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2007/01/26

「温暖化の〈発見〉とは何か」のとんでもない誤読

 技術評論家・桜井淳は1月24日のエントリで、スペンサー・R・ワートの著書「温暖化の〈発見〉とは何か」を取り上げ、「素朴ないくつかの疑問」と称して、下記に引用のような感想を書いている(ここ)。これがとんでもない誤読であることを指摘したい。著書の意図を理解しておらず、問題にした図の意味をまったく取り違えている。おそらくこの著書を一行も読まず、ぱらぱらとページをめくり、目にとまった図だけを見て、感想を書いたらしい。こんな怠惰な文献読みでいつも技術評論をやっているのか。この技術評論家の実態を示す例だ。

まず桜井はこう書いている。

本書は、約120編の学術文献を引用し、特に、1958-2002年までの具体的な測定データを示し、さらに、過去、1000年間の平均温度の変化を示すことにより、20世紀後半から、温度上昇が顕著になり、注目すべきは、最近の20年間の指数関数的上昇傾向にあることを強調していることです。

 これは違う。本書は科学者たちが、どのようにして地球温暖化に気づき、研究を進めてきたかの歴史を物語っている。著者は著名な科学史家である。フランスの科学者に焦点を当てた原爆開発の隠れた歴史「Scientist in power」などの著者として知られ、現在はAmerican Institute of Physics(米物理学協会)の物理学史センター長という立場にある。もともと地球温暖化の研究史のデータバンクをウェブ上に作った(ここ)。それは系統的、問題別に編集され、多くの引用文献、図を収録したものだ。通して読むようなものではない。このウェブページをまとめながら(今なお改訂作業が続いている)、一般向けの読みものとして本書が書かれた。温暖化そのものを主張するためではなく、科学者の発見史を書くことが目的である。

 したがって、温暖化について、どう行動すべきかは著者の主題ではない。どのようにして現在の状況にたどりついたかの歴史を記述すること、かすかな予兆の気づきから、次々に証拠を積み重ねていく科学者たちの営為を物語ること、それが主題である。個々の科学者が何をし、互いに議論し、異なる分野での研究が相互に組み合わされ、誤りが正され、だんだんと謎が解けていく。科学活動というのはそういうものだが、特に地球温暖化という、対象が複雑であり、多くの分野にわたる研究が、どのように積み重ねられてきたかを、丹念にたどっている。非常に読み応えがあり、知的昂奮を誘われるものだ。

 本文をちゃんと読みはじめていれば、書かれている科学者の地道な、しかし先見性のある研究の連なりにワクワクして、引きこまれて読み進めたはずだ。とくに科学の現場での研究歴があり、科学者の研究現場の気分を共有できれば、挑戦と、ねばり強い展開と、最後に辿りつく発見という、科学者の仕事のロマン性を感じ取れるはずだ。この本は、そのような本である。桜井は、「物理学者」を名乗るが、このワクワク感を一度も味わったことがないのだろう。いや、もともとこの本の本文を読んでいないのだろう。さて、つづいて桜井はこう書く。

 本書には三つの図しか引用されておりません。それらの図の中に温暖化を肯定する要因が示されておりますが、解釈の仕方によっては、否定的にも解釈できそうです。私は、ふと、否定的な解釈もしてみました。

 三つの図しか、という。もともとこの本は、数々のデータを示し、温暖化を立証するための本ではない。示された図も、歴史を物語るとき、その折々のエピソードに関連して引用されたものに過ぎない。「三つの図しか」といういい方は、本書の意図を完全に取り違えていることを証明している。しかも、それぞれの図に彼が下しているコメントは、その図を著者が載せた意図を読み取れず、歴史上の足跡として示されたものを、温暖化を立証しようとしているものと誤解して、否定的に解釈しようとしている。ひとつひとつで、彼がいかに勘違いしているかを詳論しよう。

 まず一つ目の図は、1958年に若き科学者キーリングが、他に先駆けて、CO2濃度の計測にやりがいを感じ、かく乱要因を排除して正確にCO2濃度を計測できる機器を工夫して、南極とハワイ島マウナロア山頂で計測を始めた初期データを示したものだ。いわば歴史的記念碑として、著者は掲載した。キーリングが、地球観測年の研究資金を幸運にも受けることになった結果得られたデータだ。2年弱でこの観測は打ち切られた。しかしその後、別の機関から研究費を得て、測定を続けることができた。下の方の図では、長期にわたる彼の見事な測定データとともに、研究資金が途切れたゆえの中断部があることを、キャプションで指摘している。研究者たちが、理解の得られないまま苦闘していた時期のデータである。途切れたわずかの隙間こそ、この図を掲載した著者のねらいである。本文を全く読んでいない桜井は、それを脳天気に以下のように書いている。

 ひとつの肯定的な図は半世紀近くの期間にわたってハワイ島マウナロア山で測定された二酸化炭素濃度変化(いわゆる「キーリング曲線」)です。それには、1958-2002の間に、315-370ppmまで、ほぼ、直線的単調上昇していることが示されております。

何という取り違えだろう。

 二つ目の図は、ようやく地球規模の包括的温度変化を解析できるようになった1980年代に、はじめたまとめられた北半球の温度変化を示す図である。研究者たちは、長期的な変動よりも、大きく不規則にゆらぐ温度変化に戸惑った、という例として採録されているのだ。この図ではまだ温暖化について顕著な傾向が示されず、積極的に温暖化を唱える研究者すら、はっきりした傾向は20世紀の終わりごろにならなければ見られないだろうと予想していたのだった。その図のとなりページに、そのように書いてある。桜井は、著者の掲載の意図を全く知らぬまま、ただこの図だけを眺めて、このように書く。

 ふたつ目の図は二酸化炭素濃度と"地球温暖化"の相関関係を部分的に否定しているようにも解釈できます。その図には、北半球の1880-1980年の一世紀の間の最も二酸化炭素排出量の多い時期における平均温度上昇を示したものですが、単調上昇しておらず、特に、1920-1965年の40年間、まったく上昇しておりません。それどころか、1965-1970年までの5年間は、逆に、下降しております。このことを二酸化炭素濃度と"地球温暖化"の関係ではどのように説明できるのだろうか。

と書いている。著者はそんなことを説明しようとしているのではない。全く誤読である。

 三つ目の図は、Mannがまとめた過去千年分の温度変化を示す図(ここに引用するウェブページの最後にある)で、よく知られている。地球温暖化を問題にする資料にはたいてい引用してあるもので、今さら論じるまでもなく温暖化傾向を示している。このデータの正当性はおおいに議論され、いくつかの文献に反論もある。桜井ははじめて見たのだろうか。こんなことを書いている。

 最後の図はもっと否定的なようにも解釈できます。その図は1000-2000年の1000年間の全地球温度の平均値を復元したものです(いわゆる「ホッケースティック曲線」)。それによると、1000-1900年まで、有意に、単調下降しております。ただし、1900年からマクロに見れば、急激に上昇しております(ミクロに見れば、ふたつ目の図のようなことがわかります)

 何をいおうとしているのか、どうして否定的に解釈できるのか、意味不明だ。二つ目の図は1980年までの百年間の短期の、しかも北半球だけの温度変化図。千年という長期、しかも地球全体の平均気温を解析して、はじめて長期的なトレンドが見えてきたことを示しているのだから、桜井の言うことは全く当たっていない。

 以上、3つの図についての桜井のコメントは、勘違いにもとづくこと、桜井は本文を読むことなく、この本の感想を書いていることは明らかになったろう。いくら「素朴な感想」とはいえ、あまりにもひどいではないか。

 最後に、温暖化問題そのものについて、桜井はこう書いている。

 "地球温暖化"には、まだまだ、わかっていないことが多いように感じております。一世紀後に、多くの地域で水没ということが真実か否か、断定できません。それは温度が2℃か3℃上昇すると仮定した場合の話なのです。問題はその仮定がどのような根拠から真実と証明できるのかどうかということなのです。

 地球温暖化は、ほかの物理理論と同じようなレベルで「真実だと証明できる」種類の問題ではない。対象が巨大な開放システムであり、気象変動についてはあまりにも多くの要因が関わっているために、異論をいう人がいるのは確かだ。異論があるということ自体、科学活動の健全性の表れである。今後も長い期間にわたって、科学者の誰もかれもが受け入れる「定説」にはなりにくいことだろう。しかし最近では大部分の科学者は、人間活動による温暖化を「確からしい」と受け容れている状態だ。「真実と証明される」のは、このまま放置して手のつけられない状態に陥るか、あるいは温暖化対策を国際協力で実施して効果が確かにありことを確認できたときだろう。「真実だと証明できない」とだけいうのは容易だ。現状でどう判断し、何をすべきかまでをいわなければ、科学と社会、科学と政治の関わりに背を向け、おれは知らん、というに等しい。

 注意深い読者は、私のブログ・エントリのカテゴリーに「桜井淳批評」を新規に設けたことに気づかれたことだろう。桜井批判をはじめたときに、これは私のブログ活動にとって例外的なもので、まもなくやめようと思っていた。しかし、少し考えを変えた。桜井批判をしばらくやってみる意味があると感じている。やめた方がいいと賢明な友人たちの忠告も受けている。しかし桜井の言説は、放置できない。私は私なりにそれを批判することで、世の中のお役に立てるかもしれない。またそれは桜井を鍛えることにもなるだろう。技術評論家の言説や人間性を評論するという、ちょっと奇妙なジャンルもあっていいではないか。桜井は門前払いとか言って(『桜井淳を、私はなぜ見限ったか』07/1/17)聞く耳を持たないかもしれない。しかし私は書く。覚悟せよ、桜井。泥試合でなく、真剣な議論をしようではないか。まともに相手にするには「役不足」(本来の意味で)だが、仕方あるまい。

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コメント

はじめまして。いつも拝読させていただいております。

桜井氏の件ですが、「科学と社会」というきわめて学際的なテーマをあまりにも単純に捉えすぎているような感じを受けます。

私は「社会(経済学)」の側から環境問題を研究していたことがありますが、(自然)科学的知見については一般的な説を知っておくにとどめて、あえて「経済学の視点からの環境問題」に絞っていました。私は自然科学者ではありませんから。そうでないととても研究が追いつかないのです。長年科学哲学を研究している人でもなかなかに難しい問題です。

おっしゃるように環境問題は非常に幅が広く、それぞれの立場からの意見が百家争鳴で、どの立場から論ずるかで結論が全く違うことすら起こりうる状況です。そんな中でいかにも自分がすべてを知っているかのような桜井氏の言論には違和感を通り越して怒りすらおぼえます。社会科学はそんなに単純じゃないんだ、と。非常に多くの変数があり、「社会」と一くくりにするのもどうかというくらいに複雑な分野です。単に「社会を科学する」というレベルではなにも生み出せません。

カール・ポパーのいう「ピースミール・エンジニアリング」に徹することもできない人が「科学と社会」「市民科学」などという曖昧模糊とした分野に手を出すこと自体無茶です。

それともトーマス・クーンの言う「パラダイムの変換」を自分がやる気なのでしょうか・・・?

投稿: number8 | 2007/01/27 01:43

判り易い書評、及び万人に納得の行く形で彼の器の浅さを
明らかにして頂きありがとうございます。彼は以前、自身で
こんな事を記しています。

>テレビや新聞は、素人相手の世界であり、たまには、
>真剣で、生きるか死ぬかの勝負をしてみたいと思っている。
>腕に自身のあるヤツは、氏名、住所、経歴をオープンにして、
>かかってこい。いつでも相手になってやる。手加減はしない
>から、覚悟してかかってこい。

そうやって虚空に向かって虚勢を張れば彼の脳内王国の中で
自分が大物だと錯覚していられたのでしょう。そしてその
いやらしい恍惚感で脳内を満たしたままに、今もあそこで
見るに耐えない駄文を書き連ねているのだと思います。

まさか貴殿のような、ありとあらゆる面で彼を上回る存在の
人物が本当に上記のような論戦を挑んでくるとは夢にも思って
いなかったと思います。

まぁ彼のことですから、徹底的に逃げに回り、技術面や論戦で
叶わない憂さ晴らしに汚い言葉による人格攻撃に終始すると
思いますが、それに屈っする事なく威風堂々としていてください。


投稿: 一市民 | 2007/01/27 02:05

昨夜酔った勢いで上記のような低品位な書き込みを
してしまいました。貴殿のBlogの品格を貶めるような
内容であり、大変申し訳なく思い、深く反省しています。

上記の発言内容に関し、不快な思いをされたであろう
貴殿ならびにこちらに訪問されたであろう数多くの方々に
謝罪するとともに、上記発言を撤回させて頂きます。

申し訳ありませんでした。

投稿: 一市民 | 2007/01/27 10:04

一市民さん

いいのじゃないでしょうか。書き込みは低品位だと思いません。私のブログ・エントリも、桜井淳に向かっては、つい品のない表現を使っています。そのぐらいのいい方をしないと、こちらの気持ちが伝わらないように思ってしまいます。

一市民さんも、どうぞご遠慮なく、思っていることをどしどし書き込んでください。

彼を誹謗するのではなく、彼の書いたものの問題性を指摘するということは、こういう場で、みんなで、さまざまな角度から、大いにすべきでしょう。

投稿: アク | 2007/01/27 10:51

ブログ楽しみに拝見しています。
温暖化の<発見>とは何か。読みました。
51pageのキーリング曲線、CO2濃度と温暖化との因果関係の証拠として充分過ぎるほど魅力ある観測結果ですね。
正直私も、アクさんの指摘がなければ、文脈を考えず誤読していたと思います。
科学啓蒙書にかぎらず、著書の意図を人は得てして独りよがりで納得しがちです。
自戒したいものです。

末尾になりました。
アクさんの72歳、お祝い申し上げます。

投稿: sollers | 2007/02/03 00:06

sollers さん、このような話題にもおつきあいいただいて、コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。sollers さんとは、リチャード・パワーズのご縁でしたね。関心のゆくえが漂うままにまかせて、読み、考え、書きという生活していますので、いまはこんな具合です。また別の面をお見せすることもあるでしょう。ま、よろしく。

投稿: アク | 2007/02/03 11:46

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 地球温暖化が、世界中で多くの不幸をもたらしています。異常気象により被災者になってしまう人や沈み行く島に住む人々。絶滅してしまう動植物も・・・。  この不幸を回避するために、私たちは何が出来るのでしょ... [続きを読む]

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