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2004/11/03

秘境が秘境でなくなること

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【フンザのハセガワ記念公立学校の朝礼の様子】

(まだフンザ気分が抜けずに、その関連のことばかり書いています。旅の詳細は、HP本館の方にパートナーのみやが書き始めています。こちらをごらんください。)

 フンザの中心カリマバード村に、「ハセガワ記念公立学校」がある。カリマバード村の背後間近に気高くそびえ立つウルタルⅡ峰で遭難死(1991)した長谷川恒男を記念するため、未亡人の昌美さんと協力者が設立したカリマバード唯一の男女共学英語教育校だ(開校:1997)。フンザに滞在したある日、天候ゆえに予定を変更し、この学校を訪れた。折しも校庭で朝礼が始まっている。小学校一年生から高校3年生まで、約500人の生徒が、「気をつけ」の姿勢で整列している。コーランの朗唱やパキスタンの国歌の斉唱のあと、校長先生が訓話を垂れる。校長は今日は日本からお客さんが来ていると、われわれを紹介する。一斉に拍手。3、3、拍子だ。ではどなたか、ひとことご挨拶をと、校長はわれわれの方を振り向く。ツアーの現地ガイドも、旅仲間も、私に視線を向ける。多少英語ができると、それまでにばれていたゆえだ。仕方がないと、壇上に昇った。

 『長谷川を記念する学校を訪問し、日本人とフンザの人々との友情のしるしとして建てられた学校が、こんなふうにみなさん方のお役に立っているのを見ることができたのは、とてもうれしいことでした。私たちは旅行者としてフンザに来ました。フンザは日本では、とても良い場所として知られています。来て2,3日滞在したばかりですが、確かにその通り、すばらしいところでした。・・・』

と話し始めて、しかし・・・と話題を切り替えた。

 これまでの見聞で、みなさん方やご家族の方たちは幸せそうに暮らしていますが、一方では、もっと improve したほうがいいところもあるようです、と。

 その前日、私たちの姿を見て、集まってきた子供たちの中には、薄汚れた衣服をまとい、裸足の子もいた。風呂や水浴びをする習慣もないのだろう、肌はがさがさに荒れている。垂れる鼻汁を手の甲でぬぐい、ごわごわになっている子もいる。電気は来ているものの、停電が多い。道路はジープでしか走れない凸凹の未舗装道路がほとんどだ。石と泥を積んだ上に屋根を渡しただけの穴蔵のような家もある。私たち近代世界に住み慣れたものからすれば、貧しい山村にすぎない。そんな風景が頭をよぎったのが、私が improve したほうがいいところ、といいだした理由だ。そこで続けた。

 『みなさんが、この学校で学び、そしてこの村を improve しようと努力することで、きっとこの地域の生活を、もっと幸せなものに変えていくでしょう。そのように期待しています。』

 そんなことで、スピーチを終えた。しかしその直後から、本当にそうなのだろうか、との疑問がむくむくとわいてきたのである。この地域の人にとって、進歩は本当に幸せをもたらすのだろうか。

 フンザは桃源郷になぞらえられる。ヒルトンの「失われた地平線」のシャングリ・ラのモデルになったといわれる。荒涼とした禿げ山に挟まれた狭い渓谷がこの場所だけ開け、緑豊かな盆地になっている。人々はジャガイモを育て、杏の木の実を乾し、山羊を飼い、自給自足の生活を送ってきた。外の世界とは、徒歩の人とロバだけが通れるほどの狭い道でつながるだけだった。2代3代がともに一つの家に住む大家族制。年寄りを大事にするゆえに、働く必要のない老人は、一日ひなたぼっこして、道行く人を眺めたり、数人が集まっておしゃべりに興じている。長寿者が多いことも知られている。イスラムではあるが、イスマイリ派という特殊な教派のもとにあり、戒律的な厳しさはない。ラマダンはないし、酒も飲むようだ。女性への差別がないから、若い女性も顔を隠すことなく表に出て仕事をし、ふつうの生活をしている。そうした何百年も進歩のない日常を繰り返すことに、人々は安んじてきた。

 この国のことが日本に紹介されたのはいつのことなのだろう。私の手元には、島澄夫「秘境フンザ王国」という本(二見書房)がある。1961年にこの地を訪れた見聞記である。まだカラコルム・ハイウェイはなく、ジープが辛うじて通れる断崖の道を行き、フンザ川に渡されたロープでジープと人を吊り下げて渡すという手段で、この秘境にたどり着いた。彼は人々の暮らしの貧しさに気づきながらも、自足した生活に満足げな村人の暮らしぶりに触れ、そこを楽園だとしている。彼は「あとがき」で、この村を去るときの感慨をこのように書いている。

フンザの谷を下りながら、私は思った。この谷は、西からの、ギルギット河と合流して、インダスの大河となり、茫洋の大砂漠を貫ぬいて、遠く、インド洋に、そそぎ込む。

 今、私は、このインダスの源流に立っている。それは、悠久の一大歴史の源頭に立っていることにもなる。そして、私は、そこから、再び、文明の社会へ、渓谷の下流へと降りて行く。
 現代に至る、歴史の段階を、一歩一歩下って行く。この下流には、我々と同じ、文明人が、巨大な都会を形づくって、生活している。
 しかし、率直なところ、私は、この住みなれた文明都市に、何の懐思も抱き得なかった。それとは逆に、今、次第に遠ざかって行く、フンザ王国に、深い望郷に似た、悲しみを、かくすことができなかった。
それは、今まで、一カ月余の間、私が、 「人間」 とともに、生活して来たことに他ならなかった。

 彼らは、自分たちの生活に、全身全霊をたたき込んで、生活している。そして、それは、ひたすらに、大自然中に、とけ込んで行く、あの、すばらしい、やり方だった。
 これは、 「人間」として、当然なことである。しかも、この当然なことは、我々、文明社会のなかにあって、はたして、当然なこととなっているであろうか。
 文明に、怠惰になった我々の教養は、額に、汗し、働くことを嫌う。我々は、ボタンを軽く押すだけで、思い通りのことをすることができる。しかし、その行為者は、あくまでも機械であり、我々は、あたかも、行為者のような、錯覚をしているだけである。まして、そこには、何の苦痛もない。

 この幸せな、労働の民は、今も、せっせと、しあわせのくにつくりに精を出している。
 実在する、最後の楽園と、最後の人間に、永遠の女神が微笑むことを、心に念ずるのは、ひとり、私はかりではあるまい。

 島澄夫が見たであろう地上の楽園は、ほとんど失せている。それでも、人々は、外から入ってくる近代的なものを受け入れながらも、昔ながらの生活を守ろうとしている。農産物の交易や観光収入などにより、人々の生活水準はたしかに向上した。しかしそれは幸せをもたらしただろうか。

 秘境は秘境でなくなった。島澄夫が見たフンザと今日のフンザと、どちらがいいのだろうか。私がハセガワ学校の生徒さんたちに、進歩のために学びを生かしなさいと奨めたのは正しかったのだろうか。

【長谷川恒男とこの地のつながり、ハセガワ学校誕生の経緯などは、長谷川恒男『生きぬくことは冒険だよ』(集英社文庫)の未亡人による「文庫のためのあとがき」に詳しく書かれている】

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コメント

アクエリアンさん こんにちは。今日の所、たいへん感慨深く拝見いたしました。
こうしたプリミティブな地域の「個性」、残ると良いですね。
中国側でも、子どもの衛生、栄養状態が悪く、子どもが15人位、集まれば、2~3人に、片目か両目に、肌色の膜が覆っていて、半失明状態でした。向こうでは、当たり前の事らしく、屈託ありませんでしたが、私もこうした部分は、本当に改善してもらいたいと思いました。
アクさんの文章、とても素晴らしいです。映像が目に浮かぶようで,ヒルトン級です。

奥様のHPも拝見いたしました。カニシカ王の年代が、通説より少し早めでした。私もちょうどこの辺の所を書きました。世界史の一大フォカルポイントで、興味が尽きません。
↓ご助言頂ければ、幸いです。
http://blog.goo.ne.jp/rgriggs1912/e/67b6698158c31e0871105b7b9d04fed9

投稿: U-1 | 2004/11/05 12:00

 ご無沙汰をしております。
 文章中に、洟をたらした子供の個所がありますが、50年も前になる自分の子供の頃を思い出して思わず苦笑いしました。
 私も含めて、洟垂れは結構多く、学生服の袖で拭くものですからベガベガにこわばっていたのを思い出します。
 思い出はいかなるものも、思い出となった時点で幸せに思い起こされるといいますが、言い得て妙です。私もあの頃を思い出すと、貧しくはあったけれど、不幸ではなかったと思います。
 ひるがえって今はどうか?
 私達は、物量豊かなアメリカを追いかけ、物質的には豊かになりましたが、思いやりとか、謙譲とか、やさしさとか、美点と言われるものをことごとくなくしてしまったように思います。
 かといって今の豊かさを捨てきることができるか?難しい問題です。多分、金を唯一の価値観とする拝金主義を克服すれば、何とかなりそうですが、道遠しです。
 21世紀は、私たちが無くしてしまったものを訪ね歩く、そんな時代になるように思います。
 あなたの旅がそんな旅路の第1歩となったように感じられ、お喜び申し上げると共に、こうした記事を折に触れて拝見できるのを楽しみにしています。
 

投稿: 魔法使い | 2004/11/05 12:24

U-1さん、関心を持ってお読みいただいて、ありがとうございます。
ユニークな内容のブログを書いておられるのですね。

魔法使いさん,はな垂れのことは、私も書きながら思い出していました。なくしてしまったものを訪ね歩く。旅にはたしかにそういう面があります。特にアジアへの旅は。

投稿: アク | 2004/11/06 13:45

アクさん,今回の旅行はずいぶん変わったところに行かれたのですね.いつもながらの文章に感慨深く拝読いたしました.小生も,アクさんと同様「秘境は秘境に」しておくのが良いと思います.

ところで,最近ショックを受けたのが北共占領下のチベットの首都ラサには娼婦がいるらしいです.

話は変わって,ぜひそのうちブータン(なんと国中が禁煙の国)にも行ってみたいと思いますが,あそこも難民が発生しているようでなかなか問題が複雑なようですね.

投稿: drhasu | 2004/11/16 23:27

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