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2005/12/05

多田富雄の生き方

 NHKスペシャル『脳梗塞からの再生ー免疫学者・多田富雄の闘い』(リンクは「多田富雄HP」の、この項目へ)を見た(05/12/3: 21:00ー )。重度の障害を残したまま、リハビリに励み、この人ならではの幅広い知的創造活動を続けている。その生き様を生々しく伝えてくれた。よくぞこのような姿を見せてくれたな、と思った。このように生きているよ、というのが、番組企画を受け容れた多田富雄のメッセージなのだろう。

 旅先での突然の脳梗塞、半身不随、発声不能、嚥下障害などと闘いながらも、書き手としては再起していることを知っていた。再起後の出版物の一つ、鶴見和子との往復書簡『邂逅』について、HP本館のほうで紹介した(04/1/30)こともあった。その後もいくつかの本を出しているのを見聞して、障害は残りながらも、元気にしておられるのだと想像していた。しかし、書いたものを読んだり、想像しているのと、本人の現状を生々しく伝える映像を目にするのとでは大違いである。

 リハビリは続けているが、歩くのはとても難しそうだ。それでも杖をついて歩こうとする。ものが飲み込めない。食べるとむせる。ツバを飲み込めないのだろう。よだれが垂れっぱなしである。タオルを手にして、絶えず口もとをぬぐう。唯一の表現手段として、発病後覚えたというワープロ、パソコンを、左手でたどたどしく打つ。考えがよどみなく出てくる人だから、一文字一文字をこんなペースで打つのはどんなにかもどかしいことだろう。声が出せない。いいたいことをキーボードで打つと、電子音でコミュニケーションができるが、もどかしげだ。発声のリハビリを受けている。何度か訓練して、何とか言ってみたかったという「カンパイ!」を、お弟子さんたちとのパーティでやっと発声する。これこそ何気なく司会者が口にする「乾杯のご発声」である。半分が麻痺したままの顔は、口が歪み、たるんでいて、頼りない。かつて生命科学の俊英として、また広い分野にわたる知識人として、何度も公の場で見せていた、凛とした表情は失われている。だが、こんな姿のすべてをテレビカメラの前に晒している。

 痛々しいが、こうして生きていると、堂々と見せていることに、目頭が熱くなる。表情は締まらないが、笑顔がとてもいい。お酒は好きらしい。ウィスキーをどろどろのゼラチン質のものに浸み込ませて、飲む。秘蔵のバランタイン30年ものを引き出しから取り出して飲もうとする。奥さんから、それはもったいないから駄目といわれ、日常のボトルを出されると、苦笑いする。やっと秘蔵酒を飲むお許しが出て、どろどろを混ぜて飲む。幸せそうな横顔。最後のひとしずく、じつはひととろり、まで飲む。それがなかなか滑り降りてこない。やっと含んで、飲み下して、微笑む。その顔がよい。

 不自由な身体を人前に晒したくないと、こんな状況に陥った場合、誰しも考えるだろう(ジャイアンツの長嶋もと監督は、ずっと軽度だろうが、なかなか人前に姿を見せない)。多田は、NHKのディレクターへのメールで、「何もかもさらけ出しますから、撮ってください」と書いている。自分を見舞った障害のひどさに何度か絶望し、死を願ったという多田が、こうまで人目にわが身を晒すには、それなりの考えが合ってのことだろう。

 想像してみるにこうだろうか。多田は生命科学者である。生命機構の微妙さを知っている。重度の脳障害という自分の身体を、科学者として見ている。前にも紹介文を書いたとき、引用したのだが、多田は、自分の身体の中に鈍重な巨人が棲んでいると感じ、そいつがどんなやつか付き合ってやろう、そこにも無限の可能性があるに違いない、と考えるのである。だから多田にとっては、自分の現在の姿は昔と比べる必要はなく、恥ずべきものでもない。新しい自分なのだ。

 ひとはこのような不幸に見舞われることがある。しかし、たじろがずに、現状を受けいれて生きていく。不自由な身体でもどれだけのことができるか、チャレンジしていく。それは文章書きであったり、原爆に関する新作能であったりする。はかばかしく進まない発声訓練を受けて、「カンパイ!」をいえるようになるのもチャレンジである。

 障害にもかかわらずこれだけできる、ということだけではないだろう。むしろ、重度の病を得て、それとの戦いを経たからこそ、こういうことができる、こう考える。そういう境地に達しているのではないか。原爆能で「水を・・・」とくり返される、あの叫び声は、嚥下機能を失って、水を飲み下せず、痛切な渇きを知ってはじめて書けたせりふだという。

 不治の病といえども、それは生きていることの終わりではない。多田は、そう身をもって示そうとしている。それは、病の床にある人々にとって、またいずれ病を得る可能性のある高齢者にとって、大きな励ましだと思う。私は、病に倒れたら、なまじっかな治療をするより、安らかに死なせてくれと、つねづね家人に告げている。しかし、多田の病への処し方を見て、少し考え方を変えなければいけないかなと、思いはじめた。

 再放送があるという。12月6日の深夜。日付では7日午前0時15分ー1時7分、NHK第1である。未見の方は録画でもしてごらんいただくといい。

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コメント

今晩は、小生も多田富雄氏の番組を感動をもって見ました。特に能「原爆忌」の観点から感想を書いてみました。TBさせていただきました。

先日上京し杉本氏の写真展を見てきました。曰く言い難しの感。彼の作った能舞台がありましたが、多田氏がみたらどんな感想をもらすでしょうか?

投稿: | 2005/12/05 23:10

アクさん

見たい番組を教えて頂き有り難うございます。

土、日と京都で名残りの紅葉を楽しんできまして、遅い帰宅でしたから、この番組を見落としておりました。
かりに知っていても、集中力にかけていただろうと思いますので、今晩、じっくり見ることにします。

私は骨折で入院中、毎日、リハビリ室で脳梗塞の方の訓練をみていましたので、ある程度想像はできますが、とても正視できないような惨めな姿に、いろいろ考えさせられました。

生きるってことは、大変ですよ。
長寿になったことがさらに問題を作ってますね。

今晩は、DVDにも録画の準備をしておきます。寝てしまうといけませんから。

投稿: 美千代 | 2005/12/06 09:12

美千代さん、おひさしぶりです。
「生きるってことは、大変ですよ」については、私も予感程度ですが、我がこととして考えはじめています。このブログで、新しい分類項目として「老い」を作ったのも、それゆえです。これからときどき、そのことを書いてみようと思っています。

投稿: アク | 2005/12/06 09:31

アクさん、おひさしぶりです。
多田富雄の「脳梗塞からの再生」わたしも見ましたよ。
リハビリは機能回復じゃない、新しいものを造り出すんだっておっしゃってましたが、なるほどと思いました。
日本にこんなにすばらしい学者がいたこと、誇りに感じます。

投稿: にゃんこ | 2005/12/10 21:17

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