« 小泉政治、危険な単純化 | トップページ | 国際宇宙ステーション、アメリカはやめる気だ »

2005/08/15

無駄死にだった大多数の戦死者(元将校からの聞き語り1)

 太平洋戦争で、200万人を超える兵隊が死んだ。その大半は無駄死にであった。犠牲者をできるだけ出さないよう戦う、という方針は、当時の軍隊になかった。兵力の差から、到底勝てっこない、無謀で無策な戦闘を、敢闘精神だけを頼りに、やみくもに推し進め、戦死者だけを増やした。最後の一兵まで死守せよ、「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」、むしろ自決せよ、が、命令だった。

 ビルマ戦争に従軍し、からくも生き残ったO元少尉は、現在83、4歳。「生き残り症候群」になやまされ続けてきた。元気でいるうちに、自分の経験したビルマ戦争の真実を語り伝えたいと、私と会うたびに断片的にあれこれ話してくれる。今日は終戦記念日である。Oさんから聞いたことから、ひとこま書いてみよう。

バーモを脱出せよ O少尉が、ビルマに派遣され、北部の戦略拠点バーモに着任したのは、日本軍がインパールで敗退し、北部ビルマでも優勢に転じた英印と中国の連合軍が、ビルマ派遣日本軍に、強力な圧力をかけつつあった時期だ。バーモはまもなく連合軍に包囲される。軍本部から来た指令は、○○部隊は、バーモを死守せよ、ただし、情報員は脱出して、軍司令部に合流すべし、だった。O少尉は、中野学校卒の情報将校であった。

中野学校出のOさん 職業軍人が中野で教育を受けて、本格的な諜報員となる以外に、民間人を教育して使う場合があったのだそうだ。軍人っぽすぎては、できない諜報活動をさせるためらしい。現にOさんは、ビルマ現地では、軍服を着ず、普通の人、あるいは現地人に化けて、さまざまな諜報活動をしたらしい。学卒後、就職したその日に召集令状が来て、中野学校に入れられたそうだ。

バンザイ突撃をしなかった バーモ脱出を命じられ、もう一人上席の情報将校Aとともに、従卒2,3人を伴っての潜伏行は難儀を極めたらしい。何度も敵軍に発見され、撃たれ、次々に兵を失った。最後には、AとO、二人になっていた。二人で敵中を突破しつつあるなかで、ついに発見されてしまった。トウモロコシ畑に逃げ込んだ。まわりを中国兵に囲まれた。包囲網は、徐々に狭まってくる。上官Aは、もはやここまで、抜刀して、一人でも多くの敵兵を斬り、討ち死にしようと、Oにささやいた。必死の形相だったという。「いくぞ!」とAが、軍刀に手をかけ、Oを促した。そのとき、Oは顔を伏せて、聞こえぬふりをした。怖かった。斬り込むより、撃たれるとしたら、ここで撃たれた方がいいと、とっさに思ったという。「臆病者、何を考えているんだ。いくぞ」と、もう一度、Aが立ち上がりかけた。それでもOは、伏せたままでいた。ちょうどそのとき、ごく近くを包囲していた敵兵たちが、通り過ぎた。気づかれなかった。

死に場所を与えてやると、辻参謀 Aとともに軍司令部に帰還したOは、まもなく辻政信参謀に呼び出された。あの有名な辻参謀は、当時中国派遣軍からビルマへと派遣替えされたばかりであった。鬼才の誉れ高かったが、Oが見た辻は、精神力に頼るのみで無策の参謀であったという。ビルマの戦況は、辻をもってしても、いかんともしがたい状況であったのだろう。Oを呼び出した辻は、「お前の臆病ぶりはAから聞いた。いい死に場所をお前にやろう。天皇陛下のために死んでこい」と言って、命令を下した。当時、日本と断絶し連合軍協力へと転じたビルマ独立義勇軍のアウンサン将軍(アウン・サン・スーチー女史の父親)の司令部に潜入し、将軍を暗殺してこい、という。命に従い行動はしてみたものの、全く無謀な作戦で、到底果たせず帰着する。そのOに向かって、再度「死に場所を与えてやる」と、次のまたもや無謀の命令が下される。そんなことの繰り返しのなかで、もう軍は、その体をなさず、敗退を重ねていった。辻参謀は別の任地にさっさと転じていった。その後も戦い続け、戦友たちの大半を失い、終戦を迎えたのは、ラングーン(現ヤンゴン)だった。

兵の無駄な死を悼む このOさんと、昨年ビルマロードを北から南へたどる旅をした。時折道ばたにたたずみ、Oさんは、この道の両側に日本兵の死屍が累々と横たわっていたと、往時を語るのだった。兵隊たちは、「天皇陛下ばんざい!」を叫びながら、死んでいったという。しかし、無謀な作戦など強行しなければ、あるいは、最後の一兵まで死守せよ、などという命を下さずに、兵を退いていれば、あれほどまでに多くの犠牲を出さずにすんだ。そのことを思うたびに、軍の上層部、特に参謀たちの拙劣な作戦指導が悔やまれるという。30万余の兵がビルマに派遣された。14万人が戦死した。そのほとんどは、無駄死にだった。

靖国に参りたくない Oさんは、決して靖国神社に行こうとしない。靖国は、「無駄な死」を、本人とその遺族にとって、「納得できる死」に、すりかえさせるシンボルだったと、分かったからだ。戦友や部下を多く失っている。その人たちの無念さを思うにつけて、とても靖国に行く気はしないという。

|

« 小泉政治、危険な単純化 | トップページ | 国際宇宙ステーション、アメリカはやめる気だ »

コメント

先日、テレビドラマで小野田さんの事を知ったばかりでした。

それと、ここ2,3日のテレビ特集の靖国問題を見ていていましたので、アクさんのお話が心にすっと染みこんで行くような感じでした。

先日のNHKテレビの討論会で発言した人のなかにも、同じくビルマ戦線で戦った人が発言していました。

「戦死した兵の大部分は、弾に当たって死んだのではない。餓死や病死が殆どだった」と。

全く犬死ですよねえ。それを「靖国」という殺し文句をつかって見殺しにしてしまった上層部は許せないと、私は思っています。

今、東京裁判を否定する考えもあるようですね。
だったら、日本国民が裁く戦争責任者を裁く方法があったのだろうかという疑問も出てきます。

投稿: 美千代 | 2005/08/16 10:48

美千代さん、こんばんは。このところテレビは、終戦60周年の番組を組んでいますね。精粗まちまち。なるほどというのもあれば、近隣諸国の反日感情に反発するものあり、靖国にしても賛否かまびすしいものがあります。戦時ほんとうに地獄を見た人たちは、戦死者たちが靖国に祀られることで慰霊されるとはとうてい思えない、そんなことでは晴らしようのない戦友たちの無念さを感じているようです。

餓死がほとんどだった、という話を、私が耳にしたのは、たしかニューギニアでした。ビルマでは、ひどい「現地調達」をしながらも、生き延びることはできたようです。

投稿: アク | 2005/08/16 21:34

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/36654/5480368

この記事へのトラックバック一覧です: 無駄死にだった大多数の戦死者(元将校からの聞き語り1):

« 小泉政治、危険な単純化 | トップページ | 国際宇宙ステーション、アメリカはやめる気だ »