2300mであるから、5千メートルの標高差がある。頂上は水平距離9kmのところにあり、およそ30度の角度に見える。上の写真では広角レンズゆえに低く見えるが、現場では目の前にそびえ立つような高さを感じる。7千メートル級の山をこんなに至近距離で見ることができる、ここカリマバードは、絶好のビューポイントだ。

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2004/11/05

疑似宗教が勝った米大統領選

 宗教、あるいは宗教らしきものは、人間と社会にとってまことに厄介なものである。宗教にどれだけ支配されているか、それとも解放されているか。それを社会を見る判断基準とするのも、一つの考え方である。宗教あるいは疑似宗教は、成熟した社会の、人間にとって住みやすい社会の、敵であることを、私はHPなどでの主張の一つの柱にしてきた。そう主張しながらも、人間は救いがたく宗教を必要としており、宗教や疑似宗教の超克は、未来永劫できないだろう、との悲観論にも立っている。

 アメリカの大統領選にブッシュが勝った。事前の動向からそうなるのではないかと憂いながらも、逆転の可能性を多少期待していた。しかしやはり、宗教とも疑似宗教ともいうべき側が勝った。Alas!

 ここで宗教あるいは疑似宗教といっているのは、例のファンダメンタルなキリスト教や、キリスト教右派のことではない。ものごとの判断を善と悪、黒と白とに峻別し、悪を力を持って滅ぼすしかないとする単純思考。現実を自分で見ようとせず、単純思考のフレームワークとそれを主唱するリーダに帰依することにより安心を得ようとする支持者。硬直化したモラルや家族の価値と呼ばれるものへの固執。自国の偉大さへの信仰。自分たちの価値に敵対するものは人間でないとして、平然とその抹殺を容認すること。そのような政治行動全体は、ある種の宗教の様相を呈している。それを疑似宗教と見るのである。彼らは不寛容であり、イデオロギーは硬直化しており、反対するものを声高にののしり、排除し、価値観を共有するゆえに団結力は強固であり、この宗教を広めるために草の根で献身的に努力する。それが疑似宗教たるブッシュの支持者であり、彼らの力が、そのような宗教を批判的に見る人々にまさった。それゆえにブッシュが勝った。そう私は見る。

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2004/11/03

秘境が秘境でなくなること

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【フンザのハセガワ記念公立学校の朝礼の様子】

(まだフンザ気分が抜けずに、その関連のことばかり書いています。旅の詳細は、HP本館の方にパートナーのみやが書き始めています。こちらをごらんください。)

 フンザの中心カリマバード村に、「ハセガワ記念公立学校」がある。カリマバード村の背後間近に気高くそびえ立つウルタルⅡ峰で遭難死(1991)した長谷川恒男を記念するため、未亡人の昌美さんと協力者が設立したカリマバード唯一の男女共学英語教育校だ(開校:1997)。フンザに滞在したある日、天候ゆえに予定を変更し、この学校を訪れた。折しも校庭で朝礼が始まっている。小学校一年生から高校3年生まで、約500人の生徒が、「気をつけ」の姿勢で整列している。コーランの朗唱やパキスタンの国歌の斉唱のあと、校長先生が訓話を垂れる。校長は今日は日本からお客さんが来ていると、われわれを紹介する。一斉に拍手。3、3、拍子だ。ではどなたか、ひとことご挨拶をと、校長はわれわれの方を振り向く。ツアーの現地ガイドも、旅仲間も、私に視線を向ける。多少英語ができると、それまでにばれていたゆえだ。仕方がないと、壇上に昇った。

 『長谷川を記念する学校を訪問し、日本人とフンザの人々との友情のしるしとして建てられた学校が、こんなふうにみなさん方のお役に立っているのを見ることができたのは、とてもうれしいことでした。私たちは旅行者としてフンザに来ました。フンザは日本では、とても良い場所として知られています。来て2,3日滞在したばかりですが、確かにその通り、すばらしいところでした。・・・』

と話し始めて、しかし・・・と話題を切り替えた。

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