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2006/10/04

吉本隆明の「老人」森博嗣の「若者」

 二日かけて一ヶ月分ぐらい溜まった新聞の山を片づけた。全ページに目を通し、これはという記事をスクラップした。二つの記事が目についた。「老人が直面する問題はやっぱり老人になってみるまでわからなかった」という吉本隆明は、医療関係者が老人を「年齢」というたった一つの基準で画一的に扱うことに異議申し立てをしている。最近まで大学で教えた推理小説家・森博嗣は、今の若者は、礼儀正しく優しい、文章も上手だが「ものごとを抽象的に捉える能力」が欠如している、と指摘している。老いについて、若さについて、二人それぞれの指摘が対照的で興味深い。

 今どきそんなことをする人は少なくなったと思うが、新聞記事のスクラップを続けている。ニュースはインターネットで読めるとはいえ、ニュース解説やコラム、書評、演劇評、文化欄のエッセイなど、紙上でしか読めないものが多い。紙媒体への愛着もある。ゆっくり読み直したいとスクラップする。その都度やればいいのだが、溜めておいて、まとめて読み直し、スクラップする。海外旅行などで留守した間の新聞もある。月一回の資源ゴミの日がタイムリミットで、その直前の作業となる。片づけるのに一日では終わらず、二日にわたることもある。

 スクラップといっても、スクラップ・ブックに貼り付けたり、パソコンにイメージ・ファイルとして取り込んだり、検索可能にしたりなどはしない(かつて試みたが、長続きしなかった)。ただ切り取って、プラスティック・ボックスに放り込むだけである。ある程度貯まったら、まち付きの紙袋に入れ、期間を書いて袋ファイルにして棚に収納する。ほとんど読み直すことはないが、たまには思い出した記事を、時期を目安に探して参照することがある。しかしそれは稀で、データベースとしてより、スクラップをすること自体に意義を感じ、惰性で続けている状態だ。スクラップをするために全紙面を眺め直すとき、あらためて気がつくことがある。それがいい。気になった記事が手元から全く消えてしまうのではなく、とってあるという気分がいい。

 そんなことで、今回も溜まった新聞の山を二日がかりで片づけたのだが、その中で目にした二つの記事を取り上げて書いてみよう。一つは吉本隆明が老いについて書いているもの(『吉本隆明さんと考える現代の「老い」』06/9/19 朝日新聞)。もう一つは森博嗣の若もの論(『ぼんやり思考 苦手な若者』06/9/7 朝日新聞)である。

 80歳を超えた吉本は、糖尿病で視力が衰え、歩くのもおぼつかず、前立腺肥大で頻尿や残尿感に悩み、結腸ガンの手術を受けた。その吉本がこう書いている。

 振り返れば、こうした政治や社会の問題について自分なりに考えてきたつもりだったが、老人が直面する問題はやっぱり老人になるまでわからなかった。いい年をしていろいろな目にあって、ようやくそれが見えてきた。
「もう一個違う系列の問題があった」。そう新鮮に感じながら僕は日々を送っている。

 老いに苦しみながらも、自分の老いに新しい系列の問題を発見して、「ようやく見えてきた」と書く。思想の巨人の凄みを感じるが、どんなことが問題なのか。こう書いている。

 年を取ると何が一番つらいか。
 それは、自己の意志と、現実に自分の体を動かすことができる運動性との間の乖離(かいり)が、健康な人には想像できないぐらいに広がるということだ。思っていることや考えていることと、実際に体を使ってできることの距離が非常に大きくなる。

 周りは、そういう老人を少しぼけているな、と思いこむ。

 ところが運動性において劣るというのは、例えばアルツハイマーになったりするというのとまったく違う。自分の気持ちは少しも鈍くなっていない。それどころかある意味ではより繊細になって、相手の細かい言葉にいちいち打撃を受けているのに、そのことを表す体の動きは鈍くなっているという矛盾。そしてそれを理解されないジレンマ。その点に絶望している老人が多く存在するという現実を、医師や看護師、介護士はどの程度知っているのだろうか。

 と、自分の経験から、医師も、看護師も、介護士も、「老人とは何か」「どういう存在なのか」ということが本当にはわかっていない、と訴えている。彼が問題にしているのは、老人を「年齢」という基準だけでひとくくりするのではなく、一人一人が違うという個人差をわかってもらえないという歯がゆさらしい。医者らはよくしてくれるのだが、

 その画一性が一人ひとりの患者に及ぼす、心身への絶望的なまでの影響というのは計り知れない。

とまで書いている。老人医療について、窓口負担引き上げなどさまざまなことが論じられているが、個人差を本気になって考えることが、問題の核心だ、と指摘している。そして「何が何でも患者本位」に、医療を切り替えよと訴える。

 吉本は、また新しい語彙を生み出している。老人は「超人間」だという。動物は刺激に即時的に反応する。人間は刺激を知覚したあと、行動までに時間差がある。考えるからだろう。老人になるともっと時間差が増える。だから「超人間」。もっとゆっくり深く考えている「人間以上の人間」だ。

 そこで森博嗣。工学部の教授(建築強度の計算の専門家)だったが、大学教授の二足のわらじはやめ、推理小説作家に専念しているようだ。大学で教えながら、信じがたいほど多作であり、ホームページに多量の文章を産み出し続けるという多才ぶりは、早くから知られている。その彼が現代の若者について書いている。

 まず感じることは、近頃の若者は礼儀正しく、大人しい、ということ。そして文章を書くのが上手い。まさに活字世代というのか、ワープロ世代というのか、この点は顕著だ。それから、人を蹴落としてまで這い上がろう、という激しさも目立たない。一言でいえば、上品で優しい。

 ほほう、そうなのか。最近の世相を見ていると、近頃の若者のほうが問題が多いと思いがちだが、若者の現場に接している森は、そうではないという。森が接してきた層(国立大理系)だけではないだろう。文章が上手いというのも意外だ。ネットで読み書きする機会が多く、それなりに文章書きの経験を積んでいるのだろうか。私の見るところ、短い文章で端的に書くのは得意でも、強靱な思索に裏付けられた文章にはお目にかからなくなったように見えるが。ただ、森もこう書いている。

 ちょっとまえまでは、「てにをは」がまったくなっていない文章が散見されたが、今はそういったものはほとんどない。ただし、内容はどうかというと、以前の方がむちゃくちゃなりに面白かった。今はこぢんまりとまとまった当たり前のことを、みんなが同じように書いてくる、という傾向はある。

 そして、彼ら若者の数少ない欠点のひとつと、遠慮がちにだが、「ものごとを抽象的に捉える能力の欠如」していることをあげている。若者たちは、何か問われると、いきなり具体的なことで答えはじめるという。なぜだろう。森は、今の若者にはメディアなどを通じて具体的なものが与えられすぎていて、昔の若者のように「ぼんやり考える」機会が失われているのではないか、という。以前の若者は具体的なものに乏しく、「机上の空論」ばかりで、「もっと具体的なことを言え」といわれた。

 それが今では「どんな楽しいこと」もきちんと具体的に用意されている。お金さえ出せば、すぐ目の前にやってくる。豊かな社会になったために、ぼんやり考える機会を失ったのだ。

 未来の人類のためにとか、なんのためかわからないけれど、何となく面白そうだから研究してみよう、といったぼんやり加減が苦手のようだ。

 老人の問題と、若者の問題。その間に大きな世代的な格差がある。老人は、深刻で具体的な問題に直面して、個が重んじられていないと嘆き、それを普遍的な人間の問題として考えようとする。若者は、具体的現在に生き、個の生活を楽しみ、遠い彼方を抽象して考えようとしない。たまたま目にした二人が、対照的な世代を論じているのを興味深く読んだ。

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コメント

それでアクさんは、老いについてどうお考えなのかしら?

私は、近頃、老々介護で苦労してますので、少しひねくれてしまうようです。

でも、何となく、まだ先のこという捕らえ方に思えるのですが、お元気なアクさんは常に活動的、プラス思考ですから素晴らしいです。

投稿: 美千代 | 2006/10/05 11:57

美千代さん、老老介護、たいへんですね。

私自身の老いは、吉本隆明ほどではありませんから、老人になって、はじめてわかった、というところまでいきません。でも老いを感じ、そのことを、このブログのカテゴリーの「老い」に書いています。右のカテゴリーで、「老い」をクリックしていただくと、これまで書いたもので、私の現状と考えを読んでいただけると思います。まあ、たいしたことはないですが。これから折に触れて書いていきます。

投稿: アク | 2006/10/05 19:32

「老い」について、とても面白かったです。
こうなると、吉本さんの新聞の記事全文を読めるように、
してもらいたいなと無理を言ってみたくなります。

投稿: 吉行 | 2013/12/26 15:32

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