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2006/02/07

近況を少々

 数日前に、71歳になった。こんな年齢になったことについて、格別の感想はない。70になったときに、おや、オレももう70代か、と思ったが、71ともなると、70代が、どかっと居座った感じがする。最近の心境については、年賀家庭新聞『てとら』の最後の部分に「仁の繰りごと」として多少書いた。あらためて繰り返すことはないだろう。ホームページ本館に載せてあるので、興味のある方はそちらをごらんいただきたい。ここでは近況を、雑多になるが、断片的に書いておこう。Macのノートパソコンと、iLifeの新版を入手したこと、iLifeの新機能 iWebで別のブログを作ってみようとしていること、どんな読書をしているかなどの近況についてである。

東京生活とパソコン環境 一昨日までの10日あまり、一日水戸自宅に帰っただけで、ずっと東京での用事が断続的に続いた。ワイフは自分の用事のため、一日東京へ出てきただけだった。すれ違いの単身東京生活は、何とかこなせるが、問題はパソコンとその環境である。携行して使えるノートパソコンは一台だけで、それはパートナーのメイン機でもあった。彼女も今ではパソコンが生活に欠かせなくなっているから、私だけが出かけるおりに携行するわけにいかない。辛うじて代替のつとまる機器は、東京宅に置きっぱなしになっている旧型で、ひどく性能が劣る。どうにかメールはできるが、ウェブにアクセスはままならない。

ノートパソコンの死 こんな次第になったのは、私の携行用パソコンが、徐々に不調になり、ついに死に絶えたからだ。寿命4年ほどと早すぎるのだが、それは愛用してやらなかったせいかもしれない。ワイフのノート(VaioX505/P)が使いやすく、軽量なので海外旅行などのおりに携帯しやすかったこともあって、ついついそちらを重用してきた。機械というのは、可愛がってやらぬと調子が悪くなるという点で、何かに似ている。「何か」が何であるかは、ともかくとして、今や代わりのノートを購入するしかない。

iBookを購入 12.1インチのiBookを銀座のアップルストアで入手した。最軽量、最安価のMacである。最軽量といっても、2.23kg もある。0.8kgを切るX505/Pと比べれば、ひどく重い。Macは、アメリカのアップル社が出しているパソコンで、米国人規格である。彼らは車で移動するし、体格もいい。もっと軽量のものを出す必要を感じないのだろうが、公共交通機関と自分の足で長距離移動をする際に、背負って年寄りが持ち歩くにはこたえる。しかし、Macをメインにシステム構成をしている以上、他に選択の余地がない。

iLife'06 この時期に、新たにMacを入手すると、出たばかりの iLife'06 が搭載済みという余録がある。本当のところは、新型機を除くと未搭載なのだが、アップルストアで交渉すると、インストールしたものを提供してくれる。iLife は、アップルが提供するパソコン生活便利ソフトだ。もともとその一部だった iTunes は、iPod 人気にともなって、無料ソフトになって、ウィンドウズ機にも普及している。iLife の残りは iPhoto などの画像処理ソフト、その他映像、音響用などを含む総合ソフトだが、今回ホームページ簡単作成ソフトiWeb が新たに付加された。その機能の一部を使うと、ブログができるという。ドットMac(.mac)というアップルが提供しているストレージスペースをすでに使っているが、ここにワンクリックで保存するだけで、ブログを公開できる。

もう一つブログを このブログ「Aquarian's Memorandum」は、始めた頃の目論見とちがって、自分としては、かなり重いもの、いうなれば、ある程度まとまった論考を書くことになってしまった。メモ程度の断片的なものを書きとめるのが、もともと考えたことだった。そこで今、これはこれとして、もっと気楽に、あれこれ読み散らす新聞・雑誌やネット上の記事、日常の様々を、リンクに数行メモを添える程度の気楽なブログを持ちたいと考えるようになった。自分の読み歩き、考え歩きの記録として、少なくとも自分自身のためにはなろう。

iWeb だが、試してみて、iWeb はあまりその用にたちそうにないことがわかった。決まったテンプレートを使って画像やテキストの配置を変えてみる。それはできるが、お仕着せで、決まり切ったことしかできそうもない。iWebの使いこなしをいろいろと試しておられるホソイヒサトさんのブログdigitalbooが参考になりそうだが、今のところ、iWeb で努力するより、ココログでもう一つブログを持った方が楽かな、と思っている。そのうちに試してみるので、そうなったら、ごらんいだただきたい。

iBook 導入が生活を変えた iBookの購入は思わぬプラスアルファが、二つあった。6時間電池が持つDVDプレイヤーとして、東京への行き帰りのバスのつれづれを楽しませてくれる。買ったまま見る機会があまりないDVDを結構持っている。ふだん見ようと思いながら、見る時間がない。これからは高速バス(たいていはガラガラに空いている)で見ることにしよう。DVDでなくとも、iTunes を楽しめる。もう一つのプラスアルファは、書き物である。iBook で書いたものを、ドットMacのストレージスペースを通じて、メインマシン(PowerMacG5) と共有できる。寒くて暗い書斎のマシンの前に座らずとも、掘り炬燵のある和室や日中は暖かいサンルームで iBook に書いたテキストが、そのままメインマシンに書いたのと同じことになる。ドットMacのありがた味だ。省電力にもなる。iBook が入ってきて、こんなに生活が変わるとは思わなかった。

ウィトゲンシュタインからレヴィナスへ 少し話を変えよう。読書のことだ。先に引用した『てとら』にも、それとなく書いたし、HP本館の「今週のアク」にも書いたのだが、新しい方面の読書を通して、自分の思考の軸足を見直してみようとしている。これまでずっと読んできた英米系の分析哲学を少し離れて、大陸系の超越論哲学というのか、現象論哲学というのか、不案内なのだが、その方面を少し読んでみるか、という気になっている。分析哲学の系譜につらなりながら、「語り得ないこと」(ウィトゲンシュタイン)に沈黙するだけではなく、語り得ないことをあえて語ろうとする人々の言葉も聞いてみよう。そんな気になっている。いまさらフッサールやハイデガーから読み直すひまはない。いきなりレヴィナスを読みたい。入門書も2,3読んでみた。興味を引かれているが、難解である。それでも彼自身の書いた言葉を直接読んでみようと思う。

小島・保坂への寄り道 ところが、脇道にそれてしまった。少し前に書いたが、小島信夫が突然視野に入ってきた。小島につながって保坂和志の書いたものに関心を持った。悪いことに、いったん興味を惹かれると、深入りしてしまう。保坂のものをいくつか読みはじめた。今まで知らなかったが、小説も、小説や思想について書いたものもいい。波長が合い共鳴するというか。もともと火をつけられた小島のものは、手に入りにくいが、以前のエントリに書いたように、図書館に行けば、大部の著作がいくつか借り出せる。ということで、しばらくはこちらの興味を追いかけることになろうか。レヴィナスと小島ー保坂連合、比較すべきものではないが、後者が読みやすく、とりあえず、易きにつく。といっても、こちらもそれほど読みやすくはない。

 パソコン・デジカメというテクニカルな領域に遊び、読書に明け暮れする。ブログにアウトプットすることが後回しになりそうな近況である。

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コメント

ごぶさたしています。そしてお誕生日おめでとうございます。
やはりマックがメインで、初代の12'powerbookを使っていましたが、若衆であるはずのわたしにももちあるいていると重く感じました。そしてVAIO-Tを併用し始めたのですが、壊れ始めています。ごく小さいPDAのようなマックがあればと思っています。

投稿: H | 2006/02/07 20:58

Hさん、書き込みありがとうございます。PDAのようなMacですか。iPod をどんどん発展させて、そんなものができるのかもしれませんが、アップルは、映像とか音楽とか、マルティメディアに重点を置いているのでしょうか。文字媒体によるコミュニケーションはパス、というような印象です。それでもMacの個性的なところが好きで、重さなど何のその、という気になります。

投稿: アク | 2006/02/07 22:08

お久しぶりです。私が使用しているマシンとほぼ同じ物を買われたのですね。確かに重いです。しかし選択肢はありません。そこのあたりが厳しいところです。マイノリティですからいろいろ不便があるのはどこの世界も一緒かもしれません。しかしながらそのことが有利に働くことも「時にはある」ことを期待しましょう。
 私のiBookは先日液晶の真ん中が白っぽくなって、結局液晶パネルを交換することになりました。今はアップルの部品供給の締め付けが厳しくなって面倒な手続きを踏むことになりましたが、結局クイックガレージにて部品入荷後に対面修理して頂き、マシンを手放さずにすみました。どうしてもiBookはコスト重視なのでパーツ不良が結構な頻度で出るとのこと。もし保証がなかったら10万円以上とられるところでした。早速、この件が終わったところでアップルケアに入りました。2年の保証延長で3万円ちょっとです。場合によってはアクさんも入ることを検討しては如何でしょうか。3年間は確実にこき使える保証になります。

投稿: Aurora A | 2006/02/07 23:55

Aurora A さん、お久しぶりです。iBook を携帯用に入手しよう、と思ったのは、Aurara A さんが米国から帰国されてまもなく、新宿某所ではじめてお会いして、たまたま写真の話になったときに、カバンから白くてツヤのあるMacを取り出して、即座にネットにつないで画像を見せてくださったことが、記憶に残っていたからかもしれません。
 アップルケアは、PowerMac を買ったときに勧められ、入らなかったのですが、というのは、パソコンなど電子機器で3年以内にトラブルが出たことはないとの経験に基づいているのですが、なるほど、コスト重視で問題ありげですか。考えてみましょう。
 別の話題ですが、Aurora A さんは、このところチャレンジですごい成績ですね。私は低空飛行で、何とかついて行ければいい、という状態です。

投稿: アク | 2006/02/08 10:14

アクエリアン様

はじめまして。

ブログに書きこみ、初めての経験ですので勇気を振り絞って、エイヤッて感じでコメントさせていただきます。

どうでもいいことを書き連ねる事になりそうなので、適当にあしらうか、あるいは無視していただきますように。

アク様のサイトに本日たどりついたのは、数日前「風の旅人」18号を初めて購入し、編集長佐伯様の編集便りに接し、公開されてるそのほとんどを読ませて頂いてるときにアク様とのやりとりから、興味を持たせていただきついに貴ブログに到達した次第です。佐伯氏のほんとに真摯な態度に感銘しつつ、感想送りたいな、でも私は言葉が足りない、考えたい、考える刺激はもらってる、でもなかなか言いたい事が表現できない、そんなもどかしさの中、ようやくたどりついたのがこちらのブログでした。最近佐伯様とお会いになって語り合われたか、その場面が(佐伯様の公開されてる文章を一所懸命読ませて頂いてたので)リアリティをもって浮かび上がった感激をちょうだいしました。

投稿: 守分晴子 | 2006/02/09 19:49

すみません、これからが「言うに言われぬ思い」なのですが。。。
アク様が寄り道あるいは回り道なさろうとしてる、保坂氏、小島氏の作品群のことなのでした。アク様はその昔小島氏の作品の一部にふれていらしゃったとか、そして最近新潮の「残光」をなにかと興味深く読まれ、お二人の作品に寄り道してみようかとおっしゃってることに、
ただ読んでる読みながら考えたい、考えても語れない、私からの体験を伝えたい衝動に借られた次第であります。

投稿: 守分晴子 | 2006/02/09 19:59

で、まあいろいろと語りたいのですが。。。

ちなみにどうでもよい局地、私の父親は「仁」とかいて「まさし」と読みます、です。

投稿: 守分晴子 | 2006/02/09 20:09

守分晴子さま、ようこそ。このところ、本来なら風旅さんのところでお話しすればいいところ、私が口を挟んだことから、こちらの方に書いてくださる方がいらっしゃいます。私は、全然迷惑でなく、喜んで話し相手をいたします。風旅さんは遙か高みを飛び、次なる高所を目指しておられます。私は自分の理解できるところを、地につなぎ止めたいと、時にものをいっています。
 さて、その関連で小島ー保坂ですが、守分さんもご興味をお持ちのようですね。小島「残光」については、保坂さんが、次の号(新潮3月号)の連載で書いておられます。保坂さん自身が登場させられた戸惑いと、それがすべて小島流の表現であることを認めていることなど、面白いです。小島小説のおもしろさは、自分を含めて実在の人々を登場させ、実時間での進行を報告するかのごとく物語が進んでいるようでいて、実の世界とは別に小説世界の中で自由に動きだしてしまう。そこのところが実なのか虚なのか、訳がわからないけれども、はまってしまう、というところでしょうか。私は、居住所の図書館に行き、「菅野満子の手紙」と「寓話」の二つ、どちらも大部の本を見比べて、どちらを読もうかとしばし考え、ほとんど同時に書かれたものだが、発行年の早い「手紙」の方を読もうかと、借り出してきたところです。これから読み始めます。570頁もあるのです。「寓話」はもっと厚いかな。こちらは保坂さんの肝いりで、コピーが出版されるようですね。
 答えになっていませんが、「考えても語れない」ところをほぐしていただくために、とりあえず書きました。

投稿: アク | 2006/02/09 20:46

守分さま、書いているうちに三つめが入っていました。「仁」で「まさし」と読むのは、たぶん南総里見八犬伝の由来でしょう。八犬の最後が「仁」の玉で「まさし」と読んでいます。私の名は、祖父がそこから取って名付けてくれたと聞いています。その祖父のことはどこかに書いたのですが、自分の書いたものを見つけられずにいます。そのうちに。

投稿: アク | 2006/02/09 21:00

祖父のこと、どうして見つけられなかったのか。
ホームページ本館の祖父の著書を見つける(03/3/9)でした。

投稿: アク | 2006/02/09 21:12

すみませんです。興味をもちどころか、
いろいろとたいへんなのでありまして。。。」
さてさて、なにからお話してよいものやら、
でもね、でもですね、少しづつお話できればうれしいかな、っておもっております。

投稿: 守分晴子 | 2006/02/09 22:02

守分さま、どうぞ、少しずつお話ください。それも急にではなく、ぼちぼち、ゆっくりやりましょう。

投稿: アク | 2006/02/09 22:15

はい、そうですね。ゆっくりぼちぼちやっていきたいものです。
どうか、お力をお貸し下さいますように

投稿: 守分晴子 | 2006/02/09 23:31

ハルちゃん、コメントありがとうございました。

今気がついたのですが、コメントをつけていただいている記事が、もともと話し始めた記事と違うもので、そこに書いてある内容は、ハルちゃんが続けておられるコメントの趣旨と一致しませんので、のちのち記事ともに、コメントを読まれる方のことを考えると、元の記事のコメントに移した方がいいと思い、3通のコメントを以下にコピーし、その上で、私の返事を書くことにします。元のコメントは、消さずにそのままにしておきます。

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アクエリアン様

少々鬱陶しいかもしれませんが、またお邪魔させていただきます。
ブログに不慣れなものでしたので、本日こちらに寄らせていただきましたら、あらま、「守分晴子」がコメント欄にズラズラと。ひぇ~こういうことだっのかと仰天致した次第です。で、私はブログをもってないので、せめて本名を名乗るのが礼儀ではあるまいかと名前欄に記したわけですが、ほとんどの方はハンドルネームで投稿なさってるようなので、わたくし「守分晴子」が本名でありますが、今後はハンドルネームを使わせていただきたいとおもうのです。

ズラズラ名前が並んだのには訳がありまして、このコメント欄の字数が限られてることを知らず途中で途切れましたので何通もコメント送ってしまいました。ゴメンナサイ

お爺様のお話ありがとうございました。読ませていただきました。アク様が現役時代理系を極められた後、こうしていろいろと物事をきちんとお考えになり、ご自身の言葉でしかもバラエティーに富んでいて居丈高にもなられず、表現していかれる才能は、このお爺様からも受け継がれていらっしゃるのであろうと、納得した次第であります。

と、ここまで書いてあれ?字数制限なかったのだわ、右側のカーソルが下に届いたため勝手に、あ、ここでやめなきゃ、と細切れにお送り
してしまった、どうでもいいコメントたちでした。

私の小島・保坂体験について昨日から書きたかったのですが、初ブログ体験で少々だらだらとしてしまったので、また改めて聞いていただけたらと、こちらの都合で思わせていただいてます。

名前: ハルちゃん | February 10, 2006 08:37 PM
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ハルちゃん、あらためまして。
コメントに字数制限は実質的にないと考えていいです。長いものは、ここに直接書きはじめずに、エディター(WORDで書いて、テキスト形式で保存してもいい)で書いたものを、コピペしていただいたほうが、書きやすいかもしれません。
私も小島信夫はともかく、保坂さんについては、最近にわかに、という程度ですから、そのうちに、といっても、せっかくですから熱の冷めないうちに(失礼かな)、何かお書きください。

名前: アク | February 10, 2006 08:50 PM
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熱未だ覚めやらず、なのです!

ありがとうございます、つたないコメントにお返事下さいまして。
「小島信夫はともかく」っておっしゃいましたが、今の私は「小島信夫」なのです。氏の作品から醸し出される奇妙な笑い?ユーモア?はもしかしたら95歳であられる白川静先生のものと共通したものではないのか?と勝手に想像しております。
なんだか不思議な遭遇でした。いつも立ち寄る書店に保坂氏の「小説の自由」を発見したのは。題名が気になって一瞥し、パラパラと読むともなくページを繰って、ああどうせ読まないよな、と通り過ぎました。翌週、同じ書店に行ったとき再び目にとまり、今度はなぜだか購入して、読み始めました。全部が理解できるわけではありません、でも何か本質的なことを投げかけてるな、と感じて読み進めつつ、保坂氏の作品はとにかく手にはいるので読ませていただきました。その中に結構頻繁に小島氏のことが紹介されてましたが、書店では手に入らない事を知り、やはり私も図書館に赴きました。手始めにこじゃれた題名、しかも芥川賞作品である「アメリカンスクール」から、なんだか奇妙な印象を受けました。なんだ、これは?って感じです。次は「ハピネス」、これもなんだか変、そして「階段のあがりはな」氏の子供時代の一瞬を描いたものでした。以上は短編。その後私の読書は長編へと向かっていきました。
と、まあ「私の読書遍歴」なのですが、ちょっと一休みします。
アク様が「残光」のことについて書いていらっしゃって、なんだか気になる、っぽく述べられてたようだったので、「残光」だけ読んでなおかつ否定されないで面白さをどこかで感じられてる文章だったので、何か共有できるかな、と甘えさせていただいてるしだいです。

名前: ハルちゃん | February 10, 2006 09:33 PM
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以上がこれまでのコメントのコピーです。

さて、「小島信夫をはともかく」と書いたのは、小島信夫はともかく今までいくつか読んでいるが、保坂は「残光」を読んで、あれれ、と思って興味を持つようになった、との意味です。今は、小島ー保坂の共鳴関係に興味を持っています。保坂の意識で、小島を読み、小島を保坂がどういっているかということで、保坂を読み、という関係です。

小島はたしかに面白いです。しかし、保坂がいう意味のおもしろさが出てきた(顕在化した)のは、後期のものなのでしょうね。私もあまり読んでいるわけではありませんから、これからどんどん読んで、小島の文学世界に遊んでみたいと思っています。

そのおもしろさは、私が「残光」について書いた中で、「自分の小説の手法として、とにかく人物を登場させ、関係を持たせ、話し合わせる。そうすると登場人物が、自然と交流をはじめるという、自分の小説つくりの手法を語っている。「唱和」、「合唱」、「ポリフォニー」などの音楽の言葉を使い、「部分部分が小説全体を動かしていく」と書いている。また別のところで、小説は全体としての構成も大事だが、自分の小説は「プロセス」の中に意図がこめられている、とも解説している。」とありますが、そのような小島の小説手法のなせるものでしょう。

保坂和志は、雑誌「新潮」の連載の今月(3月号)分で、人は小説を書こうとして、何をどう書こうかと考えて、結局自分の考えの枠の中に閉じこめてしまう。ほんとうは考えはどんどん無際限に広がっていくべきもので、「小島信夫がやっていることは、どこまでもどこまでも伸びてゆく線にするようなことだ、小説の中で繰り返し書かれる項目のひとつひとつがどこまでもどこまでも伸びてゆく線であって、その線が伸びれば伸びるほど私の考えが進展する。「おもしろい」とか「いい小説」だという判断が可能だとしたら、小説を使って、その線がどこまで伸びていったかということだ。」と書いています。

人が話し始めて、何を言おうとしているのか、何分たってもわからないような話しぶりを、ビジネスの世界では嫌います。私もそのような場合、「行き先がわからない航海に出るようなものだ」と、批評したこともあります。しかし小説では、それがかえって面白い、というような面があるのでしょう。そのことが私にもわかってきました。また、保坂が書いているように「人の話がおもしろいとかんじるのは、聞く側にも同じくらいあるはずの記憶や知識と遠く響きあうからなのではないか。」という面があり、読んでいるうちにいつのまにか、人間のリアリティについて、日常の意識を超えて考えるようにし向けてくれるからでしょう。

少し話が難しくなりました。今回はこのあたりで。

投稿: アク | 2006/02/11 16:20

とりあえず今、考えたり感じていらっしゃることをコメントしていて下さってありがたいです。

ところで,私のトンチンカン2件お詫びさせてくださいね。ひとつは、コメントは最新の記事につけるものだと勝手に(勝手に思いこんでる事が多くて・・・)解釈して最新記事のほうに送ってしまいました。重複してるのもどうかと思えますので、どうか削除してくださいますように。

もひとつは、私が「小島はとにかく」の言葉にこだわってるような表現をしていたようですが(送信したあと少々気になってました)、ご承知のように小島氏の作品は購入が困難なので、アクさまと同様に図書館から借りたわけですが、当たり前ながら貸し出し期限の壁ありで、長編などは借りたはいいが読みきれなくて2度、3度借りなおしたりして読了したものが多かったのでした。保坂氏のものは手に入れさえすればいつでも読める、というようなわけで。そんな意味で力んだ言い方になったようでした。

こちらのサイト気の向くままに少しずつ愉しませていただいているのですが、コメントや記事の中にドンキホーテとか、多分「癒し」についての記事にドストエフスキー「罪と罰」をとりあげていらっしゃいましたが、小島氏の「私の作家遍歴」3部作に、氏なりの独特の切り口というか響きあっていく、ような評伝があります。
私などには一度で読みこなせるというようなものでは、とうていなかったのですが手元において何度か読み返したいと思えるものでした。
「手紙」もやっとこさ(でも面白く)読了しましたが、そのように思えるものでした。

投稿: ハルちゃん | 2006/02/11 20:53

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