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2006/06/27

『ダ・ヴィンチ・コード』、なぜ陰謀説はかくも人を魅了するのか

 遅ればせながら「ダ・ヴィンチ・コード」を読んだ。キリスト教のルーツに関連するテーマを扱っているらしいと聞き、関心はもっていたのだが、読む時間を取れなかった。新彊ウィグルへの旅に文庫本を持参し、移動などひまな時間に読み進め、帰るまでに読み終えた。

 期待はずれだった。イエスの血統という謎めいた話で気を持たせながら、次々にサスペンス溢れるストーリーが展開し、暗号解読が絡み、謎解きを阻もうとする秘密組織が暗躍するなど、たしかに読むものを飽かせない。じつに精緻に構成され、よくできたサスペンスドラマだと思う。しかし、軸となるイエスとマグダラのマリアの話や、血統を守るための秘密組織などが、インディ・ジョーンズを連想させる聖杯伝説(なぜ西欧人はこんなホラ話を好むのだろう)とからんでくると、最初からいかにも作り話っぽい。どうせフィクションだからいいじゃないか、とはいうものの、期待したテーマにリアリティを感じさせるものがなさそうだと、早い時期にわかってしまい、その点では興味を失ってしまった。後はこの作り話をどれだけみごとに引っ張るかだけの興味で読んだ。

 著者ダン・ブラウンが、マグダラのマリアに目をつけて、これだけの話を作り上げたのはすごい。もっとも、この手の話は、歴史上あまたあったらしい。マグダラのマリアは、福音書では、さりげなく書かれているが、イエスの周辺に集まった人々グループ中では、たしかに特別な存在だった。イエスの十字架の死もすぐそばで見守っていた。復活したと伝えられるイエスが最初に姿を見せたのは、彼女に対してだった。イエスの女だったと、うかがわせる記述はないが、ダン・ブラウンのように、イエスと性的関係があり、子まで残したと想像してもおかしくないだろう。しかし、仮にそうだとして、ダン・ブラウンが書いているように、そのことを原始教会が無視して伝えなかったとか、伝承された文書の隠蔽工作をしたり、新約文書が正典として成立していく中で、削除や廃棄処分がなされたなどということは、歴史的事実もないし、福音書のおおらかな書きぶりからして想像できない。マグダラのマリアが書いたという「マリアによる福音書」という外典の存在は知られているが、正典との差は歴然としていて、専門家の間でも問題視されていない。偽典といった方がいい内容だろう。

 歴史上のさまざまな出来事には陰謀話は、つきものである。キリスト教とその周辺もその例外ではない。二千年の歴史の中で、まことしやかな言い伝え、うわさ話、陰謀などのタネは尽きない。テンプル騎士団、聖杯伝説、聖骸布、秘蹟、奇跡、聖母マリアの出現、異端の末裔などなど。それらは話のタネとしては面白いが、それ以上のものではない。しかし、正統を脅かす陰謀話、異端伝説に魅了される人は多く、ありとあらゆる話が流布されてきた。ダン・ブラウンは、ヨーロッパでよく知られているいくつかの言い伝えを巧みに組み合わせ、いかにもありそうな、サスペンス物語を仕立て上げたが、彼が材料に使ったもともとの話がほとんどでっち上げられたホラ話である。そのことはフランスのジャーナリスト,マリ=フランエル・エトシュゴワンと哲学者で雑誌編集者フレデリック・ルノワールによる「ダ・ヴィンチ・コード実証学」(イースト・プレス、2006年6月刊、原著は2004年出版)によって、明らかにされている。「ダ・ヴィンチ・コード」の読了後、多数出版されている解説書の中で、私が唯一注目して、興味深く読んだ本だ。

 「実証学」の著者らは、小説に取り上げられたすべての現場を訪ね、丹念に文献調査をして、この小説の成り立ちを明らかにしている。ダン・ブラウンがこの小説の下敷きにしたのに、ひとこともそれに言及していない「レンヌ・ル・シャトー伝説(でっち上げられたホラ話)」を明らかにし、また小説の縦糸となっているシオン修道会(イエスとマグダラのマリアの血統を維持するために千年以上累々と続いてきたとされる)がなんと、1956年に頭のおかしな人物によって設立された偽組織であることも明らかにした。小説に修道会の歴代総長として、レオナルド・ダ・ヴィンチやニュートンはおろか、ボッティチェリやビクトル・ユーゴー、さらには作曲家ドビュッシーや詩人・映画制作者ジャン・コクトーまであげられている。リストを一見しただけで嘘っぽい。ところが、ダン・ブラウンは、小説の巻頭でこの修道会は歴史的事実であると、わざわざ断っている。とても変だ。

 この小説では、カトリックに対立するものとして、イエスの血統を置いている。正統的キリスト教の神格化されたキリストへの対立軸として、人間イエスを主張するのなら筋が通ると思うのだが、単なる血統の維持という秘密めいたものを対置し、それが聖杯伝説の正体なのだというお話に終わってしまっている。善悪二元論や肉体と魂の対立ではなく、神の律法の厳守による救いでもなく、愛を説き、神の国はあなた方の心の中にあると、底辺の人々に救いをのべ伝えた、イエス自身の「異端」的あり方は、歴史上伝承されなかったのだから仕方ないとしても、マグダラのマリアに注目するといういい線を突いているのに、惜しいと思う。

 それでも、こんな言葉をラングドン教授に語らせている。

『ソフィー、世界中のすべての信仰は虚構に基づいているんだよ。信仰ということばの定義は、真実だと想像しつつも立証できない物事を受け入れることだ』
(文庫版下巻、56頁)

 しかし、この小説は単なるサスペンスものを超えて、大きなインパクトをキリスト教世界にあたえることだろうと、評価できる。まずキリスト教、特にカトリックが、男女の関係や性愛をネガティブイメージにしてしまったことを告発している。フィクションとはいえ、イエスにマグダラのマリアという愛人/妻がいたという、教会にとってはとんでもない話をどうどうと展開し、かくも売れに売れたこと。また、初期のイエス集団から、宗教制度としてのキリスト教が立ち上がってくる段階で、正統対異端の論争や、ときには権力闘争があり、その結果現在の正統的な教義解釈ができたのだが、その陰にさまざまな異端的文書や伝承があったという、歴史家には知られている事実を、一般の人々に、衝撃的に知らしめる大きな役割を果たしたこと。これらのことは、この小説が世界的ベストセラーになり、映画化されて話題になったことから、保守的カトリックやファンダメンタリストには、ボディブローのように効くことだろう。

 中央公論7月号に茂木健一郎が「『ダ・ヴィンチ・コード』と『知』への信仰」という時評を書いている。その中で、

『私が受けた強い印象は、ミステリーやサスペンスとしての作品性よりも、むしろ人間の「知」というものに対する深い信仰を感じさせる点にあった。(・・・)さまざまな「知」が莫大な富と権力を生み出す現代。キリスト教という世界的に広がった信仰の起源に関する真実こそがそれを知るものの力を与えるという寓話には、現代人を惹き付ける真実の響きがある』

と書かれている。西欧社会における知の伝統は、自然科学的知に、もうひとつキリスト教信仰に関する知を加えて、はじめてトータルなものとなる、そのことを日本人はもっと知るべきだ、との文脈の中でのことばである。明治以来、識者が指摘してきたことの繰り返しだ。いくら小説の印象が強かったとはいえ、よりによって、このフィクションをもって、西欧の知の深みとトータルな姿を云々することはあるまい、と思う。この小説は知への信仰というより、単なる知をめぐるお遊びに過ぎない。

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イエスは神か人か 先ずは映画の話。 昔イエスを題材に「ふざけた」映画があった。 1973年「ジーザス・クライスト・スーパースター」というミュージカル映画。イスラエルの砂漠の真ん中で現代の若者がイエス最後の7日間を歌とダンスで演じるのだが・・・なんとイエスはマグダマのマリアと恋をする、それに嫉妬するユダがイエスを裏切るという筋書き。 また、1988年「最後の誘惑」という映�... [続きを読む]

受信: 2006/06/27 22:15

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