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2004/12/24

年賀状の準備

 この季節になると、年賀状の準備と、宛名の印刷に忙しくなる。「筆まめ」の住所録をパソコン画面に表示し、訂正や追加をして、発送先を選ぶ。住所録にはおよそ400ほどの宛先がある。そこから年賀状を発送するのは200ほどだ。親しい友人、知人たち、あるいは指導を受けた恩師、もとの上司や同僚たちには、年一回のご挨拶は欠かせない。だが、出すか、出さないか、判断に迷う相手もある。

 以前何かのことでご縁ができ、年賀状を交換するようになった。その縁が実質的ではなくなっても、年賀状の交換だけは続いている場合がある。そろそろお終いにしようかと、こちらが出さないでおくと、先方から頂く。恐縮して返事を出したあと、こういう関係を大事にする方なのだと、次の年には忘れずに出す。すると今度は先方が外したらしい。こちらが出したものに遅れて返事が来る。そんなちぐはぐの関係で切れずにいる人がいる。今年はどうしたものか、悩んでしまう。

 こちらも出さず、あちらからも来ず。それで切りとなった人もいる。しかし住所録には残しておく。そんなことで、400にもなるのだが、これでも退職を期に、大幅に整理をして名簿を作り直した。仕事に関連した会社の人とは、退職とともにお終いになった人が多い。それでも特に個人的に懇意だった人とは続いている。仕事柄、官庁関係の人とのつきあいも多かった。この人たちの中には、退職で関係が切れても、年賀状を続けてくださる方が多い。自分のいた会社の人たちよりも、役所の人との関係(といっても年賀状の交換だけだが)の方が続く傾向があるというのは、どうしたことなのか。不思議だ。

 年賀状を交換するだけの関係だが、じつにまめに続けてくれる人がいる。40年も前に一年だけ実習生でお世話したことがある人、30年ほど前アメリカ滞在中に一夏だけおつきあいした人、高校を卒業してのち、九州と東京に別れ、一度も会ったことがない友人、などなど、あちらがくれるからこちらも出す。それで続いている。ひょっとしたら、相手の方がこちらがまめだと閉口しているのかもしれない。

 年賀状の関係が続くか続かないか。人さまざまである。仕事その他でわりと軽い関係だったが、関係が切れても欠かさず年賀状を続けられる方。関係が切れたら、さっさと止めてしまう方。ウェットかドライか、という言葉では表しきれない人間関係についてのそれぞれの方の考え方があるように思う。

 こちらの年賀状は、30年ほど前から、ミニ新聞のような体裁にしている。ここ何年かのものは、HPの本館に掲載してある。かつては謄写版でB4を折った4ページもので、最近ではワープロ印刷のA4裏表で、近況や感想などを伝えている。かつては4人家族だったことから「てとら」というタイトルをつけた。息子たちが独立し、夫婦二人になってもタイトルはそのままだ。そんな年賀状を毎年楽しみにしてくださる方いらっしゃるので、この形を止められない。とうとう今回は30号を出すことになった。年賀欠礼のご挨拶に「てとら」だけは送ってくださいと添え書きしてこられる方もおられる。少し遅らせて寒中見舞いとして送る。

 退職を機に、年賀状をやめますという方がおられる。年賀状という形ばかりの繋がりはいらない。それも一つの考え方だろう。でもなんだか寂しい気がする。年をとり、仕事という関係がなくなっても続く、年一回の消息のやりとりは楽しいものだ。だから、印刷した「謹賀新年」に何か一筆添え書きしてあるとうれしい。私は年賀新聞の冒頭に空欄を作っておいて、かならず一筆書くことにしている。

 新しい送り先が増えるのはうれしい。仕事を辞めてから、ネットでの友人、写真仲間、旅仲間などとして知り合った人々が増えている。その人たちを住所録に新規登録する。他方、お亡くなりになって、住所録から抹消する人も増えてきた。今年は4人もいた。さてあと何年こんなことが続くのだろうか。

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