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2005/04/05

雑誌『風の旅人』の定期購読を更新して

 このブログで何度か紹介してきたが、雑誌『風の旅人』を愛読している。いまどき希有な雑誌だと思う。映像を主体とした雑誌だが、単なる写真雑誌ではない。問題を投げかけてくるテーマ性のある雑誌だが、社会問題を主とするグラビア誌とは違う。風土と文化を中心に据えているようだが、既成のいかなるものの見方の枠にも収まらない、独自の「自然−人間」観を問いかけている。深い思索を求めているようでいて、決してその方面の専門を目指さず、誰でもが読め(眺め)、理解できるものを目指している。大衆性を求めず、大衆に訴えている。編集者佐伯剛がユニークな方針にもとづいて創っている雑誌だが、優れた映像作家と執筆者をして、言葉を超えたものを暗喩的に表現させている。その指し示すものを、どう受け止めるのかは、読者に委ねられている。表現者と編集者の意図を、私が的確に受け止めているとは、とうてい言えないのだが、いつも強い刺激と、多くの示唆を与えられている。

 2年の定期購読期間が終わり、編集者佐伯剛の名前で継続依頼の文書が届いた。さすがユニークなものだ。「この世知辛い時代に、『風の旅人』のような雑誌を読み支えていただき、心より感謝いたします」との書き出して、こんなことが書いてある。

『風の旅人』は、創刊当時から、広告掲載がないということで、事業を継続するのは難しいだろうと同業他社から冷めた目で見られていました。また、この種の雑誌は日本では売れないだろうと言われ続けました。そういう言い方をする人達は、日本で売れる雑誌というのは、娯楽であり、セックスであり、ゴシップだと決めつけているのです。日本は、世界でもっとも教育水準の高い国ですから、アメリカやヨーロッパの真似事ではなく、日本人的な感受性や考え方を大事にしながら、付き合えば付き合うほど愛着が増していくようなものをつくれば読者が増えていく筈だと信じて、私どもは編集を行っております。

 必要な情報を探すだけなら、雑誌でなく、インターネットで充分です。私どもが目指すものは、言葉と映像をつむぎ、これと出会わなければ体験することができなかった良質の質感を与えてくれるものであり、ぺ一ジを開くたびに新しい発見があるものです。出会いの喜びというのは、きっとそういうものだと思うのです。もしかしたら、物と情報と人間が溢れる日本に一番欠けているものは、そのように心から大事にしたいと思える出会いなのかもしれません。
 

 編集者佐伯剛は、半年ほど前から、ブログ『風の旅人』編集便りに、編集者の考えや編集過程のもろもろを書いている。読むたびに、私のような理系人間には計り知れない懐の深さ、感性の拡がりがそこにあって、それが雑誌の含意の深みを創りだしているのだな、と知るのである。そのことを、本人は上記引用で「言葉と映像をつむぎ、これと出会わなければ体験することができなかった良質の質感」と表現している。なるほど。

 創刊以来「森羅万象と人間」という大テーマのもと、各号ごとに「天空の下」「水の惑星」「森の記憶」・・「都市という自然」・・・「文明と荒野」と続いたものが、12号から大テーマが「『自然』と『人間』のあいだ」と替わり、各号のテーマは「混沌から〈かたち〉へ」「生命系と人類」ときている。最新号は、セバスチャン・サルガドの生物種の多様性をテーマとする「GENESIS(創世記)」や、野町和嘉の「アンデス・神々の山嶺」などを筆頭に、すばらしい画像を見せてくれている。ページを繰りながら、一枚一枚の強烈な画像に、言葉にならないものを感じる。いつかこのブログで紹介した白川静の自筆の巻頭エッセイも続いていて、雑誌に盛られた言葉の迫力もすごい。

 雑誌は過ぎゆくものだが、この雑誌は毎号が命を持って、生き続けているように思える。いい雑誌に出会えて、よかったと思う。上に一部を引用した依頼状の終わりの部分に、「日本には『風の旅人』のような雑誌の読者が想像以上にいるという手応えを私どもは感じています」と書いてあって、頼もしい。持続を期待したい。

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