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2006/09/21

55年ぶりの再会

 高校時代の友人と、55年ぶりに再会した。切れていた糸をいくつかの出来事がつないでくれ、間にいた人のご好意もあって、まことに思いがけない再会だった。純真な心で、いつも何かに熱中・没頭する人だった。キョロッと好奇心にあふれた目つき、熱のこもった話しぶり。覚えていた当時の少年が、そのまま白髪の年寄りとなって私の前にいた。55年間のギャップを埋めようと、どっと語りはじめた半生物語を聞きながら、少年時代の性分をそのままに、この人らしく純粋を貫いて生きてきたのだなと感じていた。

               
      以下の登場人物
 A・・再会した人、もと経済官庁官僚
 N・・九州大名誉教授、二人が私の旧友
 K・・Nの弟、中山悌一の養子、二期会常任役員

 このAと彼の親友Nとのことは、一度このブログに書いた(『「皇帝ティトの慈悲」で旧交が甦る』06/4/25)。そもそもの伏線は、6年前にホームページに書いたエントリにあった。かつて読んだ本を取り上げ、それにまつわる思い出話を、『こんな本を読んできた』というHPの項目に書き続けていたことがある(今は中断したままだが、これを続けて、読んだ本を題材にして、自分史を書くという当初のもくろみを完結したいものだ)。彼ら二人のことを書いた『高木貞治「解析概論」(00/8/11)』で、私が高校2年のころ、一学年下だったNとAに刺激されて、専門書レベルのその本を読んだ(というより、囓った)話を書いた。中学や高校には、時折ものすごい早熟な天才児がいて、通常の学習過程では考えられないような高い知的レベルに達している(あるいはそのように背伸びしている)ことがある。当時の彼ら二人がそれだった。自分より下級だった彼らにおおいに刺激され、彼らに負けじと私も背伸びしたし、そのことが物理学専攻へと私を導いたのだった。

 私は、この高校から、東京の高校へ転学し、大分市にあるこの高校とも、大分という地とも縁がなくなってしまったので、彼らとの縁もそれきりになっていた。

 そのひとりのNとの縁が、二期会オペラのチケットを世話してもらったことで、つながった。Nは、戦後の早い時期、日本を代表するバリトン歌手として活躍した中山悌一の甥である。Nの弟Kが、再会の糸をつないでくれた人だ。Kは、悌一の養子となり、実業界で仕事をしたあと、現在はオペラの二期会の常任役員として運営にあたっている。Kも同じ高校の出で、二期会のオペラのある度に、高校同窓の仲間に誘いをかけ、便宜を取りはからってくれている。私もいつの頃からか、卒業もしていないこの高校の同窓会に入れてもらうことになり、同窓生向けのメールマガジンで、二期会オペラのお知らせを目にするようになっていた。メルアドをもつ同窓生向けに、まめにメルマガを送ってくれる世話上手の同窓生幹事がいたこと、そのメルマガにKが二期会オペラのお知らせを載せていたこと、それを目にした私が申込をする際に、中山悌一のことをひとこと付記したこと、学年は少し離れていたがKが私の名をおぼえていてくれたこと、などの幸運が重なってNとのつながりが甦った。そのことを先に引用したブログ・エントリに書いた。

 つながりを回復して驚いた。私がHPに書いたのと同じことをNの方でも鮮明に記憶していて、KとNは私のHPやブログを読んで電話で話し合い、あちらはあちらで驚いたというのだ。その後、Nとはメールでやりとりをするようになり、分子遺伝学の分野での著書や、今でも書いている科学エッセイの別刷りなどを送ってくれたりするまでになった。彼は福岡にいて、退職後の現在でも大学の研究現場に関わっているらしい。互いに離れているため、まだ会うことはない。そのうちに九州に旅する機会もあることだろう。そのときに、と思っている。

 もう一人のAと、今回思いがけず再会することとなった。再び二期会オペラが機縁だった。しばしばその知らせは目にしていたのだが、こちらも海外旅行などの都合もあって、再びKにお願いしたのは、6月の頃だったか。9月16-19日公演のオペラ「フィガロの結婚」を申し込んだ。その後、AがKに電話をかけて来るということがあり、そのさいにKが私のことを話題にしたらしい。Aは、高校時代、親友Nの家を訪問した折に親しくなったNの妹や弟のKを可愛がって、今でも付き合いが続いているらしい。そういう人なつっこいところがAにはあるのだ。Aから電話があったとき、Kが私のことを話した。Aはよく覚えている、是非会いたい、といった。Kは、私が観に行く同じ日のチケットをAにもアレンジしてくれ、私にもその旨メールをくれた。そんなことで再会が実現した。

 当日、渋谷Bunkamuraのオーチャード・ホールでの昼公演。アシックスの大きなバッグをもって隣席に座った白髪の男に、もしやと思い、声をかけてみた。何とそれがAだった。Kも粋な取り計らいをしてくれたものだ。16、7歳の少年だった彼しか知らない。相手も同じだろう。しかし、しばし話をすると、目つきに面影がある。何かを無邪気におもしろがり、甲高い声で夢中になって話す口調も昔と変わらない。55年のギャップを超えて話し合った。宮本亜門の演出のフィガロを十分に楽しんだあと、自然な流れで、渋谷の街に出て、夕食をしながら話を続けた。二人の思いがけない再会を興味津々観察しつづけたワイフも一緒だった。

 高校の頃数学に没頭していたので、その後数学で身を立てているに違いないと私が思いこんでいたのは間違いだった。じつは中央官庁の役人になり、今は退職していた。私は彼とは1年間ほどしか付き合っていない。数学は、彼にとって私といっしょだった一時期の熱中ごとだったらしい。好奇心の赴くままに、そのときそのときに熱中する物事を転じた彼は、一時期は詩人になることを考えたという。大学でも転学・転科をしたそうだ。役人一家だった彼の家族の説得で、さすがに詩人だけは思いとどまり、「役人にでもなろうか」と公務員試験を受け、いい成績で中央官庁に採用となった。才能はすごくありながら、あふれる才能を多方面にむけすぎ、もてあます時期があったのだろう。役人としてもきっとユニークだったことだろう。公害関連の法律作りなどをしたことがあったという。長いことニューヨークに駐在していたらしい。私が家族を連れてニューヨーク郊外の国立研究所に滞在していた時期とちょうど入れ代わりだったようだ。メトロポリタンオペラに数十回通ったという。私が霞ヶ関と付き合った時期には、ごく近くに彼はいたようだ。そのあたりですれ違っていたかもしれない。

 彼は、結婚せず、生涯独身であった。その事情も話してくれた。秘めたことだろうから詳しくは書かないでおくが、学生時代に思いを寄せた女性が夭折し、生涯彼女への愛を忘れることができずに、独身を貫いたらしい。この純情さが、いかにも彼らしい。話を聞けば、さもありなんと思うが、私の知らない55年間、彼がそのようにあったということがあらためて私を驚かせた。今は独身隠居暮らし。昔習ったピアノを再び弾くことを楽しんでいるらしい。文学を好むが、現代の小説家にはいっさい目を向けず、芥川、堀辰雄、立原道造などを読み返している。この系統を好むのはいかにも彼らしい。リズム感のある文体を好み、それが現代文学では失われていると力説する。

 そんなあれこれを時間を忘れて話し合い、地下鉄に乗り合わせて、九段下まで来て別れた。翌日彼から電話が来た。彼も私と会い、話せたことがよほど楽しかったらしい。今度、堀辰雄や立原道造ゆかりの信濃追分にいっしょに行きましょうと誘われ、約束した。信濃追分には多少土地勘があることを話したのだった。隣の軽井沢が彼女との思い出の地、キショウブが彼女とのゆかりの花だと、渋谷の食事処で、大きなバッグからビデオカメラを取り出して見せてくれたのを思い出した。この初夏、何十年ぶりかで、その花の咲く時期にその地を訪れてきたと、その時撮った動画を見せてくれたのだった。その時彼は、キラキラした少年の目つきをしていた。

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