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2004/12/29

稲むらの火

 インド洋の巨大津波の被害が報じられるにつけ、思い出すのは「稲むらの火」である。私たち世代(戦中に小学校教育を受けた世代)は、みな幼な心に覚えている教材である。小学校の5年か6年の国語の教科書にあった。

 安政元年(1854)、安政の東海地震(M8.4)の際に、現在の和歌山県広川町で起こった実話にもとづき、小泉八雲が書き、それを書きあらためたものが、小学校の教科書に採用された(昭和12ー22)。

 広村の庄屋五兵衛は地震を感じたあと、家の庭に出て、下の村を見下ろす。五兵衛の屋敷は、高台にあった。村人たちは、豊年を祝う宵祭りの準備に興じている。その先の海に目をやって異常に気づいた。水が沖へと引いて、広い砂浜や岩が現れてきている。これは津波がやってくる。そう直感した五兵衛は、急いで村人に知らせようと、庭先に積んであった稲束に次々に火をつける。刈り取って干してある大事なものだが、今はそんなことをいっておれない。下の村では、「大変だ、庄屋さんの家が火事だ」とみなが駆け上がってくる。五兵衛は「火はそのままにしておいてよい、村中の人に来てもらえ」と、全員を高台によび集めるよう檄を飛ばす。全員の避難が確認された。そこへ大津波がやってくる。

「見ろ。やってきたぞ」
 たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指差す方向を一同は見た。遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。その線は見る見る太くなった。広くなった。非常な速さで押し寄せてきた。
「津波だ」と、誰かが叫んだ。海水が、絶壁のように目の前に迫ったかと思うと、山がのしかかって来たような重さと、百雷の一時に落ちたようなとどろきとをもって、陸にぶつかった。人々は、我を忘れて後ろへ飛びのいた。雲のように山手へ突進してきた水煙の外は何物も見えなかった。人々は、自分などの村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。二度三度、村の上を海は進み又退いた。高台では、しばらく何の話し声もなかった。一同は波にえぐりとられてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下ろしていた。稲むらの火は、風にあおられて又もえ上がり、夕やみに包まれたあたりを明るくした。

 挿絵入りのこの話を、今度の津波のことですぐに思い出したが、詳細は記憶の彼方に消えている。しかしネット検索をすると、あった! 防災システム研究所のHPにある「稲むらの火」である。そこには、歴史的事実とともに、五兵衛のモデルになった人のこと、世界にこの挿話を紹介した小泉八雲のこと、そして小学校教科書に収録された事情などが詳細に書かれており、そして、仮名遣いを現代のものに変えた全文が収録されている。この文を教科書に再掲載しようという運動もあるらしい。

 よく知られていることだが、小泉八雲がこの話を英語で書いて出版したことにより、津波のことが、世界に知られ、"tsunami” は世界中で津波のことをさすのに使われる用語となっている。これについては、今日(04/12/29)の朝日新聞「天声人語」が書いている。

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コメント

たいへん味わい深い、一節でございました。
以前の教育の方が、効果的に防災教育を行っていたことが、理解出来ました。小さい時からの、こうした教育は、本当に大切と、今回しみじみと思いました。

実は私は、小学校で先生から「日本海側には津波はないので、地震の時は浜へ逃げろ。」と口すっぱく教えられました。「津波は、リアス海岸特有の現象で、まっすぐな浜には起きない。」と教えこまれたのです。

その後、大学の地質の講義で、日本海にも津波が起きる事を知りましたが、小さい時に習った事の方が、どうしても、正しいような気持ちになるのでした。

その後程なく、日本海中部地震の津浪が起き、自分が習ったことは何なのだろうと、背筋が冷たくなりました。
広範囲に、こうしたデマが、撒き散らされていた事が判明し、
海岸の造成地に工場を誘致するための宣伝であった事が、分っています。
該当地域からは若者が消えました。

投稿: U-1 | 2004/12/30 23:32

日本では津波のことはよく知られているし、地震があれば、すぐに津波への警戒が呼びかけられます。それでも日本海中部地震のようなことが起き、もっと防災教育が必要だといわれています。「稲むらの火」は、もっと知られていい話でしょう。

投稿: アク | 2004/12/31 10:14

アクエリアン様有難うございます。
教育は、何のためにあるのか、根本から考えさせられます。
こうした、すぐれた教材は復活してもらいたいものですね。


大学生のブログに、英国の小学校教育が、百人の命を津浪から救った記事が、ありました。この学生、ともども、賢いことでございます。
(このAndrew Kearney先生が、ハーンのスケッチを用いたかは、定かでありません。)
http://blog.goo.ne.jp/kkeita5129/

投稿: U-1 | 2005/01/08 00:51

U1様からのトラックバックで入ってみて、楽しく読ませて頂きました。「稲むらの火」はまさに津波に対する示唆を与えています。同様の言い伝えが他にもないものかと思っています。
私のサイトでは、ふるさとで聞いた「さんぞうぶね」という地名に関わる言い伝えを掲載しています。

投稿: 地理の部屋と佐渡島・管理人 | 2005/01/10 10:22

U1さん、地理の部屋と佐渡島・管理人さん、コメントをありがとうございます。
 今日(05/1/12)のNHK「その時歴史は動いた」で、「稲むらの火」の物語の主人公濱口梧陵が取り上げられていました。私たちが教科書で習った話は、津波を予知して村人たちを稲むらの火で救ったことが中心でしたが、その後の村の復興と、堤防を築くという防災に、梧陵が奮闘したことを中心とした番組でした。災害時の救命、復興、そして将来を見据えての防災と、じつにすぐれた考えの持ち主ですね。自分の事業の収益を投じて村のための公益事業を行ったのは事業家としてもたいしたものです。彼の事業がヤマサ醤油として続いているのもうれしいですね。
「その時歴史は動いた・204・百年の安堵をはかれ」の再放送は、1/20(木)の深夜 00:55からあるようです。

投稿: アク | 2005/01/12 22:31

アクエリアンさん、お知らせありがとうございます。
幸い、夕さんという方が、コメントで知らせて下さり
この素晴らしい番組を見ることが、出来ます。

災害後のことは、はじめて知りました。萎えた人々の心を、太陽の下で、有意な仕事につかせることで、立て直した功績も素晴らしいと思いました。

日本には古文書解読ファンが多く、考証がしっかりしていて良い番組となっていました。
(古代ローマ物は、日本に資料が少ないのと、読める人も少ないのに乗じてかインチキ、酷かった。嗚呼)

ヤマサ醤油、一味違いそうですね。

投稿: U-1 | 2005/01/14 16:10

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