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2005/10/23

小泉首相の「心ならずも」発言

 小泉首相の靖国神社参拝の是非について、世論はほぼ2分されている。リトマス試験紙で、酸性かアルカリ性かを判別するように、この問題の是非の判断が政治的意見を分けている。私は、このリトマス試験紙の代わりに、別の試験紙を提案してみたい。小泉首相は参拝後、くりかえし「心ならずも戦地におもむき、命を捧げられた方を、衷心から追悼する」と言っている。この発言の趣旨を是とするかどうか、そこを分極点として、世論を分け直してみたらどうか、である。

「心ならずも」は立派な歴史認識 小泉首相は、いつもの紋切り型で、それ以上の説明をしないが、これは先の戦争に関する一つの歴史認識を示していると、受け取りたい。先の戦争は間違っていた。その戦争を指導した人たちは過ちを犯した。彼らの指導のもと、多くの人々が「心ならずも」戦地におもむき、命を落とした。さらにいえば、その多くは無駄死にであった。戦後、その反省にもとづいて、日本は平和国家に徹してきた。その上に現在の繁栄がある。もう二度と戦争はしない。これは立派な歴史認識ではないか。またあからさまには言わないが、合祀されているA級戦犯にお詣りしているのではない、との表現とも読める。靖国に参拝すること自体には、国際政治のなかで影響をどう判断するか、信教の自由を侵さないか、という問題はある。それはそれとして、それよりも、この「心ならずもj発言を是とする意見を盛り上げることによって、それに反対する側との対立点を顕在化したらどうだろう。そこを靖国問題についての意見を分ける新たな分極点にしていったらどうか。

「心ならずも」発言に反対する人々 小泉首相の「心ならずも」発言に、異を唱えている人は多い。しかし彼らは、ともかく首相の靖国参拝のくりかえしを是として、その発言をとがめることを抑制しているように見える。「新しい歴史教科書をつくる会」系の人は、祀られている将兵たちは、国のためすすんで散華したのだといい、暗に首相の表現を問題にしている(西尾幹二は非難発言をあちこちに書いている)。そもそも靖国神社は、戦死者たちを「英霊」として「顕彰」するためのものである。「心ならずも」発言は、靖国のイデオロギーにそわない(首相も国会で「靖国神社には靖国神社の考え方があるでしょう。これは政府と同じものではございません。」と答弁している)。安部晋三は、「国のために殉じた方々に尊崇の念を供するため、靖国にお参りするのは一国のリーダーとして当然だ」として、けっして「心ならずも」とは言わない。桜井よしこは、この発言を公式の場でとがめたことはないようだが、彼女の靖国問題についての発言ぶりからすれば、もちろん否定的だろう。参拝という行為をよしとして、趣旨を問わぬが賢いと考えているのだろう。小林よしのりを、私は読まないが、この点に関してあからさまに小泉首相を非難しているらしい。

ネットにも反対意見が ネット上では、小泉首相の「心ならずも」発言をとがめるエントリは散見される(広くサーベイしているわけではないが)。たとえば「外交のファンタジスタ」「靖国参拝:どんな想いで参拝するのか?(2005年08月12日)」では、「小泉首相は、よく戦死した英霊に向かって、『心ならずも犠牲になった・・・』という言葉を使う。しかし、これは聞き捨てならない。」と書き、その方向で論陣を張っている。Web「正論」には「我々は「心ならずも」戦地に赴いたのでも「心ならずも」国のために死んだのでもない(と、靖国の神は言うでしょう)」と、小泉発言をとがめる投書が載っている。などなど。

「心ならずも」発言支持をマジョリティに このような考え方を持つ人たちと、小泉首相の考え(それは同時に政府見解でもある)とは違うと、小泉「心ならずも」発言を支持していくほうが、靖国イデオロギーを担ぐ人たちと小泉首相とをひとまとめにして非難するよりも、賢明だろうと考える。さらにいえば、「心ならずも」発言をよしとする意見が世論のマジョリティであることがわかれば、近隣諸国の靖国問題への理解も得られやすいのではないか、とも考えるのである。

 あらためて念をおししておくが、私は首相が靖国参拝には反対である。しかしそれをいうよりも、「心ならずも」発言をよしと発言する方向へ転向したいのである。

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コメント

僕もこの「こころならずも」の箇所は小泉首相にとって嘘のない心からの哀悼の気持ちがこもっていると感じました。しかし,それが彼の本心であるのならば,靖国参拝という行為そのものが,おそらくは彼が本意としないことに利用されるだろうことは矛盾というか皮肉なことだと思います。そもそも「こころならずも」と言うのであれば,戦死した若者たちが,靖国神社に強制的に奉られていることは気にならないのかと不思議です。

投稿: sukarabe | 2005/10/23 17:15

sukarabeさん、コメントありがとうございます。
小泉首相の参拝という行為が是か非か、矛盾し、皮肉な行為になっていないか。そこは、受け止め方がさまざまでしょう。それはさておいて、彼が「心ならずも」戦場に赴き・・・と、あの戦争と戦争主導者をネガティブに言っていることを、靖国参拝批判の人たちは、大いに利用したらどうか、というのが私の言いたいことです。あっちが彼の気持ちを内心批判しながらも、参拝という行為を利用するなら、こちらは、彼の心情告白を対抗的に利用したらいいのではないか。参拝を続ける小泉首相と、参拝賛成派との間に、すくなくともすきま風を、できればギクシャクした関係をつくれるのではないか。単に参拝反対をいうより、「心ならずも」とはよくぞいってくれた。小泉さんはこう考えているのですね。だったら、私らと同じじゃないですか・・・。こんな具合にもっていければ、ということです。

投稿: アク | 2005/10/23 18:13

なるほど,確かにそう考えれば根っこは自分たちと同じなのかもしれませんね。それにしても向こう側の人たちの筋金の入り方もすごいものですね。単に外国の圧力に屈するな程度かと思っていましたが認識不足でした。心ならずも戦地に赴くことは同情すべきことではなく非難に値する事だったとは。

投稿: sukarabe | 2005/10/23 22:02

ある報道番組で、小泉首相が、首相になる以前の若かりし頃はさほど熱心に靖国神社参拝にこだわっていなかったことを、その古いインタビューといっしょに放送していました。また、首相になってから、特攻隊員の遺書の陳列をみながら、号泣しているのを見ました。
普通の泣き方ではなく、下を向き、鼻の頭から涙が雨垂れのように落ちていく、嗚咽まで聞こえてきそうな印象深い映像でした。

「こころならずも」のところで、彼は、東京裁判のA級戦犯のことではなく、若い特攻隊員の激しくつらい心情を頭に浮かべているのではないかと想像しています。

投稿: miyakoda | 2005/10/23 23:18

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