早熟・天才児の Aaron Swartz に注目する
若いときから異常な才能を発揮し、学校や大学をドロップアウト、起業して成功を収める。そんなキャリアをたどる異才の人がハイテク業界には何人かいる。とくにアメリカ。マイクロソフトの Bill Gates、アップルの Steve Jobs などの名が、すぐに頭に浮かぶだろう。本エントリで話題にする Aaron Swartz (以下、アーロン君、と書く)もそれだ。この人は、つい先ほど20歳になったばかりである。ローティーンのころからコンピューター・プログラミングの分野で頭角を現し、上昇気流に乗っている。次の世代の Bill か Steve になるかもしれない。いや、Bill や Steve はハイテクと企業経営の異才だが、アーロン君は、もっと多才だ。インターネット上の発言者として、既成のジャンルにはまらない存在になるのではないか。それが私の注目点だ。彼のブログを2年半ほど追っかけてきて、その多才ぶりと、広汎にわたる思考と、旺盛な文筆活動に感心してきた。日本でも一部の人には知られているようだが、私の観点から紹介してみよう。
アーロン君が世に知られるようになったのは、14歳のとき。ネット上のブログやニュースを読むのに私たちも日常お世話になっているRSSなるものの、規格や関連プログラムの開発チームの一員となった。すでにその時、高校をドロップアウトしていた。高校一年を終えたところで、もう高校で学ぶものはないと、両親を説得し、自宅での自学自習をすることにした。地域カレッジで興味ある科目だけ聴講したり、やりがいのあるプロジェクトに参加したりして、必要だと自分が考える知識を身につけ、プログラミングの腕を磨いた。ネット上では誰も年など問題にしない。能力のあるものは重要なプロジェクトに参加を求められる。インターネットそのものの運営に当り、技術の標準化を進める団体、WWWコンソーシアム(W3C)のメンバーに招き入れられた。そのころの彼が、どんな坊やだったか。ここに写真がある。
そのアーロン君が、スタンフォード大学に入り、学生生活をブログに逐一書きはじめたのは、2年少々前のことだった。彼に注目したスタンフォードの法律学教授から大学で学ぶことを勧められたからだ。著作、音楽、その他の著作物の法的問題についてインターネット上で情報交換をする場を作ることを手伝ったときに、この教授は彼の才能に気づいたようだ。社会学専攻コースに入り、寮生活をして、講義のこと、学習のことなど学生としての生活ぶりを、ある時は楽しげに、ある時は批判的に、書いていた。政治についての発言も鋭かった。忙しいだろうによく書くと感心しながらも、あまりの分量とテーマの幅広さに、適当に読み飛ばすしかないほどだった。
ところが、アーロン君のスタンフォードでの生活は、一年しか続かなかった。突然、東海岸のケンブリッジ(ボストンに隣接し、ハーバード大学などがある)に移り、ハイテク企業をはじめた。彼のような才能ある若者に起業の基金を出すプログラムがあったのだ。彼は最初 infogami という、簡単Webページ作成支援ソフトを無料で提供する事業を始めた。やがて reddit という、ウェブ上の注目記事一覧を配布するソフト開発のグループに入る。これは既に実用化され、人気を集めている。読者の投票結果が反映され、また自分の趣向で自分好みのページが仕上がっていく。私は使っていないが、はてなのブックマークに似たものだろうか。詳しくはここをご覧いただきたい。日本語版も出ている。
たった4人で進めていたこの事業が注目され、会社ごと買収された。この結果、アーロン君は、まだ20歳にもなっていなかった若者にしては途方もないほどの金額を手にし、サンフランシスコに本拠を置く買収先へ移った。つい先日のことだ。豪邸に住む? 高価な車をもつ? そんなことに彼は見向きもせず(運転免許も持たず、自転車を乗り回すとか)、ひたすら知的生産に集中しているらしい。契約により2年間はこの会社に拘束されることになる。この先アーロン君はどのような方向を目指すだろうか。たぶん学問の世界へ向かうのではないかと、本エントリを書くのに参考にした新聞記事(San Franicisco Chronicle)は結んでいる。この記事には、20歳を迎えた若者らしい彼の写真がある。
つい2,3日前のブログ・エントリで、彼はカリフォルニアに戻り、スタンフォード大学のキャンパスを訪ねた感想を書いている。スタンフォードを訪れた人は、この世のものとも思えないほど、開放的で明るく、かつ美しいキャンパスに、まるで理想郷を見る思いがするものだ(私もそうだった)。ところが、ここに一年ぶりに戻ってきたアーロン君は、かつて学生生活を送ったこの場所に懐かしさを覚えるどころか、すごく違和感を感じたらしい。嘘っぽい場所だ、異常なところだ、こんな場所に一年もいたなんて信じられない、この学校に戻ることは決してない、とまで書いている。彼がすでにこの場所から大きく飛躍してしまった心境を語っているのだろう。
彼のブログに書かれたものを読んでみると、彼の才能がハイテク分野に限られないことはすぐにわかる。さまざまなテーマについて書いたエッセイは、とても十代の若者の書いたものとは思えないほど熟成している。思考が深い。自分ならではの書くべきテーマとことばをもっている。文章もよく練れていて、巧みだ。速筆であるにちがいない。プログラミングやその他の本業をこなしながら、よくぞこんなに怒濤のように書くものだ。一つ二つ、彼のファンによって和訳されているエッセイがある(例えば、「生産的になろう」)。先に書いたが、既成文筆家とは違う、新しいタイプのインターネット上の発言者として、わたしは彼の将来に期待している。
アーロン君は、私にとっては孫の年に近いほどの若ものだ。このように紹介するのは、この異才の生長を見るのが楽しく、またこのような人を生み出すアメリカという風土をうらやましく思うからだ。誤解しないでもらいたいのは、学校などに行かずに、ドロップアウトして起業するのがいいといっているのではないことだ。彼のような異才は、何年に一度とか、そういう稀なケースだろう。若者はまねしない方がよほど賢い。しかし仮にそのような才能が日本に生まれたとして、彼のように自由奔放にキャリア・アップして育っていくだろうか。そんなことを考えてみるのも、現在の教育問題を考えるときの材料になるのではないかとも思った。
「オタク」という言葉が日本にあるが、彼のようなタイプは、日本ではおそらくオタクとみなされるだろう。しかし彼はそうではない。いい仲間をもっているし、彼の才能を知る大人たちともいい付き合いをしているようだ。このエントリのテーマとあまり関係ないから深入りしないが、アメリカ社会にもオタクや引きこもりがいるか。それはいるに違いないが、日本社会と比べてどうなのだろう。そのあたりの違いを考えてみるのもひとつのヒントになろうか。蛇足を書いたところで、終わりにしよう。
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