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2006/01/02

年賀状雑感

 毎年のことながら、どさっと配達される年賀状の束が、楽と苦とを、こもごもに届けてくれる。楽は、久しぶりに知人の近況を知り、それぞれ仕事や生活に真摯に向き合い、あるいは余生を楽しんでいる様子を知ることである。写真入りも多い。本人や家族より、自慢の子供さんを主役にした賀状も多い。毎年もらうと、成長ぶりが微笑ましい。苦とは、こちらから送らなかった相手から賀状がきてしまうことである。特に目上に当たる人からいただいてしまうと、心苦しい。さっそく恐縮の一筆を書き添えて、こちらの返書を出す。

出した人、もらった人 年賀状を出す先の選定には毎年悩む。前年あるいはもっと以前の送受の実績を書き込んである一覧名簿をプリントし、熟考して決める。退職直後ならいざ知らず、仕事でのつき合い先とは、年とともにつながりが薄くなった。毎年、宛先を絞り込む方向である。こうして決めた「年賀状を出す人の集合(A)」と、「年賀状をもらう人の集合(B)」がぴたり一致する(A=B)とめでたい。あるいは出した人がもらった人をすべて含んでいれば(A⊃B)、一安心である。また出しかつもらった人(A∩B)が、ほとんどである(A∩B≈A)ことがねらいである。しかし実際にはもらったが、出さなかった人の集合(B∧¬A)が大きいことが問題である。年賀状は夫婦で共通の知人に出す分が多いが、それもふくめて、私関係で約120通出したのだが、出してなかった人の賀状が、30を超えていた。やはり相当読み違えていたことになる。

読み違い、すれ違い 読み違いは、やはり形ばかりのおつきあいになっている人に多い。こちらはもういいだろうと切る。ところがつき合いをいつまでも大事にする人がいて、こちらはもういい、と思っても離してくれない。またこんなこともある。今年も来るだろうと、こちらが出す。ところが昨年は返事がなかった。よし、これで縁が切れた、と思って今年は出さなかった。ところが相手は、逆を考えるのだろう。去年こちらのが行った、返事を出さなかった、悪かった、今年は出そう。こうして切れたつもりの人から到来する。いたちごっこである。

疎遠ながら続く人、さまざま むかし何かのつき合いがあっただけという人たちとの関係もさまざまだ。関係がなくなるとすぐに切れてしまった人は多い。一方、もう関係はなくなったのに、年賀状のやりとりが続く人がいる。この方々は、ほぼ三つに分けることができる。いっしょに仕事をした喜びや苦しみの思い出をいまだに共有できる人たち、仕事は離れてもつき合いを大事にする信義に篤い傾向の人たち、形ばかりだがとにかく年賀状を出す人たち、の3種である。この最後のグループの人たちの年賀状は素っ気ない。謹賀新年と名前だけ、という人もある。印刷屋に刷らせ、宛先も他人任せのような気がする。もうごめん被りたいのだが、目上に当たる人だと無視もできない。さりとてこちらから進んで出す気がしない。これが30通の中にかなりあるのである。

一筆の添え書き 印刷したものだけでなく、必ず一筆添え書きをしてある賀状はうれしい。私も必ずそうする。私の賀状は、昨日も紹介したようにHP本館に掲載してあるが、その表ページの画像を見ていただくと、「明けましておめでとうございます」と、本文との間に数行スペースをとってある。そこにメッセージを書く。できるだけおざなりでない、ひとことを書き込むことにしている。しかし「お元気ですか」しか、書き込みようのない相手もある。ひとことといえば、今年は、小泉流ワンフレーズに習って、短文表現をモットーとした。「久しぶりの再会。おかげで。刺激もらった。また。」というような調子である。連れ合いのみやは、書き添えのない人には次回は出さない、来ても出さない、という方針をここ数年貫いて、やりとりの相手をかなり絞り込んだ。こちらにもそう勧めるが、できないでいる。

篤い人、出世する人 仕事上のつき合いもそれほど密ではなかったのに、仕事を離れても、必ず年賀状を送ってくれる人がいる。それも手作りで工夫を凝らしたり、一筆を必ず添えたりして送ってくる。現役で多忙であるはずの人から、そのような賀状をもらうと、その人の人柄が偲ばれてうれしい。かつて関係したお役所関係でも、こういう人が何人かいる。彼らは必ず出世する。なるほどな、と思う。

ブログを読んでくれる人 意外な人から、HPとブログを読んでいます、と書いてくる。賀状に記載してあるURLを入力して、読んでいただいたとはありがたい。しかし、この人に読まれていては、書きにくいな、と思う人もある。原子力問題などへの筆先が鈍りがちなのは、そのせいである。賀状を出しているわけではない人に、しっかり監視しているよ、と警告されたこともある。いまだに一家意識を人に押しつけるつもりらしい。それはともかく、年賀状をやりとりする相手(A)に、HP/ブログの愛読者(C)がいてくれること(A∩C)はうれしい。

郵便局にドライブスルーが 私が30通あまり、連れ合いも20通ほどの返事の年賀状を出しに行って、ちょっと驚いた。返事をできるだけ早く届けたいと、近所のポストではなく、水戸中央局まで車で出しに行く。そのように考える人が多いらしく、元日の午後は、がらんとした街中で、中央局の回りだけは、車で溢れる。車を暫時停車する場所にいつも苦労する。ところが今年は、流れがよかった。「年賀状受け取りドライブスルー」が設けられていたのだ。中央局は水戸のメインストリートに面してある。このあたりは車道も歩道も広い。その車道に面して、歩道上に郵便局員が数人待ちかまえて、車のウィンドウ越しに年賀状の束を受け取ってくれるのである。車列整理の人も出ていて、順番に一車、十秒程度で、どんどん受け取ってくれる。その先の歩道には、臨時の年賀状と切手の販売所まで設けてある。冷たい風が吹き、みぞれ交じりの雨のちらつく悪天候の中だった。局員さんご苦労さん、とつい言いたくなった、なるほど、民営化効果かな、と思った。

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コメント

アクさん

おめでとうございます。

年賀状雑感を楽しく、共感を抱きながら読ませて頂きました。

お書きになられたこと、一々ごもっともなのですが、なかなか思う様にはいきません。最近はお正月に家にいない事が多くて、以前ほど年賀状にはこだわりませんが、頂いた方に出してないのは、本当にどうしようと、悩みます。

一言も添え書きのない年賀状にはやはりその人を感じます。
そうは言っても、私も書く事のない人が時々います。

毎年、お会いしたいと書いてくる人にも、何十年と会っていません。年賀状には、これと言ったお手本はありませんけれども、最近は写真入りが多くなりました。

私も、写真入りを使う方ですが、良い写真がなくて今年は苦しみました。
それと、突然プリンターがこわれて慌てたり。
そんなわけで、私も添え書きが月並みだった事を、お詫びします。

来年からは、しっかり気合いをいれて書く様にしますから、リストに残しておいて下さいませ。

投稿: 美千代 | 2006/01/04 09:48

美千代さん、今年もよろしく。たしかお正月休みをいずこやらでお過ごしだと聞いていました。おかえりなさい。さっそくのコメントありがとうございました。添え書きは、私も悩みます。美千代さんへは、みやが書いたのでしたね。私が書いたとしたら、なんとかいていたか。おそろしい。書いたものは、結局じぶんにふりかかってくる。

投稿: アク | 2006/01/04 10:22

アクエリアンさん、奥様新年あけましておめでとうございます。今年も現役の最中から遊ぶことばかり考えてばかりいる私をいろいろと公私共々ご指導ください。
 さてさて、年賀状の件でした。私は昨年までは米国留学中ということを口実に賀状の方は失礼させて頂いておりました。しかしながら今年よりそうは参りません。そこで今年より、小泉首相の聖域なき構造改革の威を借りてE-mailによる年賀状改革を進めました。メールアドレスを知らない方やパソコンを使用されていないご年配の方々には実際の賀状を出しましたが、職場で直接のおつきあいのある方々、メールで連絡をとった方が早い方々などはE-mailで済まさせて頂ききました。最盛期には120枚以上だった年賀状が10枚に減りました。私にとっては初めての試みでしたが反応にはさまざまありました。面白いのは結構、近況を詳しく書いてこられる方が増えたことです。書面での年賀状ならここまでかけないだろうと思わせるような詳しい近況まで返信して頂いた方もいました。さらには年賀状の返信の返信のようにコミュニケーションが広がり、確かに電子化した利点は存在します。
  話は変わりますが、私の所属する職場も聖域なき構造改革の対象についになったようで、独立法人化することになりそうです。さすがの日本最大の圧力団体も小泉首相の波状攻撃に抗することが出来なかったようです。どうなることやらです。

投稿: Aurora A | 2006/01/05 02:18

Aurora A さん、今年もよろしく。
 年賀状改革ですか。できればいいのですが、なかなか難しいですね。私の場合、クリスマスには、Emailでカードを送ってくださったかたがいましたが、年賀状emailをいきなり送ってくださった方、はなかったですね。送った年賀状(「てとら」)に、emailで、あらためて返事をくださった方は、何人かおられます。こちらにあわわせて詳しく近況をお知らせくださったようです。
 電子化には、やはり世代的なバリアがあって、Aurora A さんの世代では、これからどんどんそのようになっていくのでしょう。でも、初詣の人出が例年より増えた、と言うような報道を聞くと、日本伝来のお正月の迎え方は、変わらないような気もします。アメリカでも、クリスマスカードは,やはり、電子化したものではなく、カードを送りあっているようですね。私のところにも,何通か来て、それで縁がつながっている人もいます。
 ○○センターも、とうとう独法化ですか。身分の問題を別にすると、あまり変わらないのではないですか。その保証を取り付けて、受けいれた。身分も現在公務員の人は現状を保証されているのでしょう。表向きの改革偽装ではなく、真の改革をしてほしいですね。時勢に逆らえず改革を進めるという側面と、その時勢を形だけでやり過ごすという側面とがせめぎあうと思うのです。形だけでよしとするような面が見られるのは残念です。

投稿: アク | 2006/01/05 22:28

アクエリアンさん、レス有り難うございます。
 年賀状改革に関しては確かに実用だけを考えれば電子化した方が良い面が多くあるでしょう。しかしながらアメリカでも実際のカードを送り合っている現状を考えるとヒトの心はそんな簡単な理詰めで割り切れないということなのではないでしょうか。
 特殊法人改革に関しては本当の改革を行って欲しいとのことでした。しかしながら今まで改革をしようにもそのことを話題にするだけでもタブーといった風潮があったようです。良く看板の架け替えだけだという声が聞かれますが、看板だけでもよく小泉首相は架け替えたものだと個人的には思います。長い長い道のりの一歩でしょう。しかしながら初めの一歩を踏み出すことはその後の大きな進展と同じくらい大きな意味があるのではないかと個人的には考えています。まずは枠組みだけ、看板だけです。この一歩は非常に小さな一歩ではありますが、「絶対に変わらない」とまで言われた官僚天国の組織において大きな歴史的な飛躍ではないかと思っています。ただ、官僚もしたたかなものでこのバーターとして定年延長を画策しているようです。どこまでいっても煮ても焼いても食えないのが官僚と東大といったところでしょうか。

投稿: Aurora A | 2006/01/05 23:51

一歩を踏み出したことは、私も同趣旨で理解しています。
>どこまでいっても煮ても焼いても食えないのが官僚と東大、
というのも、ほぼ同意です。「ほぼ」というのは、稀にはいいのもいるからです。2流以下が悪くしている元凶です。Aurora A さんもおわかりでしょうが。

投稿: アク | 2006/01/06 11:37

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今年は去年祖母が亡くなったので喪中ですが べん万はもともと10年近く年賀状は出していません。 周囲の人間には 「うちは宗教上年賀状は厳しく禁じられている?」 と言って誤魔化していますね。 「宗教のことなのでこれ以上は聞かないで」 「凄くデリケート....... [続きを読む]

受信: 2006/01/02 18:56

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