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2006/01/25

風旅さんの想像科学

 『「風の旅人」編集便り』で、編集長の佐伯剛さんが、面白い、というより、奇想天外な、科学説を書いた。科学は私の専門である(あった、といった方が正確だが)。妙な学説を唱えられては捨ててはおけない。何度かコメントを書いた。ところが何とも噛み合わない。書いてある事柄を、間違っていると指摘しても、それは普通の科学の範囲内の説明でしょう。私は全然別の前提から出発して、自分流の科学を創ろうとしているのですから、と言われてしまい、相手にしてもらえない。それでいて、

科学、とりわけ20世紀科学は、根本的なところで違ったところから出発して、その上に構築されているのではないかと私は思えてならないのです。

と書き、根本的な間違いは説明されないままなのだが、個別のさまざまな現象とその科学的説明を取り上げて、批判したり、自分の考えを多様に展開する。

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2006/01/22

「光」接続で苦労する

 Bフレッツが入ったのはいいのだが、設定には苦労した。次々に不具合が出て、3日間にわたり苦闘した。3台のパソコンをつないで使っている。それがみな違う。ウィンドウズXPが一つ、ウィンドウズ2000が一つ、もう一つはMacOXである。説明書にそれぞれについて設定の仕方は書いてあるが、それらが両立しないらしい。接続方法については、簡単にリーフレットになっている説明書が、NTTと、プロバイダーからそれぞれ二通り、計4通り、ほかにNTTからは、接続機器についての100ページを超える取扱説明書(以下「取説」)が来ている。パソコンにセットするだけで設定できるとのCD-ROMも、両方から合計3枚来た。取説には、簡単設定とか、丸ごと設定とか、詳細な手作業による設定とか、何種類も書いてある。多すぎて、どれも半端。その間をウロウロと迷ってしまった。あとで分かったが、プロバイダーの資料に書いてある接続法は、NTTの提供してくれた機器に、対応していないらしい。また、どの説明書にも、複数台異機種をつなぐ場合の説明はない。私はパソコンやLANにそう詳しくはないが、それなりに経験と知識は持っている方だと思う。その私がこんなに苦労するのだから、まるきり素人の人は、途方にくれるだろう。

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2006/01/21

90歳、小島信夫の「残光」

 小島信夫は、90歳である。その人が、400枚の新作を雑誌「新潮」2月号に発表している。刷り上がりで130ページほどになる。小島信夫は、若い頃少し読んだのと、一度ワシントンハイツのことを書いたときに、小島信夫の芥川賞受賞作{アメリカンスクール」に言及したことがあって、多少気にかけている作家である。90歳にもなった作家が、何を書いているか、その程度の興味で読んでみた。とても面白い。この小説の原稿を書いている自分の生活、それ自体を題材にして、自分の気持ちに去来するものを、思考のおもむくままに書き連ねている。そのモザイク模様の作品は、一旦その世界に入り込んで、作家の書くがままについていくと快い。私自身の日常でも、気持ち(固い言葉で、意識といってもいいが)が断片的なつぎはぎ模様で流れていることを、常々感じているので、共感できるところがある。また、この老作家が、自分の老いにどう向き合っているのかも、彼よりはずっと若いとはいえ、同じように老いを感じている身として興味深い。

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2006/01/19

わが家にも「光」が

 やっと、インターネットを光接続に変えた。何ごとも先走らず、一周遅れぐらいでついていくというのが、情報技術に対する私の処世法である。光についても、まだまだと考えていたが、このところADSLがめっきり遅くなった。電話局は、歩いて2,3分のところにある。ADSLを開設した3年前からこのかた、何のストレスを感じることなく、画像などの大容量ファイルがダウンロードできていた。それが、このところめっきり遅くなってきた。NTTなのか、プロバイダーなのか分からないのだが、ADSLの入り口を絞り、遅くしていくことで、利用者を光の方へ誘導しようと図っているのではないか。そんな邪推をしたくなるほどであった。まあ仕方がない、潮時か、私も追いやられるに任せようか。そんな判断で、工事費無料のキャンペーン(昨年12月末までの契約への優遇措置)に乗った。同じ考えの人が多かったのだろう。1ヶ月待たされて、今日、わが家にも「光」が来た。工事日が今日との通知をもらっていたが、夕方遅くなって、やっと工事の人が来た。申込殺到で、大忙しらしい。土日の休みもなく、夜まで働いて、どうにかこなしているという。

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2006/01/16

散人先生の「でも、なんであんなところに人が住む?」を考える

 余丁町散人さんのブログ(Letter from Yochomachi)は、軽妙な口調で幅広い話題をとりあげ、読んで面白いし、視野を広げてくれる。永井荷風好き、余丁町界隈に住むという共通項から、ネット上で年来のおつきあいをいただいている。その散人先生が、今回の豪雪被害に関するマスコミや政治の対応に、『豪雪の被害がたいへん……でも、なんであんなところに人が住む? 』(06/1/11)を書いた。あんな雪深いところに住まずに、みんな都市部に住んだ方がいい、国や地方自治体が、税金を使って救済するのは国民経済的に損だ、という大胆な主張である。あちこちでさんざん議論されたようだ(一例:はてなブックマーク)が、私も考えるヒントをいただいたので、書いてみよう。

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2006/01/11

レヴィナスに「女性なるもの」の教えを請う

 一つ前の記事(「なぜ、男は老いに弱いのか?」を読む妻)を、私はお笑いを一つ、というようなつもりで書いたのだが、私が書くと、どうも真剣な告白だと受け取られてしまうようである。コメントを書きこんでくださる方はいらっしゃらなかったが(今朝、お一人からいただいた)、会った友人からのダイレクトな反応や、ダイレクト・メールで書き送っていただいたご意見は、どちらかというと額面通りに受けとって、心配してくださったようだった。真面目を装いながらおかしみを書くという練達の文才が、私にはないようだ。

 さて、その記事の中で、男と女の問題を、幼時の刷り込みだなどとこじつけて、逃げを打ったが、それを書いたことが、心に引っかかりを残した。「女は(男と比べて)弱い器[うつわ]であるから」という、聖書の言葉を引いて、それは聖書の文書が書かれた古代の女性観を反映して、偏向しているが、とことわってみたものの、ほんとうのところどうなのか。男と女は違うのか、その性差は根元的なものなのか、ボーヴォワールなど言うように、男性中心の社会が勝手に形成してきた偏見に過ぎないのか。一度しっかり考えておく必要があるな。そんな気持が、レヴィナスの女性論の読書へと私を向かわせた。なぜレヴィナスかというと、どうやらこの人は、性差が根元的なものだとしているようなので、この人の考えを聞いてみようではないか、というわけなのだ。レヴィナスについては、おいおい書いていこうと思うが、男と女は違うのだということを、自分の思考の主要な帰結のひとつとして堂々と主張している、希有な哲学者である。彼の凝縮された言葉には、根元をのぞき見た人のみが語れる、圧倒的な力がある。

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2006/01/04

「なぜ、男は老いに弱いのか?」を読む妻

 眠りに入る前にふたりとも本を読む。年来の習慣である。妻は、読んでいる本を手に持ったまま、寝込んでしまう、という特技を持っている。バタリと落とさずに、本を上に掲げたまま眠り、気がつくまで長い時間そのままである。これは特技であろう。寝息が聞こえているのに、枕元のライトはついている。またかと起きあがり、手から本を取りあげ、布団をかけ直し、灯を消してやる。何かむにゃむにゃ言っているが、要領を得ない。翌朝になると、そうして寝入ったということなど覚えていない。これがほとんど毎夜のことである。

 二日前の夜も、いつもと同じだったが、ふと見た本のタイトルに驚いた。『なぜ、男は老いに弱いのか?』とある。目が点になるという表現があるが、そのときの私は、ほんとにそれだった。表紙がよくない。「」と「老い」の文字が、男の顔の真ん中に、大書されている。ウヘーェ! ガーンとやられた感じだった。雑読系で何でも読む人だ。なぜこんなテーマの本を? と不思議に思うこともある。しかし、このタイトルはいくら何でもダイレクト過ぎないか。最近ボケが進行中だと、私の身を案じてのことだろう。それはよい。しかし、こんなタイトルの本を、連れ合いに読まれる、夫の立場になって考えてもらいたい。知られずに、こっそりと読むべきではないか。

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2006/01/02

年賀状雑感

 毎年のことながら、どさっと配達される年賀状の束が、楽と苦とを、こもごもに届けてくれる。楽は、久しぶりに知人の近況を知り、それぞれ仕事や生活に真摯に向き合い、あるいは余生を楽しんでいる様子を知ることである。写真入りも多い。本人や家族より、自慢の子供さんを主役にした賀状も多い。毎年もらうと、成長ぶりが微笑ましい。苦とは、こちらから送らなかった相手から賀状がきてしまうことである。特に目上に当たる人からいただいてしまうと、心苦しい。さっそく恐縮の一筆を書き添えて、こちらの返書を出す。

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2006/01/01

新年を迎えて

 明けましておめでとうございます。今年も、このブログを、ほどほどのペースで書いていきますので、よろしくおつきあいください。
 毎年、年頭に年賀状代わりに送っている「てとら」というタイトルの家庭新聞のようなものを、ホームページ本館の方に掲載しましたので、ごらんください。今年で、31号になります。始めると続けざるをえなくて、出しています。以前はガリ版刷りで出していたのですが、ワープロを使うようになり、それがパソコンになり、そのパソコンも何代目かになっています。全部ファイルしてあるので、それがわが家の自分史のようなものになっています。
 上に「このブログを、ほどほどのペースで」と書きました。ずっと読んでいただいておられる方は、お気づきのように、だんだん書くペースがダウンしています。これは私の読み、考え、書くのにかかる時間が遅くなっているせいです。無理して維持しようとせず、成り行き任せでやりたいと考えています。即発反応的にではなく、じっくり考えて書いていきたいと思います。
 年をとるとますますそうなるのでしょうか。表層のことよりも、根元的なことを求めたくなります。そうなると、蓄積のうすいことに気づき、学ぶことが必要になります。今さら新しいことを学んでも仕方がないと思いながら、本を買い込み、読み始めるのです。そんなことに時間がかかり、書くことがいっそう疎かになりがちです。書くのが滞っているときは、そのような時間を過ごしているのだと、ご寛恕ください。
 では、みなさま、良い日々をおすごしになりますように。

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