« 「・・・させていただく」の使いすぎ | トップページ | Web上の新聞、朝日とNYTの比較 »

2006/03/06

ピアニスト深町純のこと

 ピアニスト深町純のことを少し書いてみよう。異色のピアニスト深町純のことを知る人は少ないのではないか。しかし一度彼の生演奏を聴くと、そのすごさにとらえられる。音楽界の商業主義に背を向け、あらゆる権威に逆らい、引き立てを拒んできている。自分の音楽を広く聴いてもらうためにとか、音楽的成功を収めるために、自分の生き方、とくに音楽について、妥協をする気が全然ない。彼との共演や彼の伴奏をぜひにと望むミュージシャンや、彼の真価を知る少数の音楽ファンにどうやら支えられて、独特の音楽活動を続けてきた。

書いてみようと思ったわけ じつは忙しい日程のさなかにある(年寄りといえども、ときには忙しいスケジュールに追われることもあるのだ)。昨日まで東京にいた。今日だけ水戸にいて、また明日から数日東京である。通院している医院へ行くのと、今週ある街歩き行事の資料作りとのために帰宅したのである。そんな中でもブログをあけているのが気になる(ブログを持つと、そのようにせき立てられるところがある、問題だ)。埋め草といっては、彼にも、読者にも失礼になるが、書かずじまいだったこの人のライブに行ったことを思い出してみよう。

深町純の即興演奏 ピアニストであり、作曲家である彼が、もっとも真価を発揮するのは即興演奏である。彼の演奏を定期的に聴くことのできる場は、恵比寿のアートカフェ1107である。ここでの演奏は、毎月最後の土曜日の夜定期的に開催されていて、私が行ったのは、今年1月の分、第61回だった。すべて即興演奏である。彼にはあらかじめ何かを作っておくなどということは必要ないらしい。その場でインスピレーションにしたがって、自然と音楽が紡ぎ出される。何かおしゃべりをするのに特に準備もいらないように、彼がピアノに向かうと、自然と音楽が流れはじめる。

怒りと、優しい心根と その夜は、ちょうどライブドア事件たけなわの頃だったからか、彼は「ホリエモン」をテーマに、といって弾きはじめた。彼の感じ取っている怒りのようなものが時に激しく、あるいは憐れみのような感じも添えられて、たった一回だけの即興曲「ホリエモン」の演奏が終わった。いつものことだそうだが、聴衆にメロディーの一節をもらって、それをテーマを自在に変奏しながら即興で弾くというのが特技である。誰かがピアノに向かって「猫ふんじゃった」の出だしを弾いた。彼は、自分が求めているのは既成の節ではないものなんですが、といい、また、猫ふんじゃったってどう弾くのですかね、弾いたことがないのですよ、と困った顔をした。しかし、鍵盤でメロディを探りあて、猫ふんじゃった変奏曲を、冗談ぽくしかし立派に弾いて見せた。反骨だが、優しい心根の人だ。いくつかの聴衆の求めに応えたあと、自分のテーマで弾きはじめた即興曲は、彼にしては珍しく叙情的で色彩豊かなものだった。珍しいと感じたのは、彼の音楽は怒りをピアノにぶつけるような激しいものが多いという先入観を、私が持っていたかもしれない。しかし近くの席に座っていた、アートカフェ・ピアノ・パーティの常連たちが、これは特によかった、といっていた。

トークも 彼は演奏の合間に、語りもする。ピアノで伝えるのがもちろんメインだが、言葉でも伝えたいものが彼の中にあるようだ。語り上手である。その日は憲法改正のことを話題にしていた。紋切り型に改正反対をいうのかというと、そうではなかった。改正がまな板の上にのり、もし改正反対という結論になったら、今ある自衛隊が直ちに違憲ということになるのですよ。自衛隊を解散しなければならないのです。どうやって国を守るのでしょうかと、結論を押しつけるより、問いかけて考えを促すような話をした。その中で大江健三郎をむかし好きだったけれど、息子の音楽を親の七光りで後押しするようになって、どうかと思うようになったと言った。この部分で、私は彼の父親が、山下清の絵は芸術ではない、といっていたのを思い出した。彼にとっても、絵描きであった彼の父親にとって、アートは全人格的な営みであり、精神障害者がたまたま異才を示すとしても、それをアートと認めたくないようだ。

彼は私の従弟 彼の父親、と書いたのは、私にとっての叔父(母の弟)である。深町純は従弟である。この叔父のことを、その死にさいして、息子の純のこととともに、かつてホームページ本館のほうで『叔父の死』というタイトルで書いた。血がつながっているせいか、彼の顔立ちに、兄弟、従弟同士の共通のものを感じる。また発声に、自分自身や弟、従兄弟と共通の音質を感じる。面白いものだ。彼も当日は、私が来ていることを語りの中で何度か引き合いに出して、私の方に目を向けた。

彼との会話 幕間に、彼と話をした。即興演奏の時に、頭の中にどんなイメージを思い浮かべるのか聞いてみた。何か視覚的なシーンが脳裏にあるのかと思ったのだが、彼はそんなものはないといった。ただ音の流れだけがあるのだと。それでも演奏には起承転結が必要で、そのことは意識するのだという。特にどのように盛り上げ、そして終わるのか、音楽の文法のようなものにはしたがうのだという。11も年が違い、ふだんあまり交流の機会もない僕が訪ねていったことを、とても喜んでくれた。

三田典玄さんのこと 何人かの常連とも知り合いになった。日本のインターネットの草分け的存在で、C言語の教科書でその名が知られている三田典玄さんもその一人だ。すばらしいブログ『三田典玄の電網解説「だからそれは、さ」』を持っている。毎回掲載されている画像がとてもいい。その06/1/30のエントリに、私が行った夜の深町純の画像が、スライドショーとなって載せられている。

ホームページ 深町純の音楽に触れることのできるホームページがいくつかある。彼の即興演奏についてはここをごらんいただくといい。いくつか試聴できる。深町純自身もHP『CISUM』をもっている。ライブ演奏の予定を知ることができる。それによると、あの日のあと、全国ツアーともいうべき演奏旅行を続けて来たようだ。先に引用した「叔父の死」を読んで、私に便りをくださった方がいる。その方もこの演奏ツアーで彼の生演奏に接したそうだ。私の書いたものに「深町節のルーツはここにあったのか!と感慨深いものがありました、愛情のこもった文章で感動しました」とあった。以前書いたものを、こうして今でも読んでいただけるのが、ホームページのありがたいところである。じつは、メールをいただいたことが、このエントリを書く気にさせてくれたのだ。どうもありがとう。

|

« 「・・・させていただく」の使いすぎ | トップページ | Web上の新聞、朝日とNYTの比較 »

コメント

すっかりご無沙汰してしまいました。

でも、アクさんのblogはいつも読んでいます。読ませていただいています、と書きたかったのですが。笑

これ以前にとても気になっていた言い回しが「ヤツ」です。
「これじゃなく、むこうのヤツです」
というのは、下品な(アイツの意でヤツという意味)感じをうけていたのですが、
「これじゃなく、むこうのヤツが本物です」
というような言い方を、TVのちゃんとした放送で話していたので、私の感覚のほうが間違っているのかとびっくりしたのです。

前書きが長くなりました。深町純さんのお話に惹かれました。近くに住んでいたら、しょっちゅうピアノ演奏を聴きに行くことでしょう。
三田典玄さんの動画も見ました。いやぁ、アクさんによく似てらっしゃいますよ! 日参することでしょう、もう少し近ければ。 とても残念です。
それにしても飛び抜けた、理系あり、芸術あり、さらには文学に到るまで、実に多才な家系でいらっしゃいますね。

以前に書かれました、送迎殺人事件はこの近くで起こったことだったので、この辺りのことも含めて書きたかったのですが、試験の最中だったのでできませんでした。また機会がありましたら、地方の状況も含めて思うことを書きます。

投稿: 沙羅 | 2006/03/08 22:44

ご紹介いただいて恐縮です。
またアートカフェに飲みに行きましょうか?

投稿: nori-m | 2006/03/08 23:04

沙羅さん、ほんとうにお久しぶりですね。「試験の最中」とありましたから、学生を続けておられるのですね(とは、失礼な言い方でしたか)。先生したり、学生したり、そしてもちろん本業の絵を描いたり、お勤めの必要があればお坊さまをしたり、時にはきっと恋をしたり。そんな沙羅さんの近況を想像しています。
 深町純の演奏を聴いたら、沙羅さんはきっと気に入ってくれるだろうと思います。滋賀県でもライブがあったはず。このエントリを書くのが遅すぎましたね。CDがいくつか出ていますから,聴いてみてください。

三田さん、勝手に引用して話題にしました。そのうちにアートカフェに出かけます。いっしょに飲みましょう。

投稿: アク | 2006/03/09 09:42

アクさん

一昨日、CDを注文しました。とても楽しみです。

上京した折りにでも、アートカフェにご一緒したいわ、なぁ~んて。
ニューヨークだったり、国内地方へだったり、随分多彩な企画を
持ってらっしゃるのですね。

”深町純”というお名前はどこかで聞いたことがある、
いえ、見たことがある(かな?)のですが、以前、アクさんが
書かれたからでしょうね。

きのうからし暫く、この欄にコメントが書けない状態でした。

投稿: 沙羅 | 2006/03/10 20:39

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/36654/8972334

この記事へのトラックバック一覧です: ピアニスト深町純のこと:

« 「・・・させていただく」の使いすぎ | トップページ | Web上の新聞、朝日とNYTの比較 »