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2005/04/10

映画「永遠(とわ)の語らい」

050410Towano

 ポルトガルに旅をしたこともあって、にわかにポルトガルづいている昨今、評判の映画「永遠の語らい」を昨日観た。水戸芸術館で2週間後にあるファド歌手クリスティーナ・ブランコのコンサートの関連で、映写会をしてくれたのである(上記リンクはAmazon販売のDVD紹介)。

 観ながら、そして見終わって、なんとできの悪い映画なのだろうと、期待していただけにがっかりした。それが第一印象である。しかし、くりかえし思い直してみると、現在96歳で現役のオリヴェイラ監督が、2003年に作り、ヴェネチア映画祭に出したこの映画で、何を言いたかったがだんだん分かってきた。西欧人が今、イスラム世界起源のテロリズムに出会っての衝撃、理解不能をそのまま描写したかったのではないかと。

 リスボンで歴史を教えている女性大学教授が、6,7歳ほどの娘を連れて、インドボンベイまでのクルーズに出る。前半は、リスボン港から始まり、マルセーユ、ナポリ、アテネ、イスタンブル、エジプトと、地中海世界をたどる観光案内のようなものである、母親が娘に、西洋文明の歴史を語る。画面は意図的にそうしたのかもしれないが、カメラワークは拙劣で、素人のビデオを見るような印象だ。母親の語る、あるいはたまたま出会った人が話して聞かせる観光案内は、ごく入門的で、格別のことはない。ポンペイの滅亡をなぜと問う娘に、「ふしだらな生活をしていた人々に、神が罰を与えた」と歴史学者の母。「ふしだらって?」と娘の問いは、「自然の与える災害は、人類の営みを超えたものだ」とそらされる。人間の歴史と文明の足跡をたどる航海、という映画のうたい文句だったが、この程度のものなのかと、唖然とする。幼児を相手に母親が語るという設定では、とうてい無理なのだろう。

 後半では、3人のセレブな女性と船長の食卓談義となる。カトリーヌドヌーブ(フランス)をはじめ、著名なイタリア、ギリシャの女優が登場する。この会話が、映画の主要部分なのだろうが、じつに中途半端。4人がそれぞれの過去を語るという告白ゲームらしいのだが、ほとんどテーマらしきものが、浮かび上がってこない。唯一、監督の主張らしきものは、4人がそれぞれの母国語で話し、それをお互いが通訳なしに理解し合って会話が進むという点である。ヨーロッパの多言語世界の共存を示唆しているようだ。その中で印象に残ったのは、ギリシャ人は、ギリシャが西洋文明の発祥であるにもかかわらず、ギリシャ語が通じるのは自国だけだ、それに比べると英語は、世界全体を植民地化した、という言葉だろうか。

 日本の観客にとって問題は、この多言語で会話が進んでいることが、日本語の字幕の上では、何も分からないことだ。ヨーロッパ人が見れば、非常に面白いと感じる、この点が、日本語版では抜け落ちてしまう。これについては、「映画キ日記」が取り上げて書いている。この映画は、やはりヨーロッパ人のために作られた映画で、その意味合いは、ヨーロッパ人にしか理解できないもののようだ。

 絢爛豪華な登場人物だが、4人の食卓をはさんでの会話は、淡々としたカメラワークで描写されている。上出来とは思えないせりふが、さりげなく進行し、撮影も凝らない。固定カメラに近い。せっかく出演した女優たちは、個性的な衣装を身にまとっているようだが、あまり綺麗に撮れていない。カトリーヌ・ドヌーブなど、魅力的な視線はともかくとして、しもぶくれのお顔はいただけない。そういうことにこだわらない監督さんなのだろう。

 そんなだらけた映画が、最後の衝撃的なシーンで締まる。この部分は、詳しく語るべきではないだろう。唐突に、映画が終わる。テロである。呆然とした船長の顔の大写しに、エンディングのキャストやスタッフの字幕が長々と続く。「え! これでお終い?」と、観客もきょとんとしているうちに場内の灯りがともる。

 最初に書いたが、この唐突で衝撃的なエンディングこそが、この映画の訴えたかったことで、それまでのだらだらは、その下準備にすぎなかったのだろう。そう思えば、下手な観光案内部分や、こなれていない会話の部分も、あり、かと思える。

 娘と地中海文明の歴史をたどるクルーズの旅は、突然中断される。歴史学者の頭にある歴史の先にある希望も、娘の未来もそこで、突然デッド・エンドとなる。なんという終わり方なのだろう。だが、ヨーロッパ人にとって、9.11テロの衝撃は、そのようなものだった。アメリカで起こったことだが、ヨーロッパ人にとって、ほとんど自分の身に起こったことと思えた。それは、まったく受け止めがたいものなのだと、監督は映像で表現したかった。それが、この映画なのだと、私は理解した。

 【タイトル画像は、dkというタイトルの、こちらのブログから借用しました。】

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コメント

私も、全くこの映画はよく分からずじまいでした。アクさん達が、お出かけになるまえに、ちらっと4月にこの映画をみますというお話をうかがった時には、少し言いにくいので遠慮しておりました。

でも、本当に何と申しましょうか?私はもっとポルトガルを舞台にしているのかとも思っていました。

ただ、私としては、あの映画の舞台は、行っているところが多かったので、懐かしいというだけでした。ポンペイもあまりどうという事もありませんでしたねえ。
がっかりした映画でした。今だから。はっきり言いますが。

投稿: 美千代 | 2005/04/10 16:36

美千代さん、コメントありがとうございました。私たちがこの映画を見る前に、予断を与えないようにと配慮して、口籠もられたのは、分かります。しかし私がこのエントリで書いたのは、つまらない映画だったということではありません。私は、いつも辛辣に書く方ですから、そんなふうにとられたとしたら、私の書き方が足りなかったからでしょう。最初の印象は、「?」 でしたが、考え直したあげくに、この映画をどう理解し、評価するかを書いたつもりです。

投稿: アク | 2005/04/10 21:28

アクさん

アクさんの書かれたことを、理解したつもりでしたが、私は映画をそこまで評価しませんでしたから、その通りに書いたのです。

大丈夫、お書きになっている事は、分かっていました。
それでも、あえて、私の映画の理解力の浅いところをそのまま、書いたのです。

はっきり言えば、私はあまり好きではなかったのでしょうね。

投稿: 美千代 | 2005/04/10 21:52

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