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2006/01/21

90歳、小島信夫の「残光」

 小島信夫は、90歳である。その人が、400枚の新作を雑誌「新潮」2月号に発表している。刷り上がりで130ページほどになる。小島信夫は、若い頃少し読んだのと、一度ワシントンハイツのことを書いたときに、小島信夫の芥川賞受賞作{アメリカンスクール」に言及したことがあって、多少気にかけている作家である。90歳にもなった作家が、何を書いているか、その程度の興味で読んでみた。とても面白い。この小説の原稿を書いている自分の生活、それ自体を題材にして、自分の気持ちに去来するものを、思考のおもむくままに書き連ねている。そのモザイク模様の作品は、一旦その世界に入り込んで、作家の書くがままについていくと快い。私自身の日常でも、気持ち(固い言葉で、意識といってもいいが)が断片的なつぎはぎ模様で流れていることを、常々感じているので、共感できるところがある。また、この老作家が、自分の老いにどう向き合っているのかも、彼よりはずっと若いとはいえ、同じように老いを感じている身として興味深い。

 私は、小説なるものは、と論じるほど文学に通じていない。しかし、彼がこれを小説として書いている以上、それは実生活の単なる記録ではなく、自分というものをモデルとして対象化し、フィクション化して語っている。それによって、何を語ろうとしているのだろうか。それが読者への問いである。そんな問題意識で、門外漢の感想を書いてみよう。

ホームに置いてきた妻 施設とかホームといっている場所に、預けてしまった奥さんのことがある。小島は40歳代のころ、最初の奥さんを癌でなくし再婚した。最初の奥さんとの間に、小児麻痺の子がいて、いろいろと両親にとって厄介な問題を起こした。最後にはアルコール中毒で、預けられたいた施設で死んだ。彼よりはるかに年下の現在の妻は認知症(小島はこの言葉を使っていない)でホームに預かってもらっているが、この人とも、いろいろとあったらしい。家族内のもの同士の不安定な関係を、現代の問題として書くことが、彼がずっと追いかけてきた一つのテーマである。この小説でも、あちこちにそのことが見え隠れしている。このテーマに一応の決着をつけることが、この小説の一つの意図なのかもしれない。しかし、小島は、それを安易に、終わりよければすべてよし、みたいにはしない。しかし、信濃追分の山荘から、浅間への山道を夫婦ふたりで歩き、何となく気持ちが通じ合う、という、かつて書いた作品の中の一シーンを2度も全文引用し、3度か4度も言及していること、そして作品の最後が、こんなシーンで終わっていること。そのあたりに、小島なりの安らぎを暗示している。

 十月に訪ねたときは、横臥していた。眠っていて、目をさまさなかった。くりかえし、「ノブオさんだよ、ノブオさんがやってきたんだよ、アナタはアイコさんだね。アイコさん、ノブさんが来たんだよ、コジマ・ノブさんですよ」
 と何度も話しかけていると、眼を開いて、穏かに微笑(えみ)を浮かべて、
「お久しぶり」
 といった。眼は開けていなかった。

 05年1月号の雑誌「文藝春秋」の「各界著名人58人の理想の死に方」という特集の中で、小島は、まだ奥さんが自宅にいたころ、彼女を、夜中にトイレに連れて行き、「そろそろオシッコがでてくるよ。音がするからね」と声をかけ、奥さんが幼児のように微笑して見上げるシーンを書いている。その奥さんをホームに「そっと置いてきた」。ふたりで老いていくいたましい状景だ。しかし小島は、その同じ文章の中で、「今のところ自分の死のことを考える気持ちがわいてこない。たぶんぼくの生活が新しくはじまったばかりだから」と書いている。

 小島は同じ文藝春秋の05年5月号の「日本の顔」という連載の巻頭グラビアページに登場し、さわやかで若々しい笑顔を見せていた。このグラビアの写真を撮ることも、本題の「残光」の中にしばしば書かれている。自宅前の階段で転び、顔を怪我する。それで傷ついた側の顔を見せないように撮ってもらおう、などと相談する場面もある、

旧作の読み解き この小説のもう一つのテーマは、過去自分が書いた小説の読み解きである、定例的に「20世紀文学研究会」という、かなり年代の人を相手に、小説の書き方を話すという会合に出ている。また、往復書簡を本にした(「小説修業})相手の保坂和志と、トークショーをしたりする。保坂は「小説の自由」の中で、小島の書いたものを読み解こうとしている。そんなことがあって、小島自身が自分の過去の作品を読み、何を自分が書こうとしたのか、それをあとづけようとしはじめる。目が悪いらしい。多少誇張していると思うが、虫眼鏡で、数文字分ぐらいしか、一度に見えない。本をバラパラとめくって、どこに何が書いてあるか、など探すことは、とてもおぼつかない。助けて読んでくれたり、調べてくれたりする人がいて、大部の自作を読んでいく。その部分部分が綿々と書きつづられ、この小説の主な部分を構成する。ほう、こんなことを自分が書いていたか、などと変に感心したり、それを書いたときに、どんなことが進行していたかを思い出したり、じっさいの会話を自分がどう膨らませたか、手の内を紹介したり、と、この部分は、それを読んだ人にとっては、面白かろう。私は、そんなに忠実な読者ではないから、読んでいないが、十分に楽しめる。長い引用がある。それがいつの間にか、本文に混じり合い、引用部分なのか、現在の自分を語っているのか、ところどころ、わけが分からなくなる。その迷路のようなパラグラフの構成も楽しめる。小島の頭が相当おかしくて、支離滅裂になっているのか、そのようになっているのも、小説家小島の手法なのか、それを想像してみるのも面白い。

 中ほどのところで、自分の小説の手法として、とにかく人物を登場させ、関係を持たせ、話し合わせる。そうすると登場人物が、自然と交流をはじめるという、自分の小説つくりの手法を語っている。「唱和」、「合唱」、「ポリフォニー」などの音楽の言葉を使い、「部分部分が小説全体を動かしていく」と書いている。また別のところで、小説は全体としての構成も大事だが、自分の小説は「プロセス」の中に意図がこめられている、とも解説している。私も、全体として何をいっているかわかりにくいが、部分部分が面白く、それが全体をつくっているのだ、というようなタイプの小説を結構好む。

ときおりの文学気分 ときどき、私は間欠的に文学気分に襲われる。ある文学者が気に入ると、深入りして、ずっと同じ人のものを読みたくなる。一時期、後藤明生に凝り、大部の「壁の中」を古書で入手して読んだりまでした。あるときは、村上春樹、あるときは、ポール・オースターであったりした。そして今度は小島信夫にとりつかれた。この「残光」で話題になった「寓話」や「菅野満子の手紙」などは、ほとんど入手不可能だが、図書館にあることを確かめた。借り出して読んでみようと思う。

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