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2007/02/12

バスターミナルでの会話

 「ご夫婦ですか」。バス・ターミナルの待合いベンチに座ってまもなく、となりの女性から声がかかった。「え?、私ら夫婦ですよ。もちろん」。ピンクのセーターを着た、丸顔の熟年の女性がニコニコ微笑んでいる。「さっきから、うかがっていると、とてもお仲が良くていらっしゃるようで」と言葉をつなぐ。「夫婦でないとすれば、愛人とかいうことになるじゃないですか」と、こちらはちょっと意地悪く言葉を返す。「いや、趣味の友達とか、そういうお仲間かとも思ったのです」。どうやら、私らの言葉のやりとりが、ポンポンと弾んでいて、からかい合っている友達同士のように聞こえたらしい。

 何を話していたか思い出してみると、バスターミナル隣のコンビニで買った弁当を、妻が「私が持つ?」「いや別々に」と私は自分のリュックに収めた。その時のやりとりだろう。「柿ビーも、こちらにちょうだい」、「え?」、「出がけに荷物に入れたでしょ。だから、さっきコンビニでつまみ買わなかったんだ、今日は」、「何だ、見てたの。あとで恩を売ろうと思っていたのに」、「黙って、ははん、と見てた。ミニ羊羹も入れてた」、「こっそり持ってきたつもりなのに、失敗。あんた抜け目ないね」。いつもの口舌バトルである。

 東京からの帰りは、新宿発・水戸駅南口行きの高速バスを使う。水戸自宅の近くにバス停があり、とても便利だ。新宿駅新南口の下にあるバスターミナルから出る。東京駅を経由して、首都高へ乗ったころ、早い昼飯時になる。500mlの缶ビールを開け、つまみを口にしながら、ちびちび飲む。その間、新聞をていねいに読む。最後はコンビニ弁当。ご飯は半分ほど残す。これで、2時間余りのバス乗車はじつに楽しい時間となる。

 バス乗車を待つ間のうきうきした気分での会話が、となりの女性の興味を惹いたらしい。小さな犬を入れたケージを片手に、ショッピングバックをもう片方に、そして大きなリュックサックがそばに置いてある。「いいですね。うちの主人は無口な方だものですから、お二人の呼吸のあったお話ぶりを、うらやましいなと、うかがっていたんですよ」。そのあと、こちらが問いもしなかったが、自分たちのことを話し始めた。自営業をやってきたが、最近やめた(閉めたのか、代替わりしたのかは聞きそびれた)。引退後の居所を千葉の鴨川に移し、ご主人は畑を借りて農作業を楽しんでいる。最近バイオリンも習い始めた。奥さんは、草津温泉にアトリエを持ち、編み物そのほか手芸をそこで楽しんでいる。出かけるといつも十日ぐらい、ひとり暮らしをしてくる。自営業でずっと一緒だったから、別々に暮らしたり、また一緒になったりと変化を楽しんでいる。それを話す女性の表情は、リタイアしたあと変化した生活を精一杯楽しんでいるように見えた。ご主人はお一人で食事の面倒など見られるのですかと問うと、「うちは主人の方が、料理上手なんです。毎朝私が起きた時には、朝食がちゃんと整えられているんですよ。なまじ私が手を出そうとすると『だめ、手を出すとかえってまずくなる』と叱られるんです。だからひとりで放っておいても、心配ないんです」。当方の妻はこれをきいて「うらやましい。うちは一切しないんですよ」と。私は「料理はいったん手出しをすると、きっと凝るだろうし、そうなると、時間をとられてやりたいことができなくなるから」と対抗する。こちらも、それぞれの趣味で生きていること、水戸と東京をいったり来たりの生活であることなどを話す。

 この女性の乗る草津温泉直行バスの発車時間となる。「またお会いしたいなあ。また会えるかしら。そんなことはないでしょうね。お話しできて、とてもうれしかった」と言い残して、大きなリュックを背負い、犬ケージを手に、バスに向かっていった。千葉の鴨川と草津温泉。ずいぶん長い移動距離だ。私らよりだいぶ若い世代のようだが、同じ退職者。退職後の夫婦のあり方にも、いろいろあるものだと興味深かった。それにしても、こちらの変なやりとりがきっかけで、思わず話し込んだことだった。

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コメント

初めまして、ミークリです。日本語版Wikipediaには項目の無い「クローニン」の小説が日本でどの程度読まれているのか、検索していて、こちらに来ました。クローニンは、何十年も前に英語の問題集で小説の一部が時々出てきたのと、翻案されたメロドラマの記憶で、気が進まなかったのですが、老婦人から薦められて拝借した「城砦」を読まないまま足掛け3年になったのを機に読み始めましたら、英国の20世紀初期の英国医療制度がわかって面白く一気に読み終えました。
私は、機械関係の特許明細書翻訳が本業ですが、環境カウンセラー関連の仕事の方が多い現状です。
荒井献さんや田川建三さんの本を愛読した全共闘世代ですが、1969年夏に高尾先生のお宅で猫のファリーヌがピアノの鍵盤の上を歩いていたのを思い出しました。9.11報復戦争以後教会を離れましたが、懐かしい名前が散見され、コメントを書きました。
興味のある記事が色々あり、ゆっくり読ませていただきます。

投稿: Miekli | 2007/02/14 14:07

Miekli さん

クローニンの検索からいらっしゃって、高尾利数先生の名が出てくるとは不思議なご縁です。高尾先生が茨城にいらっしゃるころ、一緒に集会をしたり、お宅におじゃましたりしました。Miekliさんが訪ねた1969年、ご自宅は名古屋でしたか。ピアノの鍵盤の上を猫が歩くシーンなど、いかにも高尾家らしいです。最近著書などを見ることが少なくなり、心配していたのですが、今年は年賀の挨拶をいただき、会いたいですね、とありました。

投稿: アク | 2007/02/14 14:40

アク様:
高尾先生のお宅を訪ねたのはアポロの月面着陸の数日後で、確か登戸の集合住宅にお住まいであったように思います。名古屋学院から関東学院に移られた直後かも知れません。お伺いした日に、奥様にお会いしたのは覚えていますが、先生はご不在であったのか、後からご帰宅になったのか、思い出せません。名古屋学院で教えていらした当時は一宮教会の牧師でいらしたかもしれませんが、これもはっきりと思い出せません。
靖国国営化反対のデモ、闘うキリスト者同盟(闘キ同)、最首悟さんの論文を「福音と世界」で読んでいた時代でした。40年近くも前のことを、紅茶に浸したマドレーヌの香りにつられるように引き出されてゆくのは面白いですね。中央公論社の赤い表紙の「世界文学全集」プルースト「花咲く乙女たち」のヴァンドンゲンによる白黒の挿画の原画を1980年代にフランスの田舎の美術館で見て感激したことも引き出されてきました。人間の記憶の構造は面白いですね。人間はすべての経験を失うことなく持ち続けると言うのは慰めなのか。先日BSで見た「イングリッシュペイシェント」も絡めながら、由無し事を書いてしまいました。
私が所属するNPOは、愛・地球博に鉋屑を織り込んだタピストリを当時東京芸大大学院在学中の篠田恵里佳さんに制作して頂き、段ボールの枠を使用する裂き織りのワークショップを含む「愛着衣」を地球市民村に出展しました。無用から用を引き出すという意味で一種の裂き織りである鉋屑の巨大なタピは木の匂いがして素敵でした。タピはクリュニの一角獣を思い起こさせ、リルケにつながり、シエールのミュゾット館からラロンの崖の上で夕陽を浴びる墓碑銘へ、更にラインホルト一族からシェーンベルグへと限りなくつながって行きます。

投稿: Miekli | 2007/02/15 00:31

Miekli さん

お書きになったことを読み、あのころの時代の空気を思い出しました。最首悟さんの書いたものもよく読んだ記憶があります。全共闘世代よりずっと年上で、渦中にいなかった私にとっても、大きくものの考え方を揺さぶられた時代でした。キリスト教と教会を離れたのも、そのとき見えてきたものがあったからでした。その遍歴の次第を読書経験を綴りながら書こうとして、HPのほうでは中断しています。

妻の裂織のこともお目にとまったようですね。私も少し活動を手伝っていて、段ボール枠を使った簡易裂織は、展覧会で見たり、写真をそちらの協会のページ載せたりしたことがあります。

投稿: アク | 2007/02/15 11:18

話しがそれて行きますので談話室向きですが、自分の書いたコメント関連ですので、今回もこちらにします。プルーストやヴァンドンゲンにご興味がおありかわかりませんが、昨日、次の会合までに時間が出来たので、名古屋市美術館の図書室(美術関係蔵書4万冊)でヴァンドンゲンの「失われた時を求めて」の挿画を探しましたら、カラー写真がありました。2002年に、スイスからシャモニへの入り口であるマルティニにある美術館で、ヴァンドンゲン展があり、その時の図録に、同じくスイスのルガーノのヴィラ・ファヴォリータにあるティッセン・ボルネミッツァ・コレクション所蔵の原画が8枚載っていました。司書の方が見つけて下さったのですが、彼女も私も、大喜びでした。
今朝、インターネットで調べましたら
http://lucat.alain.neuf.fr/cariboost1/cariboost_3.html
にありました。
1947年出版「失われた時を求めて」、番号入り、ヴァンドンゲンの77枚の水彩挿画で3巻編成約5万円です。原語で読めるわけではないし、印刷なので、図書館で買ってもらって、借りたいですね。

投稿: Miekli | 2007/02/17 12:43

Miekli さん

「失われた時を求めて」は、蔵書にありながら、読み始めもしないままの、私にとっては「失われた文学作品」のひとつです。「ユリシーズ」も、フィッツジェラルドも、そのほかたくさんありますが、その最たるもののひとつです。

ヴァンドンゲンも知らなかったです。見にいってみました。楽しい雰囲気の絵ですね。最近NYTのウェッブ版で見ている Maria Kalman の Principles of Uncertainty に通じるものを感じました。

私の絵画などの趣味は、プロフィールなどに書きましたが、印象派ではセザンヌ。それ以前ではフェルメール。あとはアメリカの Andrew Wyeth そして版画の エッシャーです。たぶんに理系的な選択でしょう。

投稿: アク | 2007/02/18 19:34

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