« 今冬、燗酒を好むわけ | トップページ | 田中宇の「温暖化のエセ科学」論は? »

2007/02/27

広重「夜の雪」の蒲原へ

070227kanbara

 【蒲原に残る江戸時代の姿をとどめる旅籠屋。現在は右側が市の施設になっている。クリック→拡大画像】

 ひょんなことから静岡県蒲原へ行ってきた。広重の東海道五十三次の名画「夜の雪」の場所として記憶にはあったが、これまで縁がなかった。妻が裂織人のインタビューを担当していて、訪ねた先が蒲原宿として唯一残っている旅籠屋の建物だった。天保年間(1830-44)に建てられた「和泉屋」という名の上旅籠だったという。建物全体が、そっくり当時のものではないだろうが、面影を残しているという。上記画像の二階の櫛形の手すり(上辺が曲線になった部分)や、看板掛け、柱から突き出た腕木などに見られる。左3分の2は、住人がいるが、右の3分の1を市が買い取り、「お休み処」として公開している。間口は狭いが、奥に向かって長い町屋風で、いくつかに間仕切りして、人を泊めた往時の様子を偲ぶことができた。2階に向かう階段は急で、その登り口2段が作りつけの小箪笥になっている姿は、かつてのものだろう。2階に上がると、向かいにある旧本陣の建物を見下ろせる。建て替わっていると思うが、本陣らしさを残す豪壮な建物だ。個人の住宅になっている。旧東海道は今や本道ではなく、人も車もあまり通らない。東海道探訪の人をちらほら見かけるだけだ。しかし、2階から見おろすと、ここを大名行列も、東海道を上り下りする旅人も繁く往来した様を偲ぶことができる。明治元年12月、明治天皇が東京から京都へ還幸の折、向かいの本陣が御在所に当てられたという。

 「お休み処」は、「駿河裂織倶楽部」というNPOが市からの委託で運営をしている。妻が訪ねた織り人が、このNPOの代表者である。その人のお仲間の裂織人たちがボランティアとして、この観光施設を維持管理している。旧東海道を訪ね歩く人が立ち寄り、ゆっくり茶を飲み、話を聞いていくようだ。裂織作品を紹介したり、体験教室を開催したりしている。

 広重の「蒲原・夜の雪」は、静かに降り積もる雪の夜道を、蓑を着てあるいは傘をすぼめて、とぼとぼと歩く旅人を描いたものだ。雪の夜のしんしんとした静けさ、旅の心細さを、印象的に表現し、広重の五十三次の中で、最高傑作とされている。浮世絵を代表する傑作のひとつともいえる。遠くに家並みを望む坂の街道、道を阻むような急峻な崖など、この絵の情景を偲ばせるような現場は蒲原にはないという。山が海食崖となって海に迫り、海沿いのわずかの平地に町並みが延びている。およそ場の雰囲気が違う。ここでは雪がめずらしく、まして積もるようなことはないという。おそらく広重は架空の情景を絵にし、それを蒲原に当てたというのが通説である。

 しかし、この名画が蒲原の名を高め、多くの人が蒲原を訪れ、旧東海道を散策するという。最近の町村合併で、かつての蒲原町は、今や静岡市清水区蒲原となった。清水市が静岡市に併合されたことは聞いていたが、まさか東海道本線で静岡まで7,8駅もあるこんなところまで併合されたとははじめて知った。その途中にある由比町が合併を拒否したので、蒲原は静岡市の飛び地となった。それも清水市あらため清水区の一部となった。他県のことだが、なんだか違和感がある。町村合併で、かつての宿場町としての個性が、ひとつの町としての独立したあり方が、ますます失われていくのではないかと心配だ。訪ねた人は、かつて強かった蒲原の人は弱くなった、逆に由比の人が今は強い、といっていた。町としてのアイデンティティを守り抜こうとする強さのことだろうか。

|

« 今冬、燗酒を好むわけ | トップページ | 田中宇の「温暖化のエセ科学」論は? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/36654/14065583

この記事へのトラックバック一覧です: 広重「夜の雪」の蒲原へ:

« 今冬、燗酒を好むわけ | トップページ | 田中宇の「温暖化のエセ科学」論は? »