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2006/01/04

「なぜ、男は老いに弱いのか?」を読む妻

 眠りに入る前にふたりとも本を読む。年来の習慣である。妻は、読んでいる本を手に持ったまま、寝込んでしまう、という特技を持っている。バタリと落とさずに、本を上に掲げたまま眠り、気がつくまで長い時間そのままである。これは特技であろう。寝息が聞こえているのに、枕元のライトはついている。またかと起きあがり、手から本を取りあげ、布団をかけ直し、灯を消してやる。何かむにゃむにゃ言っているが、要領を得ない。翌朝になると、そうして寝入ったということなど覚えていない。これがほとんど毎夜のことである。

 二日前の夜も、いつもと同じだったが、ふと見た本のタイトルに驚いた。『なぜ、男は老いに弱いのか?』とある。目が点になるという表現があるが、そのときの私は、ほんとにそれだった。表紙がよくない。「」と「老い」の文字が、男の顔の真ん中に、大書されている。ウヘーェ! ガーンとやられた感じだった。雑読系で何でも読む人だ。なぜこんなテーマの本を? と不思議に思うこともある。しかし、このタイトルはいくら何でもダイレクト過ぎないか。最近ボケが進行中だと、私の身を案じてのことだろう。それはよい。しかし、こんなタイトルの本を、連れ合いに読まれる、夫の立場になって考えてもらいたい。知られずに、こっそりと読むべきではないか。

 彼女と私の読む本のジャンルは、年とともに離れていく。若い頃は、同じ本を読み、感想を交換したりもした。いつの頃からか、ほとんど重なりがなくなったことに気づいた。その頃からお互いに、相手の読む本には関心がなくなった。彼女は先に書いたように、雑読系である。主として文庫本を読む。実際家である。固いものは読まない、経験談などのノンフィクションものや、いわゆるハウツウものが多い。小説は、もっぱら日本の鼻息の荒い女流作家のものだ。私はハウツウものは軽視している。読書人たるものの矜持だと心得ている。文庫本はよほどでないと読まない。本屋に行って文庫本のコーナーを漁るということはない。

 さて、いくら雑読とはいえ、この本はひどいではないか。翌日問うてみた。「なんちゅう本を、あんた読んでるの」「はっ、はっ、は」いきなりの高笑いである。「気がついた?ちょっとまずかったかな」。でも、顔はいかにも愉快そうで、全然反省の色がない。「あんたに、こんな本を読まれる、わしの身にもなって見ろよ」「あなたもそろそろ年だから、私としても、いろいろと考えておかなくっちゃ」「そんな本読んで、対策講じられるようなオレじゃないよ」「いや、あなたもあの本に書いてある通りだわ。いろいろ思い当たるところあるよ。一応まだ大丈夫な部類にはいるけど。でも男って駄目ね」。男は弱い、女は強い、がこのところ彼女の持論である。世の中たしかにそれを立証するような事例が多い。「あなたも読んでみたら」「いや、さわってみたくもない本だな」「まあ、私が読んでおいてあげるから」

 私は亭主関白である(いや、であったと言うべきか)。夫婦は、夫が主導するものだと、決めている。これは、私の場合、日本的な男性優位思考からではなく、若い頃刷り込まれたキリスト教の影響から来ている。いまではすっかり離れてしまったが、幼時から刷り込まれた聖書の言葉にもこうある。「夫たるものよ、・・・、女は自分より弱い器(うつわ)であることを認めて、知識にしたがって妻と共に住み、命の恵みを共どもに受け継ぐものとして、尊びなさい」(ペテロ第1:3章7節)。女は弱い。だから大事にいたわってやらなくてはいけない。こう教えられてきたのだ。だから、許せ、男が主導するように、人間は創られているのだ。何か大事なことを決めるのは、男たる自分である。こういう考えでやってきた。いまどき、古代の男女観を反映しているに過ぎない聖書の一言半句を勝手に引用し、こんなことを公然と言ったら、非難囂々だろう。しかし、それは、それぞれ依って立つところは違うにしても、私たち世代の男の暗黙の了解だ(今は違うらしい)。妻は私の方針に従順にしたがってきた。わがままも許してくれた。私の唯我独尊的なものいいを大目に見てくれた。ときには毒のある言葉すら、ニコニコしながら聞くだけだった。

 ところが数年前から事情が変わってきた。わが家での夫と妻のバランスは、どんどんあちらのほうへ傾いていくのである。何かものをいえば、従順に聞くどころか、反撃してくる。それも私がさんざん使ってきたのとそっくりの、理屈と言い回しで、こちらに言い返してくる。テキは、じっと耐え、そして学びながら、時期を待っていたらしい。そしてその時期は訪れたのだ。今や、男は弱い、女に従え、へと場面は転換したのである。主導権はあちらに移った。何しろ分が悪い。毎日、毎食、食べさせてもらっている。こちらは何もしない。食器洗いとコーヒーだけはやるが、それなどあちらの評価には入らない。一日中、何の役にも立たない本を読むか、パソコンの前にいるだけである。夜ともなれば、アルコール漬けである。買い物もあちらがひとりで出かけ、重いものを背負ってくる。人間て、どうしてこんなに食べるのだろう、といつも愚痴られる。家計もあちらが全面的に握っている。うちの中のどこに何があるのか、自分の着るものぐらいしか分からない。どう考えてみても分が悪い。

 そこへきて、『なぜ、男は老いに弱いのか?』である。参ったな。今さら、聖書の言葉を持ち出して説得できる相手でもないし。誰か「ほんとは、男は老いに強いのだ」という本でも書いてくれて、妻に読ませてくれないものか。それとも、もっと強力な対策を伝授してくれる読者はいないか。なに? 無駄な抵抗はやめて、降参するしかない、だと? そうかもな。

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コメント

ご無沙汰しております。本年もよろしくご教授ください。さて、
あははと思わず笑いました。どう見ても1本とられましたね、というのが正直な感想です。

う-ん、勝つ方法などありませんね。ただ、喜んでもらうという方法ならあります。
例えば、男の料理をひそかに習得し、一日おきでいいから、料理を分担するというのはいかがですか?
勿論、跡片付けまでご自分でされねばなりませんよ。さもないと、かえって嫌われます。

 脳みそは右脳左脳が役割分担していることは釈迦に説法でしょうが、料理は芸術や感性と同じ部分を使うような気がします。
 アクさんがお好きな永井荷風も食道楽というか、結構B級グルメでもあったようです。
ぜひ男の料理に邁進し、このHPに『アクエリアンのB級グルメ、料理三昧』というコーナーをおつくり下さることを心から祈っております。
 

投稿: 魔法使い | 2006/01/10 23:55

魔法使いさん、今年もよろしくです。
 このエントリには、笑っていただけましたか。それが、私の狙いでしたから、目的を達しました。
 料理を分担すること。ワイフからは、ずっと圧力をかけられています。これまで何人かの方に勧められました。また身近なところに私にとっては都合の悪いお手本を示してくださる方がいます。ほんとうに困っているのです。しかし、私は守るべき最後の一線として、ここ数年持ちこたえてきています。マジノ線とは違って堅固です。
 なぜやらないか。まずワイフが料理上手で、私が手を出す余地がないからです。毎回、こんなに美味しいものを食べさせてもらって幸せだと、あらん限りの美辞麗句を並べて褒めちぎります。
 なぜやらないか、その2の理由は、私に時間のゆとりが全くないからです。やりたいことのいくつかは、時間がないためにあきらめています。これで料理に手を出したら、私の性分として凝るに決まっていて、一食つくるのに半日を費やすことになるでしょう。本棚には料理の本が並び、包丁その他道具の類を買いととのえ、食材に凝り、大いに金をかけ、ということになるに違いありません。その結果、今やっている何かをあきらめなければならなくなります。
 これで料理に手を出さない、十分な理由になりませんか。

投稿: アク | 2006/01/11 14:58

残念ながらなりませんねえ、笑。
その理由は、人間は忙しく多才になればなるほど、その能力を発揮するからです。
例えば料理を始めたとしましょう。
きっとアクさんは出来た料理を写真に撮ることになります。
すると、いずれは食べるという以外に、写真撮影という楽しみのためにも料理を作ることになります。
そうなると、写真の主題が増えるわけでして、
「今度はどんな構図で写真を撮るか、そのためには、どんな並べ方にするか、など、確実に楽しみが増えますよ。
 それと、奥様の料理とは違う分野の料理に挑戦すればいいわけでして、例えば、「かつおのわら焼きたたきカルパッチョ風」とか豪快かつ美容にもいいといったジャンルを開拓すればいいと思いまーす。
 さらに、私はこうした会話が大好きなのでアくさんと会話を楽しむ時間が持てるという貢献が出来ます。
 たまには肩残らない話って、いると思いませんか。このHPの人気スポットになること請け合いです。
ああ、こんな書き込みをしていると楽しくて仕様がありません。
 是非是非料理に手を出してください。
先日、西鉄ライオンズの豊田というかつての名選手が、「百まで生きると仮定し、そこから現在の自分を再構築する」話を書いていました。
 これをバックキャスティングというそうです。
さて、この考えでいくと、アクサンはまだ30数年も時間があるわけです。
料理を楽しまない理由はこれで無くなりませんか?? ^0^

投稿: 魔法使い | 2006/01/12 18:40

魔法使いさんにすっかり楽しまれてしまいましたね。まあ、攻めまくられるのはいやですが、ああいえば、こういうで、お相手しますよ。
 私のあげたこれ以上ない決定的理由が、料理をやらない理由として成り立たない、とおっしゃると、困ります。もっともこれは主観的理由で、自分と連れ合いを納得させれば、とりあえずの役目を果たしています。
 写真?ある時期、毎夕食の料理の写真を必ず撮っていてことがありました。どうしてやめてしまったのか、このところはやっていませんが、記録にはなっても、写真のテーマにはなりません。海外旅行へ行くと、レストランでは必ず撮りますが、これも記録用です。
 豊田選手のバックキャスティングの話、面白いですね。私のおすすめブログにある「内田樹の研究室」にも1/1に似た話がありました。カウントダウン方式と名付けていましたが、未来のある時点を想定して、そこから現在の自分を想像してみる、ということです。豊田のとよく似ていますが、ちょっと違うようです。バックキャスティングというのは、百歳生きると仮定して、現在からそこまでの計画を立て、現在何をするべきかを考える、ということなのでしょう。内田のは、先のことは分からない。しかし仮に百歳まで生きたとして、そのときの自分が、現在をふりかえってみたときに、現在の自分をどう見るだろうか、と想像してみる。それが現在の自分に何をもたらすか、ということのようです。
 百歳を迎えた私が、現在の自分をふりかえって、どう考えているだろうか。あのときに魔法使いさんに勧められて、料理に手を出すことにしてよかった、と思うかと考えると、否。そそのかされて、手を出さなかった、それであのこと、このことをまっとうできた、おまけに夫婦円満に過ごせた、よかったな、と、にんまりしている自分です。

投稿: アク | 2006/01/12 20:19

もう少しだけ楽しませてください。
私が料理写真を思いついた時イメージしたのは、食材を素材にしこれを組み合わせまったく別の、例えば、擬人化してしまうとかそんなテーマをずっと追いかけている女性写真家のことを頭に浮かべていました。 
 はっきり覚えているのは、鮭の全身に安全ピンをびっしりくっつけたもので、彼女の代表作だったと思いますが、名前が出てきません。
ついでといっては何ですが、この女性写真家の名前、何とか調べていただけませんか?年齢は60代だと思います。

 確かに、連れ合いのジャンルに踏み込まないという生き方も、ひとつの人生として正解なんでしょうね。しかし、せめて1週間、いや、月に一度でもいい、料理に手を出してもいいんじゃないかと思うのですが。
 実はこの書き込みを継続していることのひとつに、みやさんという助っ人の登場を、今か今かと待ちわびているのですが、援軍きたらずでしょうか・・・・ああ、残念だ、無念だ・・・・・。
人生いろいろ、ん?歌手?首相?
お後がよろしいようです。

投稿: 魔法使い | 2006/01/14 09:31

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