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2005/06/13

Blog一年

 ブログなるものをはじめて、早くも一年が経ってしまった。自分のブログ生活について感じることを書いてみよう。ブログは、気楽に書けるメモ帳のようなものである。思いついたことを気軽にメモする気で、何でも書けばいい。普通のHPを並行して運営しているから、こちらには断片的、素材的な記事を書き、まとまりのいいものを本館に書こう。そう思って始めたのだが、そうはならなかった。ブログに書くことが、インターネット活動の主要部分になっている。HPの本館は、パートナーのみやが書く海外旅紀行が。主な新規記事になっている。私は編集し、写真を添えることぐらいしかやっていない。別館のフォトギャラリーはたまにしか更新していない。

ブログが生活の軸に ブログに書き込むのは、そう頻繁ではない。時には1週間ぐらい間が空いてしまう。そんな状態でこういうと笑われしまいそうだが、ブログを書くことが、自分の生活のかなり主要な部分を占めている。数はそう多くはないが内外のブロッガーたちが何を書いているかを読み、新聞や雑誌を読み、関心のあるテーマについてサーベイをし、そんな中からエントリの構想が浮かんでくる。何をブログに書くかを中心に、自分の知的生活は回っている。読み、考える「多元草稿的(ダニエル・デネット)」な時間が、一つのブログエントリを生み出すまでにかかっている。途中で稔らずにそのままになってしまう草稿も数多い。

重く長いエントリ ブログが重くなった、と自覚する。自分にとって重いのはいい。読み手にとっても重くなったように思う。こんなことを書いて誰がしっかり読んでくれるか、と思うこともある。あるテーマについて、まとまったことを書こうとすると、どうしても長くなる。長いブログはよくないと、分かっているが、短く書けないことが多い。書くとすぐにチェックして、てにおはの誤りや読みにくい文章を指摘してくれるパートナーにすら、今度のは、最後まで読まなかった、と無視されるエントリもある。まあ、仕方がない。

軽い時流に乗れない 軽やかに、というのが、今の時流だろう。メールのやりとりにしても、若い人の書きぶりは、一般に軽快である。断片的な言葉の投げ掛け合いのように見える。パラグラフを切って、しっかり書いたものは敬遠されがちだ。斜めに読むらしい。ときには大事なことを読み飛ばされる。それが現代風だと分かっていても、私にはそれはできない。じっくり腰を据えて書く愚直さを好む。

自分のためのブログ書き エントリは、もちろん一般読者に読んでもらうために書いているのだが、あるテーマについて、自分の考えをまとめることに意義を見いだして、書いていることが多い。さまざまな事柄や問題に興味を持って調べたり考えたりしている。ブログに書きとどめなければ、一時的に想念をよぎっただけで終わってしまう。あるいは私的なノートに走り書きする程度に留まる。ブログに書くことは、考えを深め、文章として磨き、記録に残すきっかけを与えてくれる。人前でまとまった話をしたり、本を書いたり、という機会のない一私人にとって、考えをまとめる最高の舞台を提供してくれている、ともいえよう。

良質なブロッガーたち 他人のブログを読み、書き手の話題の拾い上げ方や書き方の巧みさ、知識の広汎なこと、考察の深いことに感心する。信じがたいほどたくさん書くブロッガーがいる。そのエネルギーに圧倒される。ブログ以前には、一部の学者や知識人たちが、雑誌や本、テレビなどに発言する場をえていた。しかし今や誰でもが、ブログで発言している。専門家たちに引けをとらない言論が、ネット上に氾濫している。今日発生した事柄について、どう考えるか。必ず誰かが書いている。それを即時的に読むことができる。一億総何とか、とはいわないが、少なくとも何百、何千という人たちが質の良いエントリを書いている。

自分らしいブログ その仲間入りをしようとは思わない。歳だし、知的バックグランドが限られている。書き続けるエネルギーが低下していくのを自覚する。自分は自分のために、自分のペースで、自分らしいブログを書いていけばいいと思っている。時には軽く書くこともある。一般性のないプライベートな話題を書くのがそれである。大きなテーマと身辺雑記とが並置されている。もっとブログとしての特徴を出すべきだ、とも考える。しかし、雑然としているところが、私らしくて、それでよしとしている。

ブログのある老後 ブログがあることで、老後の生活にひまも退屈もない。適度の知的緊張を保てる。知的関心を多方面に向け、脳の活性を保てる。ブログを通じての人との交流も広がっていく。ブログはまことにありがたいものだ。

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コメント

こんばんは。ごぶさたしています。写真展ご苦労様でした。実は出かけてデジタル写真について教えていただこうかと思っていましたが、野暮用ができて行けませんでした。

ブログについてこれからどうしようかと思っていた矢先、アクエリアンさんのブログについての総括、考え方を読み大変参考になりました。

私が注目しているのは最近言われだしたオルタナティブ・メデアとしてのブログの役割です。現代社会状況についての市民サイトからの発信(ブログ)があり、それがマスメデアより優れた分析をしてくれます。アクエリアンさんのブログもその一つだと思っています。

私のブログ(From Dewanokuni)はそこまでは至らず、単なる地域情報提供に終わっています。その歴史性、地域性、現状から問題点を抉りだす視点が不足していることを感じています。しかし、見てくださる方が一日平均150名ほどですが、殆ど資料として活用している場合が多いようで、それもブログの役割の一つかとも思っています。自分自身の問題としてブログに書くことによって地域を以前より意識するようになったのは事実です。

どうも本家のHPはブログに奪われ開店休業ですが、自業自得かと諦めています。これからもご教示下さい。

投稿: | 2005/06/14 21:47

伸さん、おひさしぶりですね。こちらこそご無沙汰しています。From Dewanokuni は、毎日いい話題を発掘して続けておられるのを感心して読んでいます。書くエネルギーに圧倒されると、本文に書いたブロッガーのお一人です。オルタナティブとしてのブログの位置づけはまだ判然としませんが、読み手としては、たしかにウェイトが高くなっています。一般のメディアほど「公共性」を意識せず、個性ある発言をしていると承知して読むと、なかなか面白いです。個々の人が、個として発言する。それが個から個へととどく。大きな影響を与えるなどと高望みしなければ、それで充足でき、報われるものですね。継続が大事でしょう。伸さんの書くエネルギーに学ばせていただきます。

投稿: アク | 2005/06/14 22:42

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 ブログとよばれるものも、実にさまざまで幅も広い。この半年間つづりながら、試行錯誤をくり返した。もっとも、ドッグイヤーの時代に、およそ似合わない<ときどき>のペースではある。<我輩流>ブログのスタイルを模索した結果は、次のようなものだ。 1 コンテンツはためにな... [続きを読む]

受信: 2005/07/15 13:47

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