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2007/01/30

桜井淳、消える

 どうしたのか。技術評論家・桜井淳は、ブログ(桜井淳の新・市民的危機管理入門)をココログ上から消したようだ。間違いでないとすれば、私の最近の桜井批判にたぶんに関係しているのだろう。小なりとはいえ、ブログという言論の世界で真剣に議論をしようではないかと、呼びかけたとたんに姿を消すとは、どういうことなのだろう。これが桜井淳流の「危機管理」なのか。

 ブログ上に彼が書くものは、明らかに荒れていた。技術論を真摯に論じるというよりも、他者の意見をバカ呼ばわりして非難したり、某大学は三流と誹謗したり、自分を誇大に見せようとしたり、恥ずかしくないかと思えるほど幼稚なことを書いたりと、何ともひどいエントリが多かった。私にとって関心のある問題での間違った主張を放ってもおけず、批判をはじめたわけだ。

 彼はブログ上の一私人にとどまらず、技術評論家として公的に活動している。マスコミにも事故・事件があると登場する。そのような人が、批判に耐えず、ブログを消すとは信じがたい。たぶんしばらく潜んで、どこか別の河岸に現れることだろう。それまで待つとする。なお、書きはじめたプルトニウム原爆問題は、別サイトの方で続編を書くつもりである。

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コメント

初めてコメントさせていただきます。
桜井氏のブログですが、アクセスした際のエラーコードは404(Not Found)ではなく、403(Forbiddin、アクセス不可)となっております。
氏の使っているココログフリーではユーザーによるアクセス制限はできないことから、氏本人によって消された/氏本人がアクセス制限の設定をしたのではなく、第三者(ココログか?)などによってアクセス制限設定されたのではないか、と思います。
なお、ネット上の百科事典、wikipediaでは、氏のページにおいて、批判の項目を無断で削除する人がおります。氏本人と断定することはできませんが、もし氏本人であれば、自身のブログのみならず、公共の百科事典でさえも自身の都合の良いように書き換えるような人物なのでしょうか。
一エンジニアとして、また、尼崎事故の遠い関係者として、これからもアク氏の論理的な桜井氏批判を期待しております。

投稿: LACHESMAN | 2007/01/30 20:35

LACHESMAN さん

コメントをありがとうございました。彼が「フリー」を使っているとは思っていなかったのです。アフィリエートがつくことについて、何度も彼が文句をいい、「フリー」から上へ移るべきだと私は忠告し、そうしたのにアフィリエートがつくと聞いていました。設定のときにアフィリエートをつけるかどうかを問われて、正しく答え損なっているせいだろう。それだのにニフティの儲け主義で、ついてしまうと文句をつけているのはおかしいなと思っていました。結局無料のフリーにしていたのでしょうか。

ところで、ココログフリーはこのところトラブル(コメントの受付など)が続いているようで、その対策として、ブログの再構築をするようにユーザーに要請しています。それを彼がやり損なっている。その結果のforbiddenかもしれません。よく分かりませんがひとつの可能性です。ニフティ側の判断によるアクセス制限は、よほどのことがなければ、考えにくいと思います。

鉄道関係の方が、専門はずれの彼の技術評論を問題にしておられるのは、私も理解しています。こちらの分野ですら、危うい知識でやっているのだなと、うすうす気づきながら、大部分の人が大目に見ていたのでした。敵の敵は味方というような面があったのでしょう。私はどちらでもありませんが、もうしわけないことに傍観者でした。今回は正直いって「幽霊の正体みたり枯れ尾花」のような感想です。

投稿: アク | 2007/01/30 22:37

お返事ありがとうございます。
桜井氏のブログにおいて、1/16の暴言エントリでは広告が残っていましたから、ずっとフリーを使っていたのでしょう。
私もココログを使っており、1月頭から放置しておりましたが、今日チェックしても全く問題なく開くことができ、編集も出来ました。桜井氏のブログに限ってのForbiddinではないか、と考えております。
私は単なる鉄道マニアで、鉄道関係の者ではありません。本名も知らぬ兵庫在住のネット上の友人が、尼崎事故のあと、音信不通になりました。ネット上の友人の間では、尼崎事故で亡くなられたのではないか、と思っております。名前を知らなくとも親しい友人を亡くした私にとって、「事故が起きても生存空間さえ車両にあれば」と言う桜井の言葉は許せません。例えできないことがわかっていても、「今後絶対に事故を起こしません」という言葉、決意こそが欲しいのです。
私事で申し訳ございませんでした。今後とも楽しみに読ませて頂きます。
失礼致します。

投稿: LACHESMAN | 2007/01/30 23:20

アクエリアン先生 LACHESMANさん こにちは
三苫と申します。自治体の職員をしています。

いきなり割り込んでしまい申し訳ありません。
LACHESMANさんが主張されていること
>例えできないことがわかっていても、「今後絶対に事故を起こしません」という言葉、決意こそが欲しいのです。

桜井先生のブログを読んでいました。鉄道関係者の方達と桜井先生の
主張の対立点が何か理解できなかったのですが、もしこのことだとする
と対立するのは当然だと思いました。
20年ほど前に原子力工業という雑誌に桜井先生が連載していた文章を
読んでいたのですが、確かに桜井先生はLACHESMANさんの主張と正反
対のことを書いていました。間違いありません。しかしアクエリアン先生
のお考えはどうでしょうか。アクエリアン先生が桜井先生を今まで
かばってこられた理由は、鉄道関係者の方々が怒りを感じておられる
まさにこの点だと思うのですがどうでしょうか。

投稿: 三苫 | 2007/02/05 00:16

三苫さん、はじめまして。コメントありがとうございます。

LACHESMAN さんが書かれたことは、私は二つの意味でとらえています。ひとつは事故分析の技術的側面。鉄道の専門家からすると見当違いの議論をして、あの事故の分析を誤った方向に導く言動があったこと(これはその後専門家や事故調査委員会などの分析により正しい方向に向かったと思うのですが、まだ問題は残っているのでしょう)。

もう一つは、安全問題を論じる専門家の人間観といいましょうか。なぜ安全を問うか。それは事故の当事者である企業なり、現場の個人なり、あるいはもっと大きく社会の仕組みなりが、人々の安全をなおざりにした結果、事故が起き、人々が傷つき、命を失う。そのことを、被害を受けた人々に代わって告発し、原因を科学的に問うというのが安全の専門家の原点でしょう。安全の専門家は、社会システムがなおざりにしがちな、人間・人命を大事にするということを、ひといち倍大事にするというところに立ってものをいわなければいけない。ところが、安全専門家は、人としての原点を忘れて、事故を自分の専門家としての売名の好機ととらえて、トクトクとものをいう。それも見当はずれの。それが許せない、というのがLACHESMANさんらの問題としているところでしょう。私はこの点で、全く同感です。

三苫さんは、私が桜井をかばってきた、と書かれましたが、そんなことはありません。彼が勝手に私を与しやすい相手と見こんで、私のところに出入りし、私の意見を求める。さらには私から仕入れた知見を生半可に鵜呑みにしてまき散らすことを、まあ問題ないかと思える範囲でできるだけ大目に見ていただけです。まあ、のんきに利用されていた、といいますか。鉄道関係はもとより私には専門外で、桜井がそんなことまで手を出して大丈夫かと思ってみていました。

原子力問題に関しても、彼とは意見を異にしています。原発事故についての桜井の発言は、まあいいでしょう。私はそちらの専門家でないので、一市民としての立場で、まあいいだろうと、いっています。しかし、もし彼が電力と多少なりとなれ合いの発言をしていたとするなら許せないと思っています。

意見を意にするのは、プルトニウム利用の点です。私はささやかながらこのブログで発言しているだけの立場ですが、過去ログを読んでいただければ分かると思いますが、プルトニウムの現時点での利用に反対する意見です。プルサーマルにも、再処理にも反対しています。現行の原発は必要だとしていますが、いわゆるワンス・スルー(使用済み核燃料を再処理せずに保管管理する)を当面選択すべきだということです。プルサーマルは一回再処理プルトニウムを回すだけで、たいして経済的メリットがない、というか、経済的に判断すればマイナス、と考えています。桜井は、そのあたり何度か話しましたが、あまりピリッとした意見を聞きませんでした。

分かっていただけたでしょうか。私は桜井をかばっていたというようなことは全くありません。まあ彼の孤独な戦いをいい方向で理解してやろうとは思っていたのですが、何度か彼と話し、彼の書くものを読んで、彼の本性をつくづく知って、今回ようやく見限ったということです。私に見る目がなかったと個人的には反省はしています。ただ彼をポジティブに評価することで積極的に発言したり、動いたりして社会的にご迷惑をかけたことはありません。

投稿: アク | 2007/02/05 20:03

アクエリアン先生 LACHESMAN さん こんばんは
三苫です。お返事ありがとうございます。

自分は鉄道関係者の方々と桜井先生の論争の本質はLACHESMANさんが書かれた

>例えできないことがわかっていても、「今後絶対に事故を起こしません」という言葉、決意こそが欲しいのです。

という安全に関わる思想の違いによるものではないかと思いましたが、
LACHESMANさん どうでしょうか。

アクエリアン先生は桜井先生の指摘が見当はずれだったことが問題だったことと
桜井先生が安全の専門家として外れていることが問題だったと指摘されています。

「事故の当事者である企業なり、現場の個人なり、あるいはもっと大きく社会の
仕組みなりが、人々の安全をなおざりにした結果、事故が起き、人々が傷つき、
命を失う。そのことを、被害を受けた人々に代わって告発し、原因を科学的に問
うというのが安全の専門家の原点でしょう。」

アクエリアン先生のお考えは、LACHESMANさんと同じく、当事者である企業や個人
あるいはシステムがミスをしなければ事故は起きない。もし起きた場合は安全の
専門家が責任を持って告発するということだと思います。けれども現実にこうい
ったことが可能なのか、自分は疑問に思っているのです。


「プルトニウムの現時点での利用に反対する意見です。プルサーマルにも、再処
理にも反対しています。現行の原発は必要だとしていますが、いわゆるワンス・
スルー(使用済み核燃料を再処理せずに保管管理する)を当面選択すべきだとい
うことです。プルサーマルは一回再処理プルトニウムを回すだけで、たいして経
済的メリットがない、というか、経済的に判断すればマイナス、と考えています。
桜井は、そのあたり何度か話しましたが、あまりピリッとした意見を聞きません
でした。」

桜井先生はプルサーマルを採用することでコストが高くなるが、電力会社はコス
トを吸収できずに、結局は消費者に転嫁することになるとブログに書かれていま
した。アクエリアン先生からの話しなのかもしれません。政府がプルサーマルに
こだわるのは、日本にプルトニウムがあることをアメリカが許さないからだとい
うことでした。

自分が気にかかっているのは、最も信頼すべき「安全の専門家」である原子力安
全委員会は事故に対して責任を持つことができるのだろうかということです。自
治体は原子力安全委員会を信頼するのが正しいというか、信頼するしかないと思
うのです。しかし一方的に信頼された原子力安全委員会は困るのではないでしょ
うか。もし重大な事故が起きたとしても、委員の人達に責任があるとは言えない
と思うのです。アクエリアン先生のお考えはいかがでしょうか。
三苫拝

投稿: 三苫 | 2007/02/06 01:01

1)「現実にこんなことが可能なのか、疑問」。では、どのように考えておられるのか、三苫さんのお考えを書いてみてください。「絶対に」ということはないです。「同じような事故ができる限り起きないように」事故から学んでいく。そこで安全の専門家の分析が大事です。
2)現状ではアメリカは日本にプルトニウムがあること、使うことを容認しています。平和利用に徹する限り、日本独自で路線を選んでいいのです。私は、プルトニウムを持ってしまったので、どうしよう、と考えるより、プルトニウムを持たない、つくらない。そのほうがいい、と考えています。
3)原子力安全委員会の権限も責任も限られたものです。事故に対しての直接の責任はありません。先ずは事業者の責任です。次に設置を許可した経産省と保安院の責任です。もし二次審査、「安全指針」に重要な見落としがあり、それゆえに事故が起きたとすれば、その場合は委員会に責任ありということになるでしょう。

投稿: アク | 2007/02/06 07:50

アクエリアン先生 こんばんは
三苫です。

お返事をいただきありがとうございます。

大規模な被害をもたらす事故の場合は「「同じような事故ができる限り起きないように」事故から学んでいく」ということはできないのではないでしょうか。原子力事故あるいは新幹線事故のように巨大な人的な被害が予想される場合は許されないことのように思います。安全の専門家が「できる限り」と言うことは、今まで起きなかった種類の事故についても対策を提言することが、これからの社会からは求められてしまうように思うのです。
「原子力安全委員会の権限も責任も限られたものです。事故に対しての直接の責任はありません。」自分もアクエリアン先生のお言葉どおりだと思います。もし重大な原子力事故が起きたとしても、現在の委員会に責任を求めることは適当でないだろうと思います。
「今まで起きなかった種類の事故」や「現場の作業の手順の誤りによる事故」などは、現在の安全の専門家は責任をとらないと思います。
日本沈没の作者の小松左京氏は作中で高速道路の橋梁を倒壊させて、土木工学の権威の方から、橋梁が倒れることはありえないと叱られたそうです。神戸の大震災では、工事ミスにより倒れたそうですが、これも責任は感じることはなかったと思います。

「現状ではアメリカは日本にプルトニウムがあること、使うことを容認しています。平和利用に徹する限り、日本独自で路線を選んでいいのです。」
そうするとプルサーマルを導入する理由が分からないのです。コストが高くなるということは確かなことのようです。アメリカが平和利用を容認するようになったとすれば、プルサーマルという選択はありえないはずなのですが・・・ 理由が分かりません。アクエリアン先生はご存知ではないでしょうか。

「私は、プルトニウムを持ってしまったので、どうしよう、と考えるより、プルトニウムを持たない、つくらない。そのほうがいい、と考えています。」
先生は原子力発電には否定的なお考えなのでしょうか。風力発電に期待されているようですが、自分にはよく分かりません。原子力が当初期待されていたよりもはるかに経済性が低いことは聞いたことがあります。
                            三苫拝

投稿: 三苫 | 2007/02/07 00:42

三苫様
私の個人的な意見を申し上げます。

私が桜井に対して憤りを感じているのは、複数の視点からです。

1)事故で知人を失った(と思しき)者として。たとえ不可能でも「事故は二度と起こさない」という言葉が欲しい心情を踏みにじり、「車両が鋼鉄製なら死者は半分で済んでいた」などと、今後の事故やそれによる死者の発生を許容するかの様な発言を行ったこと。

2)いちエンジニアとして。上記のような発言とともに「エンジニアは安全がわかってない」などと発言し、まるでエンジニアが安全を無視しているかのような侮辱的発言を行ったこと。

3)鉄道マニアとして、またブログに書き込んだいち読者として、少し調べればわかるような間違いを平気で記述すること。そして、それを間違いと指摘した書き込みを消去し、あたかも自身の知識であったかのように振舞い、それを指摘した人を「荒らし」「犯罪者」呼ばわりしたこと。

特に(1)です。私もエンジニア。事故を0にできないことなどわかっています。それならそれで、死んだ人間の命を無駄にして欲しくない。なぜ事故が起きたのかを解明し、まったく同じ事故は2度と繰り返して欲しくない。
事故を0にできないことが明らかであっても、エンジニアは日々、0に近づける努力を怠ってはいません。また、怠って欲しくはないのです。だからこそ、事故や死者を容認するような桜井の発言を許せないのです。

感情的な私怨に塗れた意見かも知れませんが、これが、私の意見です。

投稿: LACHESMAN | 2007/02/07 18:50

三苫さん

>大規模な被害をもたらす事故の場合は「「同じような事故ができる限り起きないように」事故から学んでいく」ということはできないのではないでしょうか。原子力事故あるいは新幹線事故のように巨大な人的な被害が予想される場合は許されないことのように思います。安全の専門家が「できる限り」と言うことは、今まで起きなかった種類の事故についても対策を提言することが、これからの社会からは求められてしまうように思うのです。

この部分は、意味がよくつかめません。何度も読んでみましたが、三つの文章の意味を一貫して理解でませんでした。その上で断片的に書いてみますと、
1)事故は、ときには、想定もできなかったような原因で起き、起きたあとはじめて人々は、こんなことが起きることもあるのかと気づく。そんなことがあること。
2)それを事故以前に見抜くのが安全の専門家の役割かどうか。そういう場合もあるだろうし、見抜いても、そんなことはあり得ないと無視される場合もあるでしょう。
3)安全の専門家にそれだけの先見性を求めるのか、どうか。これが危ない、あれが危ないと警鐘を鳴らすことは比較的容易です。もし予見したような事故が起きれば、それみたことか、私はそれを指摘していた、ということでしょう。しかし技術の現場は、技術の合理性と経済性の制約の中で、安全を「安全の専門家」よりリアリティのあるものとして追及していると見える面もあります。
4)リスクを絶対的なゼロにはできないわけで、社会がどの程度のリスクを受け容れるか、経験に学びながら、技術は前進していくのでしょう。

あとの方で、「原子力発電に否定的」と書かれたことは、私の2/5に私が書いたコメントを読んでいただけば、否定的でないことは分かっていただけると思いますが。風力は新エネルギーとして、ある程度は必要だと思いますが、今後とも電力の1/3程度を原子力がになう状態は当然続くと考えています。

投稿: アク | 2007/02/07 23:27

LACHESMAN 様 こんばんは
三苫です。

>事故を0にできないことが明らかであっても、エンジニアは日々、0に近づける
>努力を怠ってはいません。また、怠って欲しくはないのです。だからこそ、事
>故や死者を容認するような桜井の発言を許せないのです。

すみません これはLACHESMAN様のかんちがいだと思います。
ブログでは桜井先生は逆のことを言っていたと思います。
確か、技術者は冷酷だから事故や死者を容認するけれど、
自分は認めないということだったと思います。
正直なところ無茶なことを仰っていると思っていました。
でも凄いことを言っているとも思いました。
ここまで責任を持とうとするとは驚きでした。
委員会とは正反対です。
                      三苫拝

投稿: 三苫 | 2007/02/08 20:51

アクエリアン先生 LACHESMANさん こんばんは
三苫です。

つきあっていただきありがとうございます。

>この部分は、意味がよくつかめません。

原発事故や新幹線事故のように巨大な被害が予想されるケースでは、「事故と
いう実験」は許されなくなるだろうということです。少なくとも住民や乗客に
は「実験」であることを理解してもらう必要がありますが、現状では自分には
自信がありません。
LACHESMAN様が怒りを感じる最大の理由は、
「今後の事故やそれによる死者の発生を許容するかの様な発言を行ったこと。」
なのだそうです。


>しかし技術の現場は、技術の合理性と経済性の制約の中で、安全を「安全の
>専門家」よりリアリティのあるものとして追及していると見える面もありま
>す。

「技術の合理性と経済性の制約」は誰が判断しているのでしょうか。学会、
安全委員会、企業、役所などがあるのだろうと思いますが、どのように
機能しているかは自分には見えていません。

>これが危ない、あれが危ないと警鐘を鳴らすことは比較的容易です。もし予見
>したような事故が起きれば、それみたことか、私はそれを指摘していた、とい
>うことでしょう。

このことを防ぐためには「技術の合理性と経済性の制約」が、誰にでも見える
仕組みが欲しいところです。桜井先生は身の程知らずに仕組みを作ろうとして
いるのかもしれません。

>リスクを絶対的なゼロにはできないわけで、社会がどの程度のリスクを受け容
>れるか、経験に学びながら、技術は前進していくのでしょう。

技術の歴史はアクエリアン先生が仰っているように進んできたのだと思います。
けれども今までのやり方では、もう間に合わなくなっているんじゃないかという
疑いを自分は持っています。

>あとの方で、「原子力発電に否定的」と書かれたことは、私の2/5に私が書い
>たコメントを読んでいただけば、否定的でないことは分かっていただけると思
>いますが。風力は新エネルギーとして、ある程度は必要だと思いますが、今後
>とも電力の1/3程度を原子力がになう状態は当然続くと考えています。

すみません。読み損なっていました。プルトニウムをつくらないというのは、
再処理をしないという意味だったのですね。軽水炉使用済み燃料はそのまま
保管するほうがコストがかからない。また、原爆をつくろうという意思が
無ければ、アメリカはどちらにしても反対はしないということですね。
プルサーマル導入の理由を調べているのですが、行き詰ってしまいました。
電気事業連合会の「プルサーマルの必要性」です。
http://www.fepc-atomic.jp/nuclear/cycle/pluthermal/002.html

「プルトニウム利用の社会的な合意形成および基盤整備のために、プルサー
マルは、現時点で最も確実なプルトニウムの利用方法といえます。」

文章の意味が自分にはさっぱり分かりません。アクエリアン先生には理解
できるでしょうか。
                           三苫拝

投稿: 三苫 | 2007/02/08 20:53

アクエリアン先生、三苫さま。初めまして。
長らく桜井氏のいう「あのサイトや掲示板」で活動してきた、SunnySideなる者です。

> すみません これはLACHESMAN様のかんちがいだと思います。
> ブログでは桜井先生は逆のことを言っていたと思います。

 揚げ足取りになりますが、桜井氏はこのような発言をしております。
==
JR福知山線脱線:車両ひしゃげ、体が吹っ飛んだ(その2止) 加速優れた軽量車両
2005.04.25 毎日新聞東京夕刊より

◇「新幹線『安全神話』が壊れる日」(講談社)などの著作のある技術評論家、桜井淳さんの話

事故車両が鉄製車両に比べ強度の劣るステンレス製でなければ、車両がマンションにめりこむようなことはなかったのではないか。死傷者も鉄製車両なら半分で済んだと思う。(略)
==

> 確か、技術者は冷酷だから事故や死者を容認するけれど、
> 自分は認めないということだったと思います。
> 正直なところ無茶なことを仰っていると思っていました。
> でも凄いことを言っているとも思いました。

 残念ながら、死者が出ると煽りをいれて脅すというのが桜井氏の論法で、それについてはあのサイトや掲示板」で徹底的に吊し切りにしました。

 また、桜井氏は美浜の原発復水配管破裂事故に際して、原子力安全基盤機構の石川廸夫氏を罵詈雑言の限りを尽くしてこき下ろした挙げ句、
==
言っておくが、拙著『原発の「老朽化対策」は十分か』(日刊工業新聞社、1990年)は、事故のたびごとに価値を増し、光り輝いている。私が責任を取らなければならないことは永久に来ないだろう。
==
と、かつて桜井氏が桜井氏自身のサイトに記しておりました。

 これが私が、桜井氏批判論者になった原因となったコメントでした。

 私も、アク先生の仰る、
> 3)安全の専門家にそれだけの先見性を求めるのか、どうか。
に賛同するものです。

投稿: SunnySide | 2007/02/08 22:08

三苫様

>ブログでは桜井先生は逆のことを言っていたと思います
桜井は「鋼鉄製の古い車両なら死者は半分で済んだ」と明言しています。
(もっとも、その根拠ですら曖昧にし、そんな車両がマンションにぶつかったらマンション自体が倒壊し、より死者が増える可能性があるのでは?という私の指摘を「荒らし」「犯罪者」「妨害」扱いしていました。それはまた別の話ですが…)

>自分は認めないということだったと思います。
揚げ足取りのようになってしまい恐縮ですが、
「飛行機がテロで原発に突っ込む確率は1000万分の1以下で、これは社会的に許容されるリスク」とブログに書いていました。認めないのではなく、確率で許容できるものと、そうでないものを区別するような書き方でした。
その上で、尼崎事故のような、鉄道車両が側面から構造物に衝突する事故の発生確率やその算定基準を一切示すことなく、「鉄道エンジニアは側面衝突を最初から許容した設計をしているが、私は認められない」と発言しています。

責任を持とうとするのなら「車両に衝撃緩和構造を設ければいい」などとお気楽なことを言うだけでなく、実際にそのような構造を構想図面でも手書きのメモ図面でもいいから示すべきではないでしょうか。自分のアタマの中で完結させ他人に基準を示さず、その上で他を罵倒することは、「責任」という観点から最も離れた行為だと考えます。
エンジニアを無能呼ばわりする前に、マトモな評論家として責任を持とうとするのなら、やるべきことがあるのではないか、と感じるのです。
(ですから私は、世の中にいる「評論家」の類はほとんど信用していません)

私自身、「事故は0にはできない」という現実と「ウソでいいから『事故0にする』という言葉が欲しい」という理想、矛盾した2つの中で暮らしています。自分が支離滅裂になっているとも感じます。また、ブログ記事内容と外れた議論を続けていくことを心苦しく感じるので(しかも私のブログではないので)、一度引かせていただきます。

投稿: LACHESMAN | 2007/02/09 08:45

アクエリアンさん、こんばんは。みなさま、はじめまして。
 当方、桜井淳について、ある考古学の掲示板で触れましたところ、それらしい所から、奇妙な書き込みがありました。PPP111.ibaraki-ip.dti.ne.jpは、もしかして、桜井淳のIPアドレスでしょうか。どなたかご存知の方、いらっしゃいましたら、お知らせ下さい。

考古学報告書出版社経営の角張さんの掲示板
http://www3.realint.com/cgi-bin/tbbs.cgi?koukogakuiken
投稿者---y(2007/01/31 07:13:57) PPP111.ibaraki-ip.dti.ne.jp
「明けましておめでとうございます」のスレッド内にある、yによる書き込みがそれです。

投稿: 桜井淳のIPアドレスについて。YUZOU | 2007/02/10 02:04

こんばんは。流れを絶ち切る形で申し訳ありませんが、私の意見を少々述べさせていただきます。

桜井氏の鉄道に関する評論を拝読しておりますと、細かい欠点をあげつらうのは得意でも、大きなシステムとしての鉄道の全体像をとらえきってないな、という思いを持ちます。たとえば車両にかなりな強度を持たせて少しでも安全な生存空間を・・・という趣旨の意見がありましたが、それを通常の旅客車で行うと莫大なコスト増大になります。車両の製造費用だけではなく、軌道や構造物の重量負担が増え、その改造費用だけでもJR各社や大手私鉄でも経営危機に瀕するでしょう。もっとも車両に強度を持たせた例がないわけではありません。JR貨物の機関車「EF200」がそうで、機器類の軽量化によってできた余裕を車体強化に振り向けたとのことです。これは踏切事故対策もあるようで、電車が前面強化改造を行ったりするのと同じですね。

車体の強度ではとても安全は守れないとなれば、そこでシステムの発想です。衝突や脱線を起こさないように万全のバックアップシステムを地上や車上に設置することで、人間のミスを機械がバックアップする、そういう仕組みを構築すればいいわけです。実際に高度なATSを使っている大手私鉄では大きな事故はほとんど起きませんね。

福知山線事故のケースで最も問題だったのはここで、人間がミスをした場合に機械がバックアップする、その機械が故障したならば列車そのものを動かなくする、そういう仕組みができていなかったからああいう惨事を招いたと思うのですね。大手私鉄ではカーブでの制限速度ですらATSによるバックアップが働いている(制限速度を上回れば自動的に減速する)というシステムを構築している会社すらあるのに、JRはそのシステムの構築を怠ってきた、それが大きな原因のひとつでしょう。もちろん運転業務に携わる人間の教育が不十分だったところも当然責められなければなりません。

完璧な安全システムが構築不可能なのは鉄道に関わる人間なら承知の上でしょう。だからこそ、人間と機械がひとつの系を形作るシステムが必要になってくるわけです。ここを桜井氏は勘違いをしているのではないでしょうか。彼の論理だと航空機に墜落に備えてパラシュートをつけろといっているようなものです。

桜井氏の論は「木を見て森を見ず」のような気がしてならないのです。

投稿: number8 | 2007/02/10 03:32

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