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2007/01/21

軽水炉使用済み燃料からプルトニウム原爆ができるか

 軽水炉使用済み燃料から抽出されたプルトニウムから原爆ができ、かつ核実験も行われていることについて先に書いた『軽水炉使用済み核燃料からの原爆は実験済み』07/1/6)。技術評論家・桜井淳は、このエントリに対する反論のつもりだろう、自分のブログに「世の中には軽水炉の高燃焼度燃料から抽出したプルトニウムで兵器級並みの爆発力が得られると錯覚している「ひとたち」(当初「」内にはバカとあった)がいる-まだ、実験的に証明されていない-」(07/1/19)のタイトルを載せたが、中身を書いていない(ここ)。書くほどの論拠も内容もないのだろう。私のブログの読者は、またもや「桜井淳もの」のくだくだしい議論を見るのもいやだろうから、桜井の唯一のネタもとと推察される、今井隆吉・報告書の問題点と、私の見解を、別サイトに詳しく書いた。こちらをご覧いただきたい。

 軽水炉使用済み燃料から抽出されたプルトニウムから原爆ができるか、という重要な問題について、日本の原子力関係者のあいだでは、「できない」という見解が主流になっているようだ。その根拠は、今井隆吉が書いた報告書にあるらしい。ところが、この報告書は準拠した原論文の結論をすり替え、疑問符を付け、全く正反対の結論を導こうとしたものであることを、大部分の人は気づかずにいる。さらに悪いことに、ねじまげられた結論を、ほとんどの人は鵜呑みにしている。かの技術評論家・桜井淳は、こういうことをこそ批判・吟味すべき立場にありながら、残念ながら語学力も物理の思考力もないのだろうか、原論文を読みもせずに、今井論文を引用して、間違った結論を拡散している。

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コメント

アクさん、こんにちは。中々専門的で難しいお話ですが、でも、拝見していく中で、問題提起の中にこそ、もしかしたら本質的なものが顕れてくるのではないかという思いがして来ました。今後も愉しみに致しております。ご紹介の「聖書と現代社会」も貴重な重要資料として蔵書に加えたいと存じております。と申しましても…目を通したいものが沢山ありまして、すぐには拝見できないと思いますが…最近は、“摘み食い”もいいところで、アクさんのご考察を拝見していて、反省すること頻りです。

投稿: 梅吉 | 2007/01/22 12:08

梅吉さん、返信が遅れました。昨日は入院した息子の顔を見に、老人二人で上京。左目の回りが、お岩さんのように腫れていました。働き過ぎのストレスによるものか、帯状疱疹にかかったのでした。こういうとき、40すぎで独り者じゃあ、やっぱり不自由だねと、こちら。なに、大丈夫、ひとりで凌げると、強気のかれ。寝て、点滴受けて、数日で治るでしょうと医者の言葉をのみこんで、日帰り帰宅。そんなわけでした。
 退職したサイエンティストのできることは、虚名に隠れて世の中に拡散される間違った情報をチェックし、虚名者をのさばらせる世の仕組みに考えをいたすということかと。そんなことで、このところ余計なことをしています。
 そのせいで、本来テーマのつもりのひとつ「宗教について考える」に時間を割けずにいますが、これは、ゆっくりと、と思っています。仏教者との対話とまでいきたいのですが、知識と感性がないので、「木曜日の女」のエントリのほとんどは、"It's Greek to me" です。この表現、昨日、山手線車内の表示板で覚えました。簡単英語講座などやっているのです。

投稿: アク | 2007/01/23 10:14

まあ、それはご心配ですね。帯状疱疹とは余程のストレスではないでしょうか!通常、胸のまわりと聞きますが、目のまわりとは初めて聞きました。どうか一日も早いご快復を心よりお祈り申し上げます。
>虚名に隠れて世の中に拡散される間違った情報をチェック
一般世間もネットの世界も、偽が真に取って代わろうとする時代ですものね。真偽に睨みを利かせた“お目付け役”は、不可欠かと存じます。全く宗教も同じでして、できるだけ身近なものに置き換えて、Greek にならないように努めなければなりませんね(冷や汗)。でも、最近の事件を見ていると、あらゆる職業の中に、より深い理念(ある意味、宗教のような部分)が宿らなければならない時代に入ってきていると思います。(不正が現れるだけ良い方かもしれませんね。表に出ないものほど、政治にしろ宗教にしろ厄介なものはない。)さて、不二家のぺこちゃんとお菓子は本尊的、社長は教祖的、社員は信者的で、トップの思想が低下すると、途端に企業の力も弱まり、言わば命であるはずのお菓子が、とんでもない代物になってしまう。毒とは言わずとも、子供に害をもたらすものになってしまう。“信じること”の恐さを改めて感じた事件でした。宗教であれ、企業であれ、その中に流れている思想の質が、それを信じる人(サービスを受ける人)の幸不幸を左右するのではないかと思います。企業と宗教の共通項を探し出して、いずれ記事にしたいと思います。
それから、木曜の女は、科学の基礎知識がガタガタですので、今、教科書から読み直しております(笑)。キリスト教やイスラム教の教義も勉強したいところですし…
私こそお時間を頂きましてから、アクさんとの対話の機会が頂ければと思っております。

投稿: 梅吉 | 2007/01/23 14:30

梅吉さん、ごていねいな書き込みありがとうございます。

宗教であれ、企業であれ、・・・という視点は面白いです。日本人には特にそれが当てはまりそうです。その中にいれば、一応安心しておれる、生きている実感を付与してくれる、そういうものがほしいのでしょう。

まず他の何者かにすがるのではなく、自分にこそ拠りたのむだけの自己確立と、さらに深く考えてみれば、それすら拠りたのめないという、無根拠のあり方にじっと耐える、それが仏教でいう空に通じるのかな、と思っています。

投稿: アク | 2007/01/23 23:19

貴重なアドバイスを頂き恐れ入ります。
さて、私は仏教でも、天台大師の流れをくむ仏教徒でして、一応、浅学非才ながら“正統派”を自任しておりまます(笑)。天台では、「空」は「理」の世界観を顕し、随って変らないものとして「死」の領域になります。先日ご紹介の柳澤桂子氏の達観は、生意気な物言いを致しますと、当然と言えば、当然の帰着点でありまして、なるほど、科学者の方の最もシビレル部分ではあるまいかと関心した次第であります。しかし、全体的な印象として、この達観は宗教的なもので開かれたものかといえば、100%そうとは言い切れないと思いました。
なぜならば、釈尊の達観は、やはり生老病死をひと括りにしたものと解釈しておりますので、あの対話、議論では、死90%の達観+生10%の達観という印象でして、全く、病と老の部分の議論が、仏教徒としての視点では欠落していると推察致しました。
そうなると僭越ながら、やはり空だけの達観ではなく、仮も含まれたところの中道の在方が必要になって来ている時代であると感じました。科学技術を使いこなす為の精神力が、それ相応に追付くには、やはり中道の達観は不可欠ではあるまいかと思います。
しかし、これから記事を書いていく上、思いましたのは…
「空」は、理と死になりますので、文章で言いますと「骨組み」に当たります。そうですね。「空」がスカスカですと耐震強度が脆くなる。「空」をしっかり十分に描いて、「仮」で肉付けをして、最終目標としては「中」を搾り出して、エッセンスとして入れる。これがまた難しいのですが…挑戦してみようと思っております。
配分としては、6対3対1ぐらいでいこうと思います(笑)。宗教と企業の考察も続けてまいりますね。

投稿: 梅吉 | 2007/01/24 18:02

梅吉さん、引き続きのコメントをありがとうございました。

仏教の教えに、基本的知識がないので、ついていけなくなりました。違うヴォキャブラリーが通用している言語界のようです。それぞれのヴォキャブラリーが通用する言説の世界がある。その中にいれば、それでいいのでしょうが、それを外から理解しよう、あるいは、内から外へと伝えようとする場合、何らかの翻訳、あるいは解釈学的アプローチが必要になってきます。私は宗教間でそれが必要になっている、また宗教を越えた人間の地平に出ることが必要になっている、と思っています。

柳澤桂子と玄侑宗久との対話に、わずかにそれが見えたように思ったのでしたが、2回目に柳澤は広い地平に出ることをやめて、科学的世界観に閉じこもってしまったようで、あらためて論じる気がしなくなったのでした。ただ、玄侑の語りには、広がりを感じ、もっと学んでみたいと思っています。

そして、最近取り上げた太田道子の語りに、キリスト教の側から、広い地平に出ようとするものを感じて、それについて書いたのでした。引き続き、彼女のもの(「ことばは光」1,2)を読んでいます。

投稿: アク | 2007/01/26 10:24

たびたびお邪魔して恐縮です。
>内から外へと伝えようとする場合、何らかの翻訳、あるいは解釈学的アプローチが必要
全くおっしゃられる通りで、私自身もそれは感じております。言わば、この特殊なボキャブラリーが壁になっておりまして、その壁を破ろうと格闘している最中です。玄侑氏は確かに、その“広がり”に変換されようと努められて、柳澤氏に歩み寄られ(柳沢氏も科学者のお立場として)、禅の教えを伝えていこうとされる誠意があの対談の中で十分に感じられました。総じて、お互いに格調高い対談になっていたと思います。それに仏教徒として、とても品格があり、見習うべきところが多く、今回沢山の発見ができました。
しかし、「大悟」という言葉に象徴される「広がり」の先に、「広がり」に終わらず、「広がり」を集約する(一即一切、または一念三千という名の)「仏智」があり、その「仏智」から「あまねく流れて広がっていく」という智慧(悟)の境地があるということを今回はお伝えしたかったのです。「死」だけではなく、生老病死の全ての“大悟”が揃ってこその“円教”(欠けていない教え)であると考えるからです。
玄侑氏は様々な本に目を通されて、ご自分の言葉に見事に変換されていらっしゃると思います。その求道心を是非とも見習いたいものです。
日本の仏教史を語る上では、天台大師の流れをくむ伝教大師の功績は多大であるにも関わらず、私個人としての意見では、蔑ろにされていると感じざるを得ない仏教界の有り様を見た時に、“つぶて”ながらも一石を投じたいという思いもあります。
将来、別ブログを立ち上げて、その時は、宗派を名乗り、各宗の教義を論じたいという思いもあります。相手に失礼のないような、羞ずかしくない力をつけてから、願わくば、いつか伝教大師のお弟子方がそうされたように…玄侑氏に、古の作法に則り法論を申し込み対決してみたいですね。まだまだ先の話になりそうですが。それまでは、やはり科学を始めとする、様々な分野の読書不足を解消しませんいけませんね(笑)。
長々と失礼しました。

投稿: 梅吉 | 2007/01/28 11:03

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そういやこのまえ大学の隣の建物にクラウンセダンとリベロが止まってた クラウンセダンなんぞ買うのは役所だな、マイルドハイブリッドだしw どれおじさんが入構許可証をタシーロしてやろうとフロントガラス越しに見ると 東京地方協力本部とあった。自衛隊の地連である。となるとあの授業だな なぜか毎年話題が変わってしまう立花隆とか 大学の近所の店舗の閉店を予告した吉野屋のエロい人 束・倒壊の両巨頭(話の内容が結構ちがうのがオモロス) Wikipediaを自分で修正しちゃったあの人とか そう...... [続きを読む]

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