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2007/01/24

製薬会社の研究所閉鎖は手法の革命的変化のせい

 製薬会社として最大のファイザーが、日本での研究所を閉鎖することが話題になっている。全体としてのリストラの一環らしいが、新薬開発しか将来のないはずの製薬会社が、なぜ研究所を閉鎖するのか。ファイザーは日本に限らず、米仏などの研究所5カ所を閉鎖するという。ファイザーだけではない。他の外資系製薬会社も同じように研究所をすでに閉鎖していたり、予定しているという。研究所閉鎖は、リストラという経営上の問題だけではないらしい。薬品開発そのもののスタイルが変わってきたのが原因のようだ。新薬開発手法は、古いやり方から、新しいものへと革命的に変化しつつあるらしい。私の現役時代の最後のころ、すでに耳にしていた。力ずくのスクリーニング法から分子設計へと、新薬を見つける方法が変わるのだと。

 病気は体内のタンパク質が関係して起きる。そのタンパク質にとりついて、その原因を直すのが薬だが、それはちょうど鍵穴と鍵の関係にたとえられる。タンパク質には独特の形の鍵穴がある。その鍵穴にぴたりはまりこみ、薬効を発揮する鍵を見つけるのが、新薬開発だそうだ。古いやり方は、馬鹿力である。候補になりそうな化学物質を合成する。これが鍵の候補である。それを片端から鍵穴に試してみて、びたり合うかどうかを試す。これがスクリーニングである。嵌るか嵌らないか。莫大な数を試すらしい。当たれば、新薬として大もうけになる。しかし何千何万という鍵を鍵束から選んでは、鍵が開くかどうかを試すのだから、膨大な労力を必要とする。製薬会社の研究所でやってきたことの大半はそういう仕事だったらしい。

 ところが、その仕事のスタイルが変わってきた。タンパク質の鍵穴の形状を見ることができるようになった。X線結晶構造解析という手法である。放射光という強力なX線を使う。これでかつては何年もかけてやっと見えていた鍵穴の形が、数日程度(場合によっては一日)の実験でできるようになってきたそうだ。何年もかけるようでは実用にならない。しかし、それが数日の仕事になれば、病気に関係するタンパク質の構造を調べ、鍵穴の姿を知り、それに当てはまる薬を作り出せる。それがやっと実用になってきた。私が現役の最後に従事していた仕事は、この放射光施設(SPring-8)を建設し、広く利用に供することだった。

 タンパク質構造解析により鍵穴の形が分かれば、その穴に当てはまり、薬効を発揮する薬の形と機能はどうあるべきかが分かる。そのような形・機能を持つ化合物を設計すればいい。これが分子設計という方法で、そのためにコンピューターを使う。コンピューター上で候補物質の分子を作り、それが相手のタンパク質の鍵穴に当てはまるかどうかシミュレーション(ドッキング・シミュレーションと呼ぶ)ができるようになった。何万とありうる候補物質から短時間に最適化合物を選び出すことができる。最後は数個に絞られた候補化合物だけについて、動物実験、臨界試験をすればいい。力ずくのスクリーニング、鍵束から片端に合い鍵を試してみるという作業は不要になった。何百人というスクリーニングに従事していた研究者が要らなくなったわけだ。

 この手法の変化に、日本の研究所の対応が遅れたのか、あるいは、コンピュータ上のシミュレーションは欧米の先進研究所で少数精鋭でやればよくなったのか。ともかく、そういう研究スタイルの変化が、外資系製薬会社の研究所閉鎖の原因らしい。

 そこで心配なのは、日本の製薬会社がこの動向について行っているかである。日本の製薬会社も共同して実験装置(ビームライン)を運営し、放射光利用によるタンパク質構造解析を進めている。すでに数年の実績はあるようだ。コンピューターによる分子設計の方も進んでいることだろう。製薬の世界で進んでいる新薬開発手法の質的変化について行けないと、日本の製薬会社は競争に取り残され、末端での売薬だけの会社になりかねない。それ以前に外資系製薬会社に併合されることもありうるだろう。ファイザーの動向から、そこまで読む必要があるだろう。

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コメント

アクさんこんばんは。

新しいやり方の代表格は「コンピュータ」を援用する方法と思いますが、ここでもbrute force法(馬鹿力法?)は依然として健在です。とにかく計算して結果のみを利用する。つまりスクリーニングをコンピュータに任せるわけですが、これはこれで便利な反面、大変な危険が伴います。アルゴリズムやプログラムが正しかったとしても入力値などの初期設定に誤りがあれば、誤ったデータを元に「正しく」計算を実行し、正しく「がらくた」の答えを量産します。

私が特に印象に残っている、ある偉い先生(!)の言葉に「soulを忘れてはいまいか」という文言がありました。いくら計算機をブン回してもsoulを忘れては真の答えに到達できないということでしょう。ボタンを押せば結果が出る時代は何時のことでしょうか・・・

久しぶりにイーグルスを聞きながら。


投稿: kazu | 2007/01/25 22:49

kazuさん、コメントをありがとうございました。

分子設計、物質設計はkazuさんの専門領域でしたね。
コンピューターによる「設計」にも、馬鹿力法が使われる、というのは、おっしゃるとおりでしょう。人力で実験室でやっていたスクリーニングを、コンピューターに移しただけでしょうから。私の見た文献には、何億だか、何百億だかの候補物質をスクリーニングすると書いてあったのを記憶しています。ただ、コンピューターだから、それをごく短時間にできるのでしょう。将棋やチェスのコンピューター化と似ているのでしょう。

ただ、やみくもにやるかというと、それなりに理論的に見通しをつけ、かつ、経験の蓄積も利用して、インテリジェントなやり方をするのでしょうね。

実験観察でも、計算物理でも、やはり大事なのは、理論の深い理解・経験・直感などに根ざした見通しを持つことでしょうね。kazuさんの引用された、偉い先生のおっしゃる、soulというのもそういうことでしょう。

わたしが最近別サイトに書いたプルトニウム原爆に関する議論で、rule of thumb の重要性にふれました。ごらんいただけるといいです。それも似た論点のつもりです。
http://web.mac.com/masaqua/iWeb/NotesOnNWP/Pu1.html

投稿: アク | 2007/01/26 10:03

初めまして
「そこで心配なのは、日本の製薬会社がこの動向について行っているかである。」
ここのコメントを見ると、遅れているようです。
http://machan-nifty.cocolog-nifty.com/selfish_thinking/2007/01/post_36b4.html

投稿: 丸ちゃん | 2007/01/30 22:41

丸ちゃん、さん。
はじめまして。コメントありがとうございました。専門家につないでいただいたようで。私の書いた趣旨は、的はずれではなかったようですね。深刻な問題です。

投稿: アク | 2007/01/30 22:53

はじめまして。
相談があってメールしました。
私の彼氏はファイザーの研究員です。
研究所が閉鎖になり、これから先どうするか悩んでいます。
私は研究を続けて欲しいのですが彼自身はファイザーにのこって違う仕事をするべきか他の研究所に転職するべきか悩んでいます。
しかし、このサイトを見て私は彼に研究を続けて欲しいと言っていいのか考えさせられました。
私は彼が大学のころから研究がしたくて本当に、本当にがんばってきたのを知っています。
そんな彼に私はどのようなアドバイス(?)をしたらいいんでしょうか?
どうか、助言をおねがい致します。

投稿: ワンタン | 2007/02/07 01:52

ワンタンさん

私は、的確に助言できるほど、この業界に通じていません。
だから、一般的にいいましょう。

研究を続けたいなら、出身研究室の先生に相談されるのがいいでしょう。大学、研究機関などに職を求めることになるでのしょう。ただし研究分野にはこだわらないことです。これまでの経験を生かし、もっと広く将来を考えたらいいと思います。

ただ、研究業務の経験を生かし、もっと広く医薬の分野での仕事を求めるという方向もあるでしょう。研究だけが仕事ではないと、気持ちを転換するということです。

投稿: アク | 2007/02/07 09:45

 最近流行の分子標的治療というやつですね。しかしながらこの分子標的治療というやつがなかなか難しい現実があります。というのは疾患の多くが(明らかな遺伝性疾患というものは除く)多因子によって支配されていて、単一の蛋白質の異常や遺伝的多型によって説明出来るものが数少ないのが現実なのです。すなわち疾患を治す薬を開発しようと、ある標的遺伝子産物を絞ったとします。その遺伝子産物の生体内反応を阻害する薬剤を開発しても、もとの遺伝子産物のフィールドでの疾患における役割が高くないので、あまり良い効果が得られないのが現実だと思います。ファイザーが選んだ方法もひとつの選択肢だと思いますが、ファイザーでなくても開発出来るような簡単な候補化合物しか得られなくなる、すなわち開発能力の弱体化に繋がるのではないかと思います。
 実際に私の友人の中には臨床で開発薬の治験を実施しているものもおりますが、最近流行の分子標的治療薬はとんでもなく激しい副作用を引き起こすものも多いとのことです。おそらくファイザーは新薬開発にかけるコストを削減しようと、研究とは何か全く知らない銀行などから来た経営屋が今回の方針を決定したものと思いますが、生物の神秘さと自分たちの知識の浅はかさを思い知ることとなるでしょう。そもそもファイザーで大当たりしたED治療薬であるバイアグラ自体が別の目的で開発された薬剤であり、瓢箪から駒のように治験で出てきた偶然の産物であることを思い直すべきだと思います。自然や生物を思う通りにしようなど人間の驕りであるということを肝に銘じるべきでしょう。
 彼氏がファイザーの研究員であった方がアドバイスを求めておられますね。私自身もずっと昔、国内化学メーカーで医薬品や農薬の開発に従事しておりました。
 その彼氏の方がどれくらい研究というものに強く熱意を持たれているかではないでしょうか。私の場合は退職した際には怨念に近いようなものがありました。もし研究に強い指向性があるのなら博士を取るとか、もう持っているのなら海外へ留学するもの手だと思います。しかしながらアクエリアンさんが書かれているように研究だけが人生ではないですから(なかなか年齢が若い時は敗北するようでそうは思えないのですが)領域を変えるのも手だと思います。研究関連の特許業務などいろいろ選択肢はあります。
 私自身が研究という領域で生存するために格闘していますが、今までつぎ込んできた自分の労力と得られた立場の安定性、収入を比較するとあまりヒトにはお勧め出来るものではないというのが本音です。

投稿: Aurora A | 2007/02/12 21:34

Airora A さん

専門家からのコメントはさすが違いますね。特に「自然や生物を思う通りにしようなど人間の驕りであるということを肝に銘じるべき」との警告は、さすが現場にいる方の言葉です。私のエントリは、非専門家ながら、多少見聞したことから書いてみたのです。特に日本の薬業界の遅れを心配しています。

研究者であることのきびしい現実は、実感がこもっています。Aurora A さんも、もうひと山越えなければならないのでしょうね。

投稿: アク | 2007/02/13 20:08

2月13日の日刊薬業Quick上の一記事;(こんなところにコピペしたら怒られるでしょうか・・・)
<<EFPIA・Japan・デュノワイエ会長 研究施設撤退は生産性の問題ではない>>
欧州製薬団体連合会日本支部(EFPIA・Japan)のマーク・デュノワイエ会長は8日の記者会見で、欧州などの海外製薬企業が日本の研究施設を撤退させる一方、ほかのアジア諸国への投資を強化している理由について、「基礎研究の次のステップであるバイオメディカル(生物医学)の研究が欠けていたためで、生産性の問題ではない」と指摘。その上で、「中国や韓国は、バイオメディカルの研究の必要性を理解し、日本より早く環境整備を進めた」と述べた。

 デュノワイエ会長は、バイオメディカルの研究を行うには大学や企業のクラスター(集合体)の存在が有用との見解を示し、「日本でもこうしたクラスターでの研究を積極的に行っていれば、研究はもっと成功したのではないか」と語った。
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日本の場合、薬開発の技術の進歩の影響だけでなく、企業の研究環境そのものにも課題がある様です。(治験環境や薬価制度も、外資系製薬会社側としては大きな不満があるところ・・・。)
ちなみにこのデュノワイエ会長、うちの会社の社長です。世界のTop3に入る英国のメガ・ファーマですが、ファイザー同様、去年12月末に筑波研究所を閉鎖し、日本で薬開発の研究を行うことから撤退いたしました。約100人強程いた研究員、半分は研究を続けることを求めて退社し、残りの半分は研究をすることを諦め、本社にて臨床開発や学術などの新しい道に進んでおります(ワンタンさんの参考まで。ただ、ファイザーの場合、中央研究所は愛知県にあるので、東京本社へ移られる場合は、引越しもしないといけないのでより大変??)。
こういう私も、親の影響からか、研究で生計を立てていくを選んでいた元研究員経験者(親の脛をかじって米国の大学院に留学したり、製薬会社の研究所勤めも3年程したりして、計8年間免疫学やがんの研究活動に没頭いたしました)。その後、あまり安定志向がないせいか、やりがいを求め、何度か同じ業界内ではありましたが、ドラスティックなキャリア・チェンジを重ね、今では研究をやっていた頃には、自分でも想像できなかった様な、まったく別のタイプの仕事に就いております。でも研究業務から離れて約12年経った今でも、その貴重な経験はそれなりに活かすこともできております!(これもワンタンさんの参考まで?)

投稿: Shinji | 2007/02/14 21:47

Shinji さん

貴重な意見をありがとうございました。彼氏の行く末を心配するワンタンさんのいい参考になるかと思います。また紹介してくださっデゥノワイエ会長の見解が当たっているとすれば、日本の薬業界にとって今後の大問題ですし、クラスターが大事だという指摘を真剣に受け止める必要があります。

ところで Shinji さんて、ひょっとして?

投稿: アク | 2007/02/14 22:18

皆様、貴重な意見ありがとうございます・・・。
今、閉鎖という事実だけが先走り、会社が今後どうなっていくのかはまだ全然決まっていません。
こういう状況で答えがなかなかでるはずもないのですが少しずつ、彼も落ち着きを取り戻し、研究だけではなくいろいろな方向で考えているようです。
彼がどんな選択をしても私は彼についていくつもりです。

投稿: ワンタン | 2007/02/19 04:13

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