« 55年体制から05年体制へ | トップページ | 多田富雄の生き方 »

2005/11/30

イニシュマーン島、もう一度

051130Aran
 先日書いたイニシュマーン島の項目の補足である。一つはパートナーのみやが、HP本館のほうに書いている『アイルランド旅日記』で、旅の7日目、『アラン島(イニシュマーン島)』をアップしたので、詳しくはそちらを見ていただきたいこと。もう一つが本エントリのメインだが、映画『アラン (Man of Aran)』(監督:ロバート・J.・フラハティ)を、DVDを入手し、見たことである。

 この映画のことは、司馬遼太郎が『愛蘭土紀行2』に書いているので、知っていたが、1934年の作とは知らなかった。日本でも上映され、多くの人に強い印象を与えたらしい。それが翌35年のことである。私が生まれた年だ。そんな時代から、このような大作のドキュメンタリーが作られ、商業的に上映されていたとは驚きだ。監督フラハティは、長編ドキュメンタリー映画なるものの創始者といわれる。それまでは短編の記録映画しかなかった。フラハティがはじめて、物語性のある長編ドキュメンタリー映画を作った。現場での実録だが、物語性がたぶんに盛り込まれている。監督自身がカメラも兼ねているそうだが、モノクロの各シーンが、じつに印象深い。

 この映画は、私たちが行ったイニシュマーン島ではなく、大きな島、イニシュモアで撮られた。監督はそこに1年半住み込み、現地に機材を持ち込み、自分でフィルム現像をしたという。不便な島である。本土(イギリスか)で現像されたものが戻ってくるのを待つのでは、映画製作に支障があったのだろう。結果を見て、撮り直したり、編集の構想をねり、次の撮影シーンを決めたりする必要があったのだ。

 いくつかの印象深いシーンがある。アラン島の人々にとって、土がどんなに大事か。石だらけの島である。岩と岩の裂け目深く、風が運んできたのか、僅かに溜まった土を、手でひとつかみずつ採取して、それを石の床に敷き、海藻(こちらはふんだんにある)を加えて、畑にする。その土が風で持ち去られないように、石垣で畑を囲む。過酷な環境で命をつなぐために、営々と続いてきた土作り、畑維持の作業が、前半のテーマである。このシーンは、現地を見ているだけに、あれだなと納得である。

 監督は海と闘う男たちを主題にしているようだ。アメリカ育ちのフラハティは、極北の地で暮らすエスキモー(今はイヌイットというべきか)の生活記録『極北の怪異』(1922)で長編ドキュメンタリーを成功させたあと、海を撮りたいと、イギリスに渡り、さらには父親の出身地アイルランドにきて、辺境のアラン島の海に魅せられたのだ。映画成立の由来は、ジョン・フォード監督の『静かなる男』に通じる。

 小さな漁舟カラックを手こぎで漕いで荒海に出て、漁をするシーン、特に大きなウバザメを銛で捕るシーンは、印象深い。4,5人の漁師が乗るボートより大きな鮫である。ウバザメは、最大の鮫で、大きいものは体長15メートルにもなるという。銛を打っても、なかなか上げることができない。二日二晩かかって、やっとボートの脇に確保し、浜に辿りつく。村人が総出で、綱を引き、浜に上げる。解体して、肝臓から油を取る。これが彼らの灯油となるのだ。電気がこの島にきたのは、1970年代のことと聞いた。それまでは、ランプで明かりを灯していた。そのための油を、この映画では、鮫から取っていたとしている。

 漁師夫婦と少年の一家を中心に映画が構成されている。土を集め、海藻を採り、舟の陸揚げを手伝う働き者の女性、早く一人前の漁師になりたい少年。二人とも海に出た父親の無事を気づかい、断崖の上に出て、海の見張りをする。そんなシーンは、過酷な自然の中で生きる家族の絆を感じさせ、じつに印象深く撮られている。今でいうやらせ臭い場面はいくつもあるが、全体として主張を抑えて、場面で語らせる作りは好感が持てる。

 物語性のあるドキュメンタリーといえば、本橋成一の「ナージャの村」「アレクセイと泉」を思いおこす。チェルノブイリ原発事故の被害者たちの暮らしを、淡々と、しかし暖かい目で描写し、欠陥原発の問題性を静かに訴えている。

|

« 55年体制から05年体制へ | トップページ | 多田富雄の生き方 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/36654/7397715

この記事へのトラックバック一覧です: イニシュマーン島、もう一度:

« 55年体制から05年体制へ | トップページ | 多田富雄の生き方 »