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2005/04/24

ネット歴17年記念日

 インターネット・プロバイダーの Nifty から、会員になって17周年、との通知があった。ほう、もうそんなに経ったかと、いささかの感慨があった。プロバイダーは、最初に加入したNiftyを続けている。ものぐさ、というか、何かを変えることにエネルギーを使いたくないので、同じプロバイダーにお世話になった。

 17年前というと、研究現場から離れて、企画部門に異動させられて、ちょうど一年経った頃だ。東京へ単身赴任して、ほとんど毎日、真夜中を過ぎないと帰宅できないほどの激務の時期だった。そんななかで、なぜパソコン通信などに手を出したのか、動機を思い出せない。

 当時は、インターネットといっても、今のようにWebページを閲覧するなどという時代は来ていなかった。パソコン通信が主流だった。各プロバイダーに、「フォーラム」という名の電子会議室があって、さまざまなテーマで、議論が交わされていた。たとえば、「政治」とか「思想」とかの大きなフォーラムの中に、個々のテーマ別に小さな会議室があって、そこに書き込んだものを互いに読みあって、さらに書く、というようなことが延々と続いていた。パソコン関連の情報交換が一番盛んだった。

 個人でパソコンを持ち、使い始めたのは、かなり早いほうだった。NECの8201というお弁当箱のような小型パソコンや、富士通のFM-7などを使っていた覚えがある。まだ英字でしかパソコンが動かなかった頃だ。やがて漢字は独自仕様のNECのパソコンが普及した。それがIBM互換のPCに取って代わられた。私が漢字の使えるパソコンを最初に持ったのは、CompaqのAero(正確にはContura Aero)だった。これはIBM互換のノートパソコンとして、当時人気が高かった。東芝のノートパソコンが商品化されて20年との新聞記事(05/4/23朝日)があったが、当時はかなり高価だった。それを手が届く価格に引き下げてくれたのが、Compaqだった。それからさらに遅れて、IBMの ThinkPad が出て来た。

 東京で勤め、週末は水戸で過ごすという生活をはじめて、一年。そんななかで、読んだり書いたりする道具としてノートパソコンが必要だった。Aeroを入手したのを期に、電子メールやパソコン通信を始めたのだったか。それともその前だったか。個人情報を整理するフリーソフト(今でいうとOutlookに相当するようなもの)を開発している人がいて、その人を中心に電子会議室があった。そこに出入りし、オフ会に参加したりしたのを覚えている。電子会議室は、どんな風な仕組みで成立していたのか、忘れてしまったが、"AirCraft"という名のすばらしいソフトがあって、自分の読みたい会議室を登録しておくと、自動的に巡回して、情報を取ってきてくれるのだった。

 やがて、Windows の時代がやってきた。それ以前にアップル社の、マッキントッシュ(Mac)が、同様のものとしてあり、Windowsはその模倣に過ぎなかったが、Macは個人が手を出すには高すぎたし、ノートがなかった。はじめて小型ノートパソコンにWindowsを載せてくれたのは、東芝製のLibrettoという名の、可愛いパソコンだった。すぐに飛びつき、これを何代か買い換えて使った。

 インターネットをする、というのは、今ではホームページ(HP)を読みに行ったり、自分で書いたりすることをいうようだ。私がそれをするようになったのは、仕事の面で少しゆとりができてからだった。それまでは、パソコンは仕事と自分の記録などのためのもの。他人が何をしているかなどには、目が行かなかった。HPが情報の宝庫だと、目を開かれたのは、それからだった。

 メーリングリスト(ML)やHPの掲示板での意見交換に参加し始めたのも、その頃からだった。シニア世代の集まるMLに参加したり、自分で主宰したりもした。今でも写真関係でのHPつき合いはは続いている。そこで多くの人と知り合ったし、その何人かとは親しい友人となった。インターネットがなかったなら、とうていそんなことはあり得なかった。

 退職する前年から、自分のHPを持った。読んだり、考えたり、行動したりの、自分の生活を、そこに書くということが、しだいに自分の生活の軸になってきた。なんとなく始め、デジタルと情報革命の時代に、消極的についていく程度のつき合いだったが、今では、生活のある部分として欠かせないほどのものになってしまった。

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コメント

なつかしい名前PC-8201が出てきて、思わずコメント。
ここに写真がありました。私は、この赤いのを使っておりました。

http://my.reset.jp/~toragiku/kopa/8201.htm

まるっこい角のマシンで、たしか紫の電源ボタンだったContura Aeroも持っていたので、なんだかとてもなつかしくなりました。たしか、lotusのスケジュールソフトOrganizerが同梱されていましたね。ネットワークの世界が変化することで、出会う人もどんどん入れ代わっていく感じがします。

投稿: miyakoda | 2005/04/24 18:59

miyakoda さん、どうも書き込みありがとうございます。
PC-8201の写真をエントリの挿画として載せようかと、引っぱり出してきたのが、まだ机の上にあります。結局は載せませんでした。教えていただいたページを見に行きました。すごいページですね。私のはアイボリーホワイトで、NECのパソコンの標準色ですが、ほかの色のもあったのですね。アメリカで姉妹機がTandyから出ていて、解説書も出版されているのを使いましたが、京セラのOEMとは知りませんでした。Aero、たしかにLotus Organizer がついていて、それゆえにあのソフトを愛用したのを思い出しました。画面がメモ帳的にでいていて、タブなどもついていました。懐かしいですね。

投稿: アク | 2005/04/24 20:41

Niftyのフォーラムが懐かしくて、つい出てきてしまいました。

初めて購入したパソコン(Quadra840AV)に、ニフティーサーブの入会案内が付いてきたんです。
1200bpsのアクセスポイントが市内にあったので、興味本位で登録したんですが、
そのフォーラムには随分とお世話になりました。

バグ情報など今ほど対応が早くなかったし、何より
マニュアルを見てもちんぷんかんぷんの初心者に、わかりやすく言い換えてくれる方がいらして、
(当時のマニュアルは今読んでも難しい)
NiftyServeのフォーラムのおかげで、今が食えているようなもんです。

近年Windowsも使うようになって、別のプロバイダに乗り換えちゃったわたし。
あんなにお世話になっておきながら、不義理なやつです。

それにしても、アクさん、17年のネット歴って凄いっ!
うわさに聞く「受話器に変換器?」をつけての通信だったんでしょうか?

投稿: にゃんこ | 2005/04/27 11:33

にゃんこさん、おひさしぶりです。
 そうでしたね。最初は、NiftyServeという名前でした。「受話器に変換器」というのは、信号を音声に変えて送っていたヤツですね。さすがにあれは使いませんでした。最初からモデムです。外付けで、かなりの大きさがありました。
 NiftyServe のフォーラムでパソコンやソフトのトラブルの相談にのってもらったのですね。それで今食えている、とは。今では所属しているどこかのMLで質問すると、たいてい誰か詳しい人がいて、教えてくれますね。マニュアル読んだり、会社に電話したりするより、早いですね。

投稿: アク | 2005/04/27 13:17

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