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2005/07/16

NINAGAWA 歌舞伎『十二夜』

050716Kabuki
 今月の歌舞伎座公演は蜷川幸雄演出のシェークスピア劇『十二夜』である。大の蜷川ファン、多少の歌舞伎ファンとしては必見である。果たして、というより、大々的に予想を上回って堪能させてくれた。これぞ、観劇の醍醐味。商業演劇の世界で、古典的なものに新鮮な息吹を与えて観るものを魅了し、演出の妙を示してきた蜷川。他方、たいそうな伝統を世代伝承のなかで守りつつ、新しいスター性のある役者を生み出して、芝居好きを惹きつけ続けた歌舞伎。この二つの世界が見事な共同作業で、古いシェークスピア(沙翁)を、新しい装いで産み直してくれた。本家のシェークスピアや、英語圏のシェークスピア劇ファンが見たら、これがシェークスピアか、「十二夜」かと、たまげる出来映えだったのではなかったか。シェークスピアにしても、歌舞伎にしても、大衆演劇である。要は、観客を楽しませるもの。そのためのさまざまの趣向がそれぞれに違っても、基本は同じ。その点で共振し合い、予想以上の高みに達したといえる。それを可能にしたのが、主演の菊之助と芸達者な助演者たち、そして蜷川の演出と、歌舞伎座という大舞台だった。

開幕、鏡に映る観客席 すでに新聞やテレビで話題になっていたが、鏡を用いた演出が見事だった。開幕前、消灯したあと、脇のスポットライトが、客席を照らす。まぶしい。柿、濃緑、黒の、例の歌舞伎カラーの幕が横に引かれると、そこに見えるのは、二階席、三階席の縁取りの赤い提灯と、照明に照らされた観客席である。鏡に映っているのだ。驚きのどよめきが続くうちに、舞台の照明が灯され、そこに浮き立つのは満開の大きな桜。桜吹雪が上から舞い降りてくる。鏡は、ハーフミラーで、後ろが暗ければ、鏡、後ろが照明されれば、透明な膜となる。こうして芝居は始まる。この仕掛けだけで、観客は舞台に吸い込まれる。じつに見事。

重層する実像と鏡像 鏡は、随所で使われる。たとえば、主役の双子の片方、主膳之助(尾上菊之助、この役では赤の着物に紫の裃〈かみしも〉姿)が、海での遭難後はじめて現れ、そこまで物語を引っ張ってきたもう片方の双子の妹、じつは身分を偽り男装して務めていた小姓役の獅子丸、にぞっこん惚れ込んでいた織笛姫(中村時蔵、絢爛豪華な赤の衣装、ど派手な冠飾り)と恋を語り合う場面。これは一面に植えられた白百合の中、赤く塗られ、大きくせり上がった太鼓橋の上での場面なのだが、私の座った、やや斜め左の一階席からは、実像と鏡像が横に並び、重層的に見えて、衣装の絢爛さが裏表で引き立ち、じつに幻想的。こんなシーンがあちこちに。

舞台設定は、平安朝? すでに書いたように役名は日本名にに移し変えられ、舞台も日本である。時代は平安朝であろう。美しい女性に伝聞で惚れて、恋文を送り、小姓を口説きの使者として派遣するなど、平安朝の源氏物語を彷彿とさせる舞台設定。それがシェークスピアにマッチ。たんなる口説き役の小姓に、姫が惚れ込んでしまうという設定。さらには、この小姓、獅子丸は、じつは男装した若い女性、琵琶姫であるという縺れた筋の面白さ。

双子の男の子、女の子、男装したその女の子、三役を演じる菊之助 獅子丸=琵琶姫を演じるのが、主膳之助をも演じるという意味で、ひとり3役の菊之助。この小姓役の場合、男性の役者が、本当は女性だが、成り行き上、男となっているという難しい、何重にも捩れた役を演じることになる。しかもこの小姓、仕えている殿様に、女性として惚れてしまう。それゆえに、男装の女性役として男性の声色でいうべきところを、うっかりと、あるいは恋心も加わって、つい女性の声色で発声してしまう。それに気づいて、あわてて、男声へと変じる。そのあたりが大いに笑わせるところである。菊之助は、凛々しく若々しく、この芝居の主役を十二分に務めていたが、それにくわえて、その声が、女声であれ、男声であれ、凛として響き渡り、それもこの劇の魅力の一つであった。

蜷川と菊之助 じつは、蜷川をこの歌舞伎に引っぱり出したのは、菊之助だという。かつて菊之助は蜷川のギリシャ悲劇『グリーグス』に、姉の寺島しのぶとともに出演した。その折、蜷川は菊之助に役者としてのたぐいまれな素質を見、一方、菊之助は、蜷川演出のシェークスピアをいつか歌舞伎で、と夢見たらしい。菊之助は、まだ28才になったばかり。役者ぶりの美しさと、美声と、芸達者ぶりとで、この蜷川・シェークスピア・歌舞伎の成功の立役者だ。第2幕の開幕、舞台の中央で、暗いなかにほのかに見える姿が、次第に明るく浮かび上がってくるまでの静止像の美しさから始まり、やがてゆるやかに動きだし、見事な舞いを見せてくれた。演劇的演出と歌舞伎の伝統とのコラボレーションの一例だ。

歌舞伎風と洋風と このような例があちこちに見られた。シェークスピアとはいえ、歌舞伎ならではの長唄、浄瑠璃と三味線、太鼓,つつみなど、そして拍子木、つけ打ちなどが定番ものに負けず随所に使われ、一方ではチェンバロの伴奏で、聖歌の斉唱から幕開けになるなどの洋風も取り込まれ、それが見事に調和していた。

 せりふ回しも所作も歌舞伎調に巧みにおさめられている。早口で畳みかけるようなせりふは、一部は悠長な歌舞伎風に変えられ、見えさえ切ってみせる。「音羽屋!」「万屋!」などのかけ声もタイミングよく飛ぶ。シェークスピアもびっくり。それでいながら、シェークスピア独特の、皮肉が効き韻を踏んだ言い回しは健在で、それが歌舞伎調の中にうまく取り込まれていて、違和感は全くなかった。

ユニークな松緑 役柄も衣装も、平安朝風の中で、唯一変わっていたのは、松緑演じる英竹という貴族のひとり。時代も国籍も不明のいでたち。丸くおかめの面をかぶったような化粧。赤い洋風ドレス様の衣装。赤いドレッシーな短ブーツ。いつも何かを持ったように手を組み、歩き方も異様。頭の弱い人という役柄を、独特に生み出した演技でこなしていて目をひいた。このひとだけが「ぼく」と自称し、話す言葉も、歌舞伎調を外している。こんな演出が蜷川風なのだが、松緑がそれをいかにも楽しんでやっている。シェークスピアの、特に喜劇では、いつものことだが、いくつもの脇のストーリーが展開して色を添える。

座長・菊五郎 人間国宝尾上菊五郎(菊之助の実父)が今回の演目の座長である。シェークスピア劇ならではの道化役の捨吉と、織笛姫の側臣で、罠にはまり、さんざんこけにされる、坊太夫という役との二役を、役柄を演じきりながら、さすがの貫禄も見せている。伝統を受け継ぐ歌舞伎役者の存在感を、歌舞伎とはおよそ違う演目のシェークスピア劇でも見せてくれた。その他もろもろ楽しませてもらった次第を書き連ねたいところだが、このあたりで。演劇に興味ある方は、一幕立ち見だけでもご覧あれ。

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