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2005/06/30

ITER断念、夢に踊らされ過ぎの報道

 核融合実験炉ITERの日本誘致断念について昨日(6/29)いくつかの新聞が社説を書いている。それを読んでいて、日本の科学ジャーナリズムの薄っぺらなことに、いまさらながらあきれてしまう。巨大科学技術計画となると、ジャーナリズムはどうしてこう夢に踊らされてしまうのだろう。

 技術の可能性をどう評価するのか。技術的に可能でも、経済的に実現可能か。可能かつ必要だとして、どの程度のタイムスパンで考えるか。限られた研究資源を、どの程度注ぐのが妥当か。競合する技術的選択肢(核融合はこの磁気閉じこめ方式だけではない)との間で優先順位の見通しがついているのか。国にとって本当に優先順位が高い研究課題なのか。その他もろもろ考えるべきことがあるだろう。推進当事者のもろもろの主張を、そのような視点から厳しく批判していくのが科学ジャーナリズムの役目だろう。それが、こういう話になると、途端に甘くなるのはどうしてなのだろう。

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酸っぱい葡萄だよ、ITERは

狐と葡萄 暑い夏の日、狐が一匹、ぶどう園に行きました。長い道を歩いてきたので、とても喉が渇いていました。見ると葡萄の房が垂れ下がっています。よく熟れてとてもおいしそうです。喉の渇きを癒すには絶好です。跳び上がって葡萄を獲ろうとしました。届きません。バックして助走をつけて跳び上がりました。届きません。何度も何度も試みました。最後は渾身の力を込めて跳びました。駄目でした。「あの葡萄はまだ酸っぱくて、食えた代物じゃあないさ」立ち去りながら、狐はそう呟きました。

つけたし オオカミがこれを見ていました。「駄目な狐だな。俺なら軽く届くぜ」オオカミは軽やかに跳躍し、おいしそうな葡萄の房を次々に、もぎ取ってしまいました。「ご馳走さん、いただき」。オオカミは、むしゃむしゃと葡萄を全部食べてしまいました。あまり夢中で食べたので、おいしかったのか、酸っぱかったのか分からないほどでした。そのうちにおなかが痛くなってきました。じつは葡萄はまだよく実っていなかったのです。ひどい下痢で、ずっとオオカミは苦しみました。

本当の葡萄を 前半は有名なイソップ物語{狐と葡萄)。後半は私の創作である。ITER(国際熱核融合実験炉)が日本に来ないことが正式に決まって、頭に浮かんだのはこの童話である。酸っぱい葡萄は「負け惜しみ」のことだ。しかし今回は負け惜しみでいうのでなく、ITERは本当に酸っぱいよ。酸っぱくてどうしようもない葡萄(ITER)を抱え込んで、ヨーロッパは体調を崩さなければいいが。日本はよかったね。負け惜しみでもいいながらも、様子を見ていようよ。もっとも時間はかかるよ。本当に酸っぱい葡萄だったと分かるには。その間に、こちらは熟しておいしい葡萄を別の葡萄園で探そうよ。

ITERについての私の意見は核融合実験炉誘致断念に思う(05/5/16)に書いた。

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2005/06/26

肯定-否定の軸に、考えの深さの軸を

 前回書いたエントリを再考するヒントを、美千代さんのコメントからもらった。美千代さんのやんわりとした表現を、身も蓋もなく言ってしまえば、「なんだか難しそうに書いているけど、そんなことみんな分かっていることよ」としていいだろう。その通り。「肯定主義」などと難しそうに言っているが、私たちが毎日普通に生活していくのに、当然の考え方なのだ。そこでちょんにしてもいい。だけど、そうもいかないともう少し書いておきたい。

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2005/06/24

大風呂敷、しかし納得できる、須原一秀の近著

 須原一秀の書いた『〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組』(新評論、2005/2刊)を読んだ。本のタイトルの誇大なことにまず驚く。「現代の全体をとらえる」とか「一番大きくて簡単」など、よく言うよ、といいたくなる。しかし、読み進めてみると、いちいち納得のいくことばかりである。そうだよな、と読んでいるうちに、ふだん漠然とこうだな、と考えていたことを、的確な表現で、ズバリ言い当ててくれているのに気づく。私だけではなく、ほとんどの人が、本音のところ、こう考えているのではないか、と思える。著者のいうことについて行けない、引っかかる、と考えるとすれば、知識人の悪弊として著者が指摘している「否定主義」(以下参照)にいまだに囚われているからだと考えてみた方がいい。

 著者の主張を、ひとことでいえば、現代の大衆社会を丸ごと受け入れるのがいいんだ、ということである。現代の大衆社会を作っている柱は、民主主義、資本主義、科学技術である。それぞれに問題を抱えているが、それで成り立っている世界を肯定的に捉えていくしかないんじゃないか、ということ。

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2005/06/20

米で原爆開発60周年記念行事、日本ではまもなく原爆60年記念日

 毎日新聞の片隅にある記事が目をひいた。記事にあるオークリッジは、かつて共同研究で何度か訪問したり、短期滞在もしたことのある場所である。原爆開発の時期には、原料の生産工場が置かれたゆえ、テネシーの渓谷深く、一般人には知られることなく隠されていた秘密都市だった。そこで、原爆開発60年の記念行事が行われたという(毎日新聞05/6/18「原爆開発60年:米テネシー州で記念行事」)。なぜ6月16日が記念日なのか、よく分からないが、原爆開発史はかつて興味を持って調べた分野なので、思いあたることを書いてみたい。

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2005/06/13

Blog一年

 ブログなるものをはじめて、早くも一年が経ってしまった。自分のブログ生活について感じることを書いてみよう。ブログは、気楽に書けるメモ帳のようなものである。思いついたことを気軽にメモする気で、何でも書けばいい。普通のHPを並行して運営しているから、こちらには断片的、素材的な記事を書き、まとまりのいいものを本館に書こう。そう思って始めたのだが、そうはならなかった。ブログに書くことが、インターネット活動の主要部分になっている。HPの本館は、パートナーのみやが書く海外旅紀行が。主な新規記事になっている。私は編集し、写真を添えることぐらいしかやっていない。別館のフォトギャラリーはたまにしか更新していない。

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2005/06/11

Palm の発明者が、脳研究に一石を

 パソコンなどの電子機器に多少なりと通じている人は、Palm といえば、あれだと思い出すことだろう。最初は PalmPilot、 後にPalmの名で、世界中に普及している個人情報管理機器(PDA,Personal Digital Assistant) のことである。ソニーが出しているクリエもそれである。手書き入力と、パソコンとの同期というアイデアが抜群で、パソコンを手帳の形にして持ち歩くことを可能にした。その発明者、Jeff Hawkins は、じつは脳の研究が本職だった。長年研究し、考えてきたことを、最近一般向けの本の形で出版した。Palm の発明者ならではの、創意に富んだアイデアが提案されている。脳科学については、ディレッタントに過ぎない私に、はばかりながらいわせてもらうと、実に画期的な成果だと思える。たくさんの研究が積み重ねられてきながら、核心をついたアイデアが現れなかった脳研究に、ついにブレークスルーが訪れた、といってもいい。彼の提案によって、これからの脳研究が大きく変わるのではないか。

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2005/06/08

老い先を意識する

 グループの写真展を終えて、疲れているせいだろう。こんなタイトルで心境を書いてみたくなった。近頃とみに「老い先」という言葉が頭に浮かぶようになった。退職直後は、これからの長い老後、好きなことを好きなように楽しめると、「楽しむ老後」をモットーにした。年賀新聞や、HPにそのことを書いたりもした。それから4年。だいぶ心境の変化があった。何か新しいことを始めようとする。あるいは新しい耐久消費財(カメラの新機種とか大型テレビとか)を求めようとする。その時に、これから何年生きて、それを楽しめるかを考えてしまう。そう長くない老先、新規投資はもったいないのではないかと。

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