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2007/02/01

72歳になった

 72歳になった。朝食の食卓に妻からの誕生日カードが添えられ「元気おじさん、カンパーイ」と書いてあった。二つ折りを開くと、ビールのジョッキが跳びだしてくるカードだ。このところ妻は私のことを「元気おじさん」と呼ぶ。ここ2,3年、体力面の差が目立ってきて、「あなたは、ほんと元気ねぇ」と感心することが度重なるうちに、私のことをそう呼ぶようになった。体力もさることながら、食べること、飲むことに衰えがほとんどなく、毎日三食をきちんとした時間に食べたいという私を、いささか辟易気味にそう茶化すのだ。

 毎年、誕生日を迎えるごとに、ブログに書き込んでいる。昨年分『近況を少々』(06/2/7)には「こんな年齢になったことについて、格別の感想はない。70になったときに、おや、オレももう70代か、と思ったが、71ともなると、70代が、どかっと居座った感じがする。」と書いている。VAIOのノートパソコンが死んで、MacのiBookを購入、生活が変わったことなどが近況として記されている。あれからもう一年なんだ。ほかに「ウィトゲンシュタインからレヴィナスへ」などと読書の目標をかかげているが、こちらはその後まったくはかどらず、寄り道をしている。ローティを経て、最近はパトナムを読んでいる。

 2年前のは『70歳になった』(05/2/1)。「遺言ノート」を買ったことや、同じ世代の昭和9、10年生まれの人のことを書いている。1934年生まれに、美智子皇后、田原総一郎、山田太一、井上ひさし、石原裕次郎らが、1935年生まれに、大江健三郎、小沢征爾、柴田翔、畑正憲、久世光彦、筑紫哲也、堺屋太一、蜷川幸雄などがいる。石原裕次郎はとっくになくなった。去年は久世光彦が亡くなった。しかし未だ現役で活躍している人々も多い。このエントリの中で、

 「能力は確実に落ちている。集中力が足りなくなった。あれもこれもと並行してことを進めることには無理があり、一つのことだけしかできなくなった。それだのにあれもこれもやりたい気持ちは捨てきれずにいる。いや、今でも新しい知識分野や問題に手を出してみたくなる。むしろ何を諦めていくかを真剣に考えなければならない時がきていると自覚する。それを一つ一つ哀惜の念をもって切っていくのが、70代なのだろう」

と書いているが、老化傾向はますます進行し、さりとて諦めはつかず、おなじ思いでいる。

 72歳とはどんな年齢か。そんなことを考えるのに参考になるのは山田風太郎の『人間臨終図巻』(初刊:1986)である。これはとても面白い本で、「○○歳で死んだ人」という分類で、年齢順に、歴史上の著名人を取り上げ、その死に方を書いている。「十代で死んだ人々」の八百屋お七から始まって、「百代で死んだ人々」の泉重千代まで、約900人を並べ、厚手の文庫3冊本である。自分の年齢で、誰がどのような死に方をしているかを知るのも、自分の年齢を意識するのに役立つ。もっとも最近は寿命が延び、そのわりに未熟であるから、俗にいう七掛けぐらいした方がいいかもしれない。となると、私は今年やっと50歳というところだ。その年で死んでいる岡倉天心、秋山真之などの名をみると、明治時代人の50歳が相応である。

 「72歳で死んだ人々」の項目は、第2巻の最後にあって、孔子、西行、光圀、榎本武揚、田中正造、柳宗悦など、25人が並んでいる。外国人としてはジャン・ギャバンやジョン・ウェインらがいる。破天荒な人生を生きたユトリロも72まで生きている。孔子の項は有名な『論語』のことばを引いて終わっている。

  いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん。

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コメント

お誕生日、おめでとうございます。最後に引用されている孔子さまの言葉に感動しました。まだまだ死ぬわけにはいけません。

投稿: 余丁町散人 | 2007/02/01 18:35

誕生日おめでとうございます。
歳の七掛けでの計算だと、私はまだ20代ということですね。
いつまでも元気でいてください。

投稿: Shinji | 2007/02/01 19:33

余丁町散人さん

ごぶさたしています。早速のご挨拶、痛み入ります。散人さんは「まだまだ」、私は「そろそろ」、備えが必要というところです。

投稿: アク | 2007/02/01 19:50

Shinjiさん

挨拶ありがとう。七掛けでも、身を固めていていい年でしょう。今回の「入院」で心境の変化なきや。「元気おじさん」の奥さんは期待しているようです。

投稿: アク | 2007/02/01 19:54

お元気なアクさんに元気の素を頂いています。
これからも折に触れていろいろなお話しを教えてください。

まだ0時前、なんとか間に合ったようです・・・
では。

投稿: kazu | 2007/02/01 23:38

お誕生日おめでとうございます。貴兄の体力、気力、行動力は衰えを知らないようですね。ますますお元気でお活躍されることをお祈りします。

投稿: 松本進作 | 2007/02/02 05:09

アクさん、お誕生日おめでとうございます。
人間臨終図鑑、私も昔読んだことがあります。ご紹介のご本に関連して?! 更なるご長寿をお祈り申し上げ、以下のHPをご紹介いたします。(イヤミととられないことを切に祈りつつ…)
“巡礼足掛け20年、執筆7年がかりのついに全コーナー完成とは?!”鬼神の集大成ここにあり!
http://kajipon.sakura.ne.jp/haka/haka700.htm

投稿: 梅吉 | 2007/02/02 08:03

kazu さん
松本進作 先生
梅吉さん

 誕生日おめでとうのメッセージ、ありがとうございます。

 こんなブログを書いて「おめでとう」の書き込みを求めているようで、まずかったかと、反省です。誕生日はひとりひそかににすべきでした。

梅吉さんご紹介のHP、奇特な人がいるものですね。永井荷風は「掃墓」の趣味がありましたが、対象は限定されていました。この人は全方位ですね。

投稿: アク | 2007/02/02 09:48

お誕生日おめでとうございます。
山田氏は、一応小生の先輩なのですが、あまりに作品数が膨大であるので、ほとんど読んだことがありません。
そうそう、ご自分の誕生日のプレゼントにS5Proはいかがでしょうか?ぜひ、ご検討ください。アクさんの写真ライフにきっと役立つと思います。(検討されたいときは小生が使わないときはいつでもお貸しします。)

投稿: drhasu | 2007/02/03 00:29

drhasu、気前のいいドクターが、S5Pro をプレゼントしてくださるのかと思いました。いまはライカM8をご愛用中ゆえ、S5Pro は用はないと。
そう、考えてみれば、フジS2Proの数少ない愛用者仲間でしたね。ドクターが当然のように乗り換えたS3Proを見送り、そしてもちろんのこと今回のS5Pro は遠い存在でした。重い、高価、やはりニコン、・・・。でも、中身のフィルム相当物は、さすがフジという面があるようですね。一度借り出して、撮影行をしてみるかな。そのときはよろしく。

投稿: アク | 2007/02/03 11:55

遅れ馳せながら、お誕生日のお祝いを申し上げます。
社会人歴3年の私は「生を知らず」どころか、自分すらもよく分かっておらず、社会知らずな人間であり、その心境に達するまでにこれからどれだけの時間が掛かるのだろうか・・・と思ったりします。

投稿: LACHESMAN | 2007/02/03 12:25

重い:S3proよりは改善されていると思います。縦位置シャッター廃止で小さくなりました。
高価:海外旅行1回分よりは安いでしょう。
ニコン:レンズ沢山ありますよね。(落としたレンズは光軸をしっかり調整しましょう)

投稿: drhasu | 2007/02/10 22:59

あ、すみません。理学博士のアクさんですので、根拠を書いておかないといけませんね。
S3Pro:(幅)147.8mm×(高さ)135.3mm×(奥行き)80.0mm (レンズ、突起部含まず)約815g(レンズ、電池、記録メディア含まず)
S5Pro:W 147.0mm×H 113.0mm×D 74.0mm(レンズ、突起部含まず)約830g(レンズ、バッテリー、記録メディア含まず)

投稿: drhasu | 2007/02/10 23:06

参考までに、
S2Pro:141.5mm(幅)×131.0mm(高さ)×79.5mm(奥行)(レンズ突起部含まず) 約760g(ボディーのみ、電池を除く)

投稿: drhasu | 2007/02/10 23:08

自分でアップしていた気がついたのですが、S5はS3より小さいにもかかわらず重量がアップしていますね。ただし、S3は単3を4本使用するのに対してS5はリチウム充電池1個ですので実際の重量は軽くなるかもしれません。(実測していません)以上、追加発言です。

投稿: drhasu | 2007/02/10 23:10

アクさん、こんにちは。
つい「慶祝」繋がりで、このような詩をトラックバックしてしまいましたが…よくよく考えてみると、ご宗旨が!(焦)。どうしたものでしょう。アクさんversionに書き換えなければなりませんね…

投稿: 梅吉 | 2007/02/11 12:09

drhasu,

あらためて S5Pro をおすすめいただき、ありがとうございます。ますます魅力的になりました。よろしくおねがいします。

ただし、重さに関しては、S5Pro はニコンD200をベースにしているだけに、大きさ、重さとも全く同じですね。現在常用している D80 は585g。この 250g の差が、70歳超の老人にとっては、とても重く感じられるのです。

落としたレンズ? ああ、12-24mmをカメラごと落下実験しちゃったことをお話ししたのでしたね。レンズの前端は麻生太郎大臣のお口のようなおもむきですが、その作り出す像は、ハンカチ王子のようにさわやかでして、今のところ問題はないと自己診断しています。

投稿: アク | 2007/02/11 21:29

梅吉さん

トラックバックをいただき、ありがとうございます(二つ来たのは何かの間違いでしょうか)。このところの「木曜日の女」さん、天高く舞い、妙なる音を奏でている風で、俗物には近づきがたい趣がありますが、楽しませてもらっています。

宗旨? 私は細部を知らず、こだわらず、という立場です。

投稿: アク | 2007/02/11 21:49

アクさん、おはようございます。
はい、間違いでございます。後で、修正をしましたので、実はもう一度修正しましたので、何度もそちらに行ってしまったかもしれません。よろしくご処理下さいませ。
>このところの「木曜日の女」さん、天高く舞い…
なんと!私の中の荒ぶる鬼どものダンスや歌を、そのように、昇華して仰って下さるとは、感激でございます。
>楽しませてもらっています。
それは何よりのお言葉!アクさんは仙人のようなお方ですので、天界から見守って頂きましたら、心強い限りでございます。
>宗旨? 私は細部を知らず、こだわらず、という立場です。
キリスト教では?
いつぞやの「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」に繋がるものをふと感じました。
やはり男性が辿着かれる達観でしょうか。女の場合は、細部も全体も知り尽したいという、強いこだわりが、欲となって、年々歳々押し寄せてくるような気がいたします。

投稿: 梅吉 | 2007/02/12 08:38

梅吉さん

仏教者の梅吉さんには、釈迦に説法ですが、「般若心経」の「無智亦無得」以下数行の心境に達したいものだ、これは宗旨如何を問わぬものごとのとらえ方だと、最近感じています。

黒崎宏「理性の限界内の『般若心経』ーウィトゲンシュタインの視点から」(春秋社)を最近読みながら考えたことでした。この本自体は、「般若心経」の広がりをせばめた解釈で、感心しませんでした。

投稿: アク | 2007/02/12 11:55

アクさん、おはようございます。
>釈迦に説法
いえいや、“門前の小僧”でございます(笑)
>「般若心経」の「無智亦無得」以下数行の心境に達したいものだ
ぜひお極めになられて、私にもお教え下さいませ。
私も同じく「一心欲見仏・不自惜身命」の悟を開きたくて、修行をしております♪
 “習わぬ経”(俗人ですので)ですが…
 釈迦の弟子「須利槃特」は、自分の名前も忘れる程の記憶力が全くないお弟子で、(多分、脳の海馬がダメージを受けて、新しい事が記憶できずに、上手く機能していなかったんでしょうね。)当然、周りからはバカにされていました。釈尊は一言「口に嘘を言わず、心に留めて、身に過ちを犯さずに、それらを修行すれば、生死の苦しみから逃れる事ができるだろうと…「守口摂意身莫犯・如是行者得度世」の一偈を授けたのですが…愚鈍な須利槃特は、三年経っても、十四字すら覚られず、益々周りのお弟子からは馬鹿にされる始末。それでも、釈尊は粘って、その意味を、噛み砕いて、丁度、子供に食物を与える母がごとく(私はこの場面が泣けます。)聞かせたと言われています。
 母性の愛に触れて(仏は父性も母性も具えていますので:慈・悲)、須利槃特は心を動かされて、「信じよう」という気持ちになり、その恩に一生懸命報いようとして、遂には、何と奇跡が! そのたった一偈で悟を開くことができたという話です。
昔、養老猛司さんが出ていた「脳と心」というNHKの番組がありましたが、冒頭で、イギリスのケンブリッジ大学生で弁護士を目指していたジェルミー君(確か首席の秀才だったような)が、海馬に腫瘍が出来て、摘出されてしまい、新しい記憶が全くできなくなったという症例を紹介していました。彼は不屈の精神で、自分の記憶力低下に真っ向から闘んですよね。(泣けます。)予定を全て、記録して、タイマーで、自分に知らせるように設定したり。その苦悩は察して余りあるものがあります。でも、病気に罹る前の記憶だけは、脳の至る所に分散されて、丁度、星座の如く、ストックされているので、刺激を受ければ、想い出すことができるとのこと。(これも感動しました)人間の脳ってスゴイですよね。そればかりか、繰り返し、繰り返し、反復すれば、脳の機能がcatchupして、職人などの技術は、海馬を通さなくても、記憶されるらしいのです。
 そして、ジェルミー君の新たな人生が始まった。イス職人になるべく修行をしはじめたというお話です。私が感動したのは、彼がイス職人になることを選んだことです。イスとは、机に向って仕事をする人(whitecolor)を支える道具ですよね。その道具を幾つも作ることにより、(言わば、供養の精神に繋がります。)自分もまた、昔の自分に戻るんだっという決意と希望のようなものを感じて、泣けました。人間ってスゴイなと。多分、心の奥深いところの作用により、自然とそういう希望や結論を導き出しているんではないかと…
 仏教では、病気の個所と宿業と密接に関係していまして。これを因縁といいますが、須利槃特が、釈尊によると、過去世に、世界一の秀才を誇っていたらしいのですが、人を大変馬鹿にした宿業により、生まれ変わって、釈尊の在世では、自分の名前すら覚えられず、今度は、人からさんざん馬鹿にされるハメになったと言われています。つまり人を馬鹿にするという「因」を積むと、人から馬鹿にされるという「果」として、生まれた時に脳に支障をきたし、記憶ができないという「報」を「受」けて、人に馬鹿にされるという“心のメカニズ厶”を、釈尊は、仏教の中で、お説きになられたかったのではないかと思います。

>この本自体は、「般若心経」の広がりをせばめた解釈
 そのご本を拝見していませんので、何とも申し上げられませんが、仏法では、広がらない解釈は、その人の“心”に原因があると説いております。何か、その広がりを遮断してしまっている、「考え方」が、自然な流れをストップさせているのでしょうね。その人なりの「考え方の癖」ともいうべきものでしょうか。私もかなりの癖があります(笑)。別名、「偏見。邪見。見取見…」いろいろな種類がありますので、「唯識」などに関心がおありでしたら、そちらを当たられると、その方の、広がりを遮断している「○見」が見つけられるかもしれませんね。

ご参考までに:
太田久紀氏の「凡夫が凡夫に呼びかける唯識」は、私は宗派が違うので、多少解釈に違はありますが、基本の部分は一緒ですので、判りやすくお纏めになられて、入門書としては、最適かと存じます。

…“門前の小僧”の長っぱなしでございました。

投稿: 梅吉 | 2007/02/13 10:41

梅吉さん

沢山書いてくださったものを読みました。ありがとうございました。脳のことなど多方面に興味を拡げておられるのですね。また、何か考えがまとまったら、書きましょう。

投稿: アク | 2007/02/13 20:16

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