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2007/01/10

Aaron Swartz がブログから消えた

 つい先日、早熟・天才児アーロン君のことを紹介した[『早熟・天才児の Aaron Swartz に注目する』(06/12/7)]。彼のブログを読み続けるのが楽しみだったが、元日のエントリを最後に、彼はブログ空間から去った。とりあえずかもしれないが、しばらく彼のエッセイを読めなくなったのは、さびしいことだ。

 彼はこのところ、毎日一編のエントリと、日曜日には、さらにもう一つ余分に書いていた。単に書き飛ばしたような軽いエントリなら、このペースでも書ける。ひとつひとつのエントリで、彼は、さまざまな問題について、新しい角度からの考察を自分の言葉で書いていた。20歳になったばかりの若者とはとても思えない、広汎で深い知識をベースに、斬新な視点で、練れた文章表現で書いていた。エッセイとしての完成度は、いつも高かった。ソフトウエア・エンジニアとしての忙しく、創造的な仕事をこなしながら、さまざまな分野の新しい問題に取り組み、新しい知識を吸収するかたわら、毎日これだけのブログを書き続けるとは、たいしたものだった。

 しかし、彼はこのままではいけない、と思ったようだ。彼の書いてきたものは、彼自身、decent(まあまあ)であるが、great(卓越した)とはいえないことを自覚したらしい。このまま書き続けることは、心身ともによくない。スローダウンして、書く技法をもっと磨くことにした。機会が与えられれば、雑誌に書くとか、本を出すとかしたい、などと書いている。休筆を宣告する直前にはベルリンにいた。冬休みをとり数週間世界旅行中らしい。

 新しいブログ・エントリを読めないのは残念だが、彼はきっと、さらに飛躍して、”great” に一歩近づいて、私らの前に姿を現してくれることを期待しよう。彼は、既成の「文」と「理」の区別を乗り越えた新しい知の世界をみずから作りだし、そこでの Richard Feynman にでもなろうとしているかのようだ。

【07/1/11付記】上記を書いた翌日に、彼はブログ上に姿を見せた。ストックホルムにいて、スウェーデンの政治や社会の観察記をエントリしている。やはり、書かないのはさびしいのだろう。断続的に書くことにしたのか。
 ずっと以前に同じようなことがあったのを思い出した。このブログ、右コラムの「おすすめBlog」にある Daily Dish の Andrew Sullivan が休筆宣言をした。そのことをブログで紹介したのだが、まもなく戻った。ブロッガーは、いつもジレンマの中にある。こんな苦労やめたい、でもやめられない。さんざん悩んでやめてみても、結局戻ってくる。

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