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2005/06/20

米で原爆開発60周年記念行事、日本ではまもなく原爆60年記念日

 毎日新聞の片隅にある記事が目をひいた。記事にあるオークリッジは、かつて共同研究で何度か訪問したり、短期滞在もしたことのある場所である。原爆開発の時期には、原料の生産工場が置かれたゆえ、テネシーの渓谷深く、一般人には知られることなく隠されていた秘密都市だった。そこで、原爆開発60年の記念行事が行われたという(毎日新聞05/6/18「原爆開発60年:米テネシー州で記念行事」)。なぜ6月16日が記念日なのか、よく分からないが、原爆開発史はかつて興味を持って調べた分野なので、思いあたることを書いてみたい。

オークリッジから出荷された広島原爆のウラン 1945年、第2次世界大戦、終戦の年。原爆の開発は、5月8日のドイツ降伏で目標を失ったかのように見えたが、4月12日に亡くなったルーズベルト大統領の後を継いだトルーマンが、日本への原爆投下を決断した。それも日本に最後のとどめを刺し、戦後予想されるソ連との軍拡競争で優位に立つため、できるだけ早く実戦に使っておきたいと、夜に日を継ぐ突貫作業が行われた。ニューメキシコ州アラモゴードでのプルトニウム爆弾のテストが7月16日。ポツダムで日本に無条件降伏を促す宣言が3巨頭(チャーチル、スターリン、トルーマン)で話し合われていた席に、その成功が伝えられたのも同日。そして、ウラニウム型の原爆リトルボーイを爆弾格納庫に納めて、エノラゲイがテニヤン島を離陸したのが8月6日。そんな切迫した進展の中で、広島に落とされた原爆の材料である高濃縮金属ウランは、すべてオークリッジで生産され出荷された。記念日とは、そのウラン生産あるいは出荷の何かの節目を記念しているのだろう(テニヤンに向けての最終出荷は7月25日だったと記録にある)。

毎日新聞の記事を一部引用しよう。

 米テネシー州オークリッジで16日、原爆開発60周年記念イベントが開かれ、マンハッタン・プロジェクトと呼ばれた原爆開発製造計画に関与した研究者らと家族約70人が参加した。
 オークリッジは広島に落とされた原爆に使用されたウランを分離・濃縮した工場があり、プルトニウムを生産したワシントン州ハンフォードや、原爆の設計製造を担ったニューメキシコ州のロスアラモスなどと共に、マンハッタン計画の中核となった。

マンハッタン計画 原爆開発のためのマンハッタン計画は、じつに周到に、多重的に、最高・最大の資源を集約して行われた。いくつかの可能性を同時並行で複数の場所で進め、いずれかが技術的困難にぶつかっても、他の方法が代替するという具合にである。中核となったのが、上記記事のロスアラモス、オークリッジそしてハンフォードであった。オークリッジでは、濃縮ウランの製造が行われた。K-25と暗号で呼ばれる大規模工場で気体拡散法による濃縮ウランの生産の準備が進められたが、これは広島には間に合わず、その直後にはじめて生産を開始した。広島に使われたのは、電磁法と呼ばれる大型質量分析器と熱拡散法を組み合わせたものであった。ウラン原子を一個一個イオン化し、真空中を磁場のもとでとばし、原子の重さの違いで、より分ける方法である。そんな方法で数十キロという量の濃縮ウランを生産するなどとうていできそうに思えないが、それをやってしまうのが、アメリカのすごいところである。Y-12と呼ばれる地区に、超大型の電磁石を使った質量分析器をレーストラック状に1000個並べたシステムを2系統設置し、1年足らずで必要な量を生産してしまった。ここから広島に使われた濃縮ウランが出荷された。こんなものすごいことが行われた同じ時期に、日本では、米軍の本土上陸に備え、隣組ごとに竹槍訓練が真剣に行われていたのだから、彼我の軍事力格差は超絶的である。

原爆開発について日米の見方の違い 毎日新聞の記事は、同趣旨のものが他紙にないし、外電にもないようだから、たまたま記者(國枝すみれと署名あり)が、この地を訪ねたときに、記念行事に遭遇したのだろうか。記事の中で、原爆開発に対する米側関係者と日本人との見方の違いを書いている。

 参加者のほとんどが「原爆投下は戦争終結のため必要だった」と話し、「原爆」に対する日本人との溝の深さを感じさせた。
 この町の人々は、日本人が繰り返し、原爆の罪を主張し続けることに大きないらだちを感じ続けているという。

私の見方 私は、ロスアラモスやオークリッジの現場も見たし、原爆開発史については、興味を持って調べたことがある。原爆開発について、従事した科学者や技術者は、あのような状況の中で、戦争終結のために彼らなりのベストを尽くしたものであるとして、私は、その技術的達成に畏敬を感じこそすれ、その罪を問う気にはなれない。科学が人類の歴史の中で担わされた宿命の恐ろしさを感じ、慄然とする。しかし、一般市民の住む市街地への投下を決定したのは、政府なり軍であり、その罪は、人類史上消えることなく記憶されると思う。

原爆開発史は風化してもいい、しかし 原爆開発から60年。開発の中心にいた人々はほとんどこの世を去ってしまった。若くして、それに従事した人々も老年となっていよう。歴史に残る技術開発の場にいたことを記念したくなる気持ちは分かる。そして一方、広島では被爆60年の記念日が近づいている。被爆者は同じように老齢化している。開発の歴史は過去になっても、被爆体験は、核兵器の脅威が現実の問題としてある以上、過去のものにしてはならない。

中性子科学のセンターとなるオークリッジ 現在オークリッジで、核兵器物質の生産が行われているかどうかは知らない。保安上外国人立ち入り禁止の区画は依然としてある。しかし研究所の主要部分は平和目的の研究、それも原子力を離れた基礎研究や環境・エネルギー分野の研究にシフトしている。この研究所には、世界最強の中性子ビームを発生する研究用原子炉がある。そこに私らのグループの考案した実験装置もあって、多くの研究成果を上げた。現在この研究所では、次の世代の中性子科学のために加速器を使った強力中性子源の建設が進んでいる。完成したら、中性子を使った基礎科学(生命・材料研究など)の研究が格段に進み、医療や新材料開発など、人々にとって有益な研究成果が生み出される場所となっていくことだろう。ついでにいえば、それに匹敵する加速器中性子源の建設が茨城県東海村でも進んでいる。

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コメント

京大の瀬戸と申します。山田安定先生の弟子として中性子散乱を専門としてきた関係で、先生のお名前は良く存じております。この度は妻から紹介されて(妻のブログにTBして頂きました)参りました。

オークリッジは、10年ほど前に1ヶ月ずつ、2回に渡って家族と滞在しました。妻も書いているように非常にのんびりした町だ、と言う印象で、今は平和研究が中心です。しかし原爆研究の傷跡は実は至る所にあって、放射線障害で苦しんでいる住民もいる、と言う話を中国新聞の記事で読んだことがあります。(http://www.chugoku-np.co.jp/abom/nuclear_age/us/020310.html)
原爆の被害に苦しむ同胞もまた多いことを、アメリカ人は、そしてオークリッジの住民は知っているのでしょうか?

投稿: せと☆ひでき | 2005/06/22 18:00

瀬戸さん、はじめまして。奥様のブログにオークリッジ滞在経験のことが書かれていたので、どの分野であそこに行かれたのかと思っていましたが、同業者とは驚きです。

 アメリカにもビキニ環礁の住民をはじめ、原爆の実戦訓練に参加した兵士、生産に従事し放射線を浴びた人など、かなりの数の被害者がいるようです。ルーズに処理された放射性廃棄物などによる被害もまだこれから出てくるでしょう。ただ核兵器の保有については、当然視する世論の中、被害者の声が大きくまとまるのは難しいのでしょうね。

 原爆開発や、広島・長崎への投下についての国民感情に、日米に大きな差があるのは、毎日新聞の記事の通りですが、アメリカというのは、そういう国なのだと受け止めるしかないでしょう。人間の社会というのは、不正義が不正義としてただされ、正義が勝っていく、というような理想的なものではなく、おかしなことが、力を持つゆえに通っていく、そんな面もあるのです。

投稿: アク | 2005/06/22 21:14

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原爆60年 米テネシー州で記念行事 日本人との間に溝というニュースを見ました。 [続きを読む]

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