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2006/01/16

散人先生の「でも、なんであんなところに人が住む?」を考える

 余丁町散人さんのブログ(Letter from Yochomachi)は、軽妙な口調で幅広い話題をとりあげ、読んで面白いし、視野を広げてくれる。永井荷風好き、余丁町界隈に住むという共通項から、ネット上で年来のおつきあいをいただいている。その散人先生が、今回の豪雪被害に関するマスコミや政治の対応に、『豪雪の被害がたいへん……でも、なんであんなところに人が住む? 』(06/1/11)を書いた。あんな雪深いところに住まずに、みんな都市部に住んだ方がいい、国や地方自治体が、税金を使って救済するのは国民経済的に損だ、という大胆な主張である。あちこちでさんざん議論されたようだ(一例:はてなブックマーク)が、私も考えるヒントをいただいたので、書いてみよう。

農村偏重は間違っていた 散人先生は、農政に偏重した日本の戦後政治のあり方が、日本という国をおかしくした、との観点から、さまざまな問題点を取り上げ、都市対地方、都市のサラリーマン対農民という対立軸のもとに、日本の政治の力点を都市住民に向けていくべきだ、との主張を粘り強く続けておられる。たいへんな反発を農村重視の人々から受け、ブログや掲示板での攻勢を浴びておられるようだが、一歩も引かず、主張を曲げずに闘っている。日本社会で、ある種タブー化されてきたことを、これだけ思い切った言い方で取り上げている人を、私は寡聞にして知らない。農協などという日本最強の圧力団体を相手に、個人として戦いを挑んでおられる様子は、失礼だが、ドンキホーテを思い出してしまう。

農村を基盤とする政治風土 日本の選挙制度と政治的風土(都市生活者は政治的無関心層が多いことなど)が、米造り農業を大事にし、農家を過保護し、地方の公共事業に過分の金を回し、国全体としての経済効率の悪いシステムを作ってきた。それが日本最大の問題点であり、やっとそれを是正する方向に改革が進みつつある。しかし、まだまだそれに対する抵抗はつよい。農業分野にもっと市場原理をいきわたらせ、競争力のある産業にしていかなければ、日本という国の将来は危うい。私の言葉でさわりの部分だけを書くと、このような主張だろうか。私も大筋のところは同意見である。農家=弱者、という固定観念は、全然間違っている。茨城県のようなところに住んでみると、よく分かる。代々農村に根を下ろして生活している人々の暮らしは、垣間見るだけだが、安定し豊かなようだ。子弟らの教師や地方公務員などへの就職も、地縁血縁がものをいう。そんなことでしっかりした地域コミュニティが「利益共同体」としてできている。それが地方政治も中央政治の基盤となる。しかし、その政治的風土もそれを支えた地方社会の構造も変わるだろう。変わらなくてはいけない。それが小泉改革だし、小泉さんなくしても、遅かれ早かれ、その方向に行かざるをえなかっただろう。

雪害は騒ぎすぎ? 散人先生の考えに同調して、一般論をだらだらと書くのが本記事の趣旨ではなかった。方向はそれとして、今回の発言には、考えさせられる点があることを書くのだった。何でそんな雪深いところに住むの? 住むとしたら、それで被害を被るとしても、それは自己責任でしょう、と、散人先生はおっしゃる。推察するに、散人先生は、この言い方が酷で、物議をかもすだろうことは承知の上で、敢えて挑発的に書いたのだろう。案の定、コメントやトラックバックが殺到したらしい。コメント欄(散人先生は、しばしば集中攻撃を受けるので、スクリーニングしたコメントのみ掲載している。ひどい罵倒のコメントは載せない)での返事の中で、たった二人生徒の学校に無理して先生を自衛隊のヘリで送り込まなくても、と書いておられる。私も、こんな時期、無理して学校を開かなくても、と思った。しかし、・・・、と思うこともある、それを少し書いてみよう。

土地に固着する心情 日本のあちこちへ行ってみると、よくぞこんなところまで人が住んでいるな、と思うことがある。そういう場所に立つと、厳しい環境の中で生存を図ってきた何代にもわたる人々の苦労の集積が見えてきて、人ごとながら凄いな、と私は思う。農民にとって土地へのこだわりは、都市に住むものの想像を超えたものがあるに違いない。そんなところを捨てて、もっと暮らしやすいところへ行けばいいのに、とは簡単にいえないものがある。それは経済原理を超えたもの、あるいは、人間心理、社会心理を取り込んでの経済学(そんなものがあるかどうかは知らぬが)の問題だろう。単純に経済的、効率的な面だけで判断し、政策化することはできない、田舎の人の気持ちを推し量る必要があると思う。彼らの気持は、重く沈み、土に固着している。

切り捨ててはいけない 散人先生のところに出没し、わざと過激な言辞をもてあそぶ某氏が「我々は僻地に住んでいる田舎者が「自然死」するのを気長に待ち、過疎地が消滅していくのをじっと見守っている。これでいいのだ」という書き込みをしたときには、さすがに散人先生、たしなめていた。こんな言葉で、都市住民対過疎地住民が対立してはいけない。

ひとりギシギシと鳴る廃屋寸前の家に 年寄りがひとり、離れることもかなわぬ陋屋に住み、降り積もった雪の重みに、柱や梁がギシギシと不気味に鳴るのにじっと耐え、雪降ろしをする体力も使い果たし、ひたすら救援を待つという状況は、さしたる感性も想像力もない私でも、気の毒だな、何とかしてあげたらいいのにと思うほどひどい。自衛隊の出動や、国や自治体のの除雪費補助などは当然だ、と考える。今度の豪雪は、大水害や震災並みの大災害だと思う。

競争社会の負の側面にどう対応するか これまで過保護に傾いた地方への政治的な手当を是正していくのは、時代の当然の動きだろう。市場原理が働き、すべての産業と労働が、効率を目安に淘汰されていくことだろう。その中で、切り捨てられる人々が出てくる。そういう社会ではうまくやっていけない人がある程度出てくることを、覚悟していかなければならない。弱肉強食、滅びるものは滅びればいい、とはいえない。競争の方向を強めに選択すれば、当然出てくる負の側面として、社会が全体として負担していかなければならない。それは競争社会に制度として備えられるべき安全弁のようなものだろう。自由な競争をめざしながら、勝ったものが、負けたものに、どれだけ暖かいまなざしを注ぐか。社会の構成員の倫理観の問題であり、政治の選択の問題だろう。それは国と国との関係についてもいえることだ。

享受の倫理を超えて 倫理と書いた。エゴを持つもの同士が、自分の利益のために、互いに闘いあうことを本性とする近代社会の中で、ある程度常識化された倫理がある。人に優しくする、困った人を助けてあげる、それは、自分がそうされたいからである。そういうレベルの倫理では、人の世はやっていけないのではないか。それを真剣に考え、書き残した人がいる。レヴィナスというフランスの哲学者だ。この人の考えを紹介した本の中で、こんな言葉を読んだので書きとめておこう。ここでの問題にどう関係するかを説明するのは、難しいが、この人の考えた倫理のレベルまで、考えを深めないと、本件を含めて現在の社会のさまざまな問題は乗り越えられないのではないか、と予感しつつ読み進めているので。

 レヴィナスが根本的に変革しようとするのは、自由の主体だったはずの私の根底にはすでに他者が居合わせてしまっており、私はいつもすでにその他者に関わらないわけにいかないことを以て「責任」とする点である。

 自分ではほとんど私に対して力を行使できないほど弱い存在の方が、それにもかかわらずその「顔」から発せられる「私を無視してはならない」という命令の声の抗(あらが)いがたさがよく見える。(以上引用:斉藤慶典『レヴィナス 無起源からの思考(講談社選書メチエ)』

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コメント

アクさん、どうもコメントありがとうございました。「ドンキホーテ」のくだりには苦笑い。ホントにそうです(特に映画版ドンキホーテ。最後まで「狂気」を失わない)。でも、心の優しさを忘れてはいけないですね。同感です。都市部に住む恵まれない人がとても可哀想。

PS)アクさんのエントリーから「はてなブックマーク」へのリンクが切れてます(URLにゴミが入っている様子)。最近「はてなブクマ」ですら2ch化しているようで面白いです。

投稿: 余丁町散人 | 2006/01/17 12:03

ご本人からコメントをいただいて恐縮です。「ドンキホーテ」呼ばわりして、失礼しました。セルバンテスのドンキホーテは分別なき騎士妄想者ですが、余丁町散人さんは、分別をもってこその戦いをやっておられる。ますますのドンキホーテぶりを期待し、私も応援します。
リンクのご指摘ありがとうございました。長いリンクURLに改行がマークが入ってしまったようです。

投稿: アク | 2006/01/17 17:27

少し書き足します。今読んでいる小島信夫(作家、『抱擁家族』など、多分90歳)が、最近書いた文章の中に、こんなことが書いてありました。

『もし地球がなくなって、ほかの星に行くことになったとして、そこの住人に「お前の住んでいた地球というところで、今までに行き着いた最高の思想は何だ」そう聞かれた私はチュウチョなく一冊の本を手渡してこう云うだろう。「それはこれだ『ドン・キホーテ』だよ」ってね。』

小島はこの文章をドストエフスキイがどこかで書いたものと、記憶しているようです。

投稿: アク | 2006/01/17 20:32

白状しますと、本物の小説『ドン・キホーテ』は小さい時に無理やり読んだだけで、ほとんど覚えていないのです。一度じっくり読んでみたいと思います。

PS)変なトラックバックがついてますが(散人への悪口)、気になさらないでください。散人は憎まれ者なので、善意の第三者が散人の記事をリファーして何かを書くと、いきなりこんなことになるので普通の方はびっくりしてしまいます。トラックバック先ブログURLへのリンクのないトラックバックは、たいていが「意図する」ものではありますが、いやな世の中です。

投稿: 余丁町散人 | 2006/01/19 22:29

「ドン:キホーテ」は、聖書の次に発行部数の多い書物といわれていますが、ほんとうですかね。私も上下2冊の大部のものを所有していますが、パラパラとめくっただけで、読んだことはありません。
あちこちで、問題にされているようですが、それは散人先生とそのご主張にとって、プラスにこそなれ、マイナスではありません。そのうちに、皇居前広場は無理としても、住吉町交差点の空き地(将来何に使うのか、空いてますね)に、「ドン・ナオユ・キホーテ」の銅像が建つかも知れません。今度通りがかりに夢想してみてください。

投稿: アク | 2006/01/19 22:47

ありがとうございます。曙橋の空き地、あはは、面白いですね。

あの三角形の区画、最初は工事用のツツジの株の保管所だと思ってたのですが、工事が終わってもツツジだけ。公園にすればいいのにと思います。

投稿: 余丁町散人 | 2006/01/20 17:47

 もう少し事態を把握されてから、ご隠居さん(余丁町散人)をかばうなりされたほうが良かったのではないか?と私は思います。
 まぁ、アクさんの記事は人柄の良さが感じられる記事ですから、叩かれることは無いと思いますけど。

 友情を感じるなら、時には怒ることも必要だと思いますよ。
 「怒」の感情は情が深くなければ出すことはできませんけどね。

 最近は「怒」の感情を出せる人が少なくなりました。大概がキレて怒鳴っているだけのように思います。

投稿: 空楽 | 2006/01/22 10:27

至急!アクさんへ。

へんな書き込みとトラックバック。スルーです。スルー。でないと、たいへんなことになります。

投稿: 余丁町散人 | 2006/01/22 14:02

はじめまして。
空楽さんのところからやってきました。

ご隠居さんは風車の持ち主からみたドン・キホーテ…ということですね。

日本の農業は、欧米諸国に比べると過保護はおろか、適切な保護はされていないことになります。
日本の農業の諸問題は、適切な保護をしてこなかったことと地方都市部に共通する公共事業依存経済の二つが主因ですから。

農政・農協の批判をするのなら、正確な事実を把握しないと批判にもなりませんよ。
ご隠居さんレベルではとてもとても…。

投稿: テンペ | 2006/01/23 23:07

これが余丁町散人さんが警告してくれた集中砲火の一つなのでしょうか。
 私は、この問題を論じるほど詳しくはありません。大部分の都市居住者は詳しくないでしょう。しかし私を含めて、彼らは、やっと気づきはじめたのです。今までの日本の政治は、農業保護に偏りすぎ、その結果日本がおかしくなっていると。それは気づいたというより、実感として感じはじめたといった方がいいでしょう。
 正確な事実はどうぞ、一方的でないかたちで、世間に出してください。しかし私たちは知っていますよ。たとえば、ほんとうに専業でまじめに農業をやっている人よりはるかに多い人数の人が、農業関連で飯を食っているということを。農協の職員、農水省の農業関係の公務員、地方自治体(県、市町村など)の農業関係の職員、・・・。農業そのものではなく、農業周辺で甘い汁を吸ってきた人たちが、農業が大事だ大事だといってきたのではないですか。

投稿: アク | 2006/01/24 09:33

えーと、それではアクさんはご隠居さん同様に
「農業の諸問題に詳しくなく(根拠無く)農業は過保護だと信じている」
…ということになりますが。
まあ、自分が興味が無いことには仕方が無いことなのかもしれませんが、それは、アクさんが好感情を抱いていない(だろう)疑似科学的思考となんら変わらないですよ。

長々と他人様のブログのコメント欄を独占するのは本位ではありませんし、基礎から始めるなら幾らあっても足りませんので、基本的なことから日本と世界の農業の比較までがわかるURLの紹介に留めておきます。

○農林水産省内:農林水産業ひとメモ
http://www.maff.go.jp/hitokuti/top.htm

○農業共同組合新聞内:検証・時の話題(INDEX)
http://www.jacom.or.jp/kensyo/kensyomn.html

○農業情報研究所
http://www.juno.dti.ne.jp/~tkitaba/index.html

ご隠居さんなら、
「御用機関のデータや提灯持ち学者の発言は信用できない」
とかいいそうですが、そのデータや発言を覆すだけの根拠が伴わなければそれは批判ではなく単なる中傷でしかありません。
また、その分野に付随する形で様々な私的公的機関が関与してくるのは農業分野に限ったことではありませんよ。

投稿: テンペ | 2006/01/28 11:28

>これが余丁町散人さんが警告してくれた集中砲火の一つなのでしょうか。

 ご隠居さん(余丁町散人)の警告はフェイクであったみたいですね。

>たとえば、ほんとうに専業でまじめに農業をやっている人よりはるかに多い人数の人が、農業関連で飯を食っているということを。農協の職員、農水省の農業関係の公務員、地方自治体(県、市町村など)の農業関係の職員、・・・。農業そのものではなく、農業周辺で甘い汁を吸ってきた人たちが、農業が大事だ大事だといってきたのではないですか。

 兼業農家が不真面目な農家と言うわけでもありませんけどね。

 しかし、だいたいそのような認識をされているなら、ご隠居さんとはスタンスが違うように思われます。
 まぁ、ご隠居さんと同類の人間ではないと思われたい気持ちは理解できますけどね。(^^ゞ

 ご隠居さんから強固なアクセス禁止策をとられたので、私はご隠居さんの面倒をみることはできません。
 ご隠居さんの暴走を止める仕事は、アクさんにお任せいたしますね。友達なんでしょ?

投稿: 空楽 | 2006/01/29 21:35

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