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2005/04/04

大分へ、何十年ぶりかの「帰郷」

 大分市は、幼年から少年の時期を過ごした思い出多い場所である。小学校4年途中から高校2年までを、そこで過ごした。米軍機が市内を焦土と化した空襲、その果ての終戦、食糧不足の中での買い出しや代用食、新憲法と民主主義の到来、学制改革による新制中学と新制高校のスタート、朝鮮戦争による復興景気・・・・そんな変動の時代のすべてをそこで経験した。栄養不足のせいか、極めて晩生(おくて)ではあったが、この場所で私は、青年への生長を始めたのだった。

 旧制の中学と高女が統合されて、市内に唯一の高校ができて、そこに進学した。市の中心部から少し南に離れた丘の上にある旧制中学の古めかしい校舎が、私たちの学びやだった。3年生になってすぐ、父の任地が変わり、東京に転居した。だからその高校の卒業生ではない。この高校の同期生が、古希を迎えたのを機に、みな故郷に集まろう、という催しがあり、卒業生でない私にも声がかかった。明日大分に出かけるのはそんなわけである。

(このエントリは、3月30日に東京自宅から書き込もうとしたものなのだが、手持ちのノートパソコンが故障し、予備に置いてあったパソコンから書き込もうとしたところ、これがWindows95という古いシステム。メールはできても、cgi形式の書き込みに対応していなかったため、入力できなかった分である)

 連れ合いのみやと会ったのは、その大分でだった。彼女の家族は、終戦に伴い朝鮮から引き揚げ、大分県長洲にある父親の実家に一時身を寄せたが、やがて大分県庁に勤め、大分市にやってきた。彼女が小学校6年のときだった。転校してきた小学校(当時はまだ、国民学校と呼ばれていた)に、私が同学年でいたわけである。新制になった中学校にともに進み、彼女は中2の夏に東京へ去った。父親が中央官庁に職を得たからであった。

 そんなわけで、みやはこの高校には縁がないが、友人はけっこういる。関心を寄せられたり、そのせいでスカートまくりをされたのが忘れられないという悪ガキもいる。長い物差しで、後ろから女の子のスカートをまくって、やーいと言って、遁走する、といういたずらを、その頃ませた男の子がよくやっていた。未熟で真面目一方だった私は、考えもしなかったことだ。古希同期会の呼びかけがあった時に、一緒に行こう、ということになったのは、そんなあれこれがあって懐かしい地を二人で訪ねてみたいと思ったからである。

 卒業生は東京圏にたくさん進出していて、定期的に集まっている。京阪神にも、九州の中心福岡あたりにも移住した人は多い。しかし多くの同期生は地元にいる。その連中が世話人会を作って会の企画を進めている。明日から4日ほど滞在して、同期会に出たり、二人で思い出のある場所を訪ね歩きたいと思っている。

 久しぶりに会う友たちと、「・・・しちょる」とか、「・・・やっちゃらんか(してくれないか)」などの大分弁を思い出して、話し合うのを楽しみ、出かけてくる。友人は私のあだ名「オウチャン」を思い出してくれることだろう。これはブドウ園(Orchard)に由来する。英語朗読劇でやったイソップ物語に出てきた、その単語が、いつの間にか私のあだ名となったのである。

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