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2007/04/04

スロヴェニア・クロアチアへの旅行記、完結

070404tiltle

 ホームページ本館「アクエリアンの知・遊・楽」に連載してきた「スロヴェニア・クロアチアへの旅行記」が一昨日完成した。旅をしたのは昨年(06年)10月中旬出発の16日間だった。海外への旅をするたびに、ホームページに旅行記を書く。ここ5,6年の分が、十数編になっている。文章を連れ合いのみやが書き、私が写真を添えたウェブページを作り、上記HPに載せるのがならいになっている。旅行記としては、かなり詳細にわたり、一日分が2回、あるいは3回にわたることもある。今回は特に力が入り、全部で28回分、書きものでいえば、28章になった。写真と地図などの資料も百以上が挿画として掲載されている。完成するのに5ヶ月以上かかった。

 この旅行記を書き、掲載するのはけっこうな作業である。連れ合いは1回分を2,3日かけて、黙々とパソコンに向かって書く。私がそれを受け取って、あれこれ注文を付けて書き直してもらい、適当な写真を選んで、画像処理し、ウェブページを編集して、アップする。場合によっては一日仕事になる。何でこんなに苦労して旅行記を書くのか、自問自答することもしばしばだ。旅行をすると、その時はそれで楽しむのだが、終わってしまえば、それっきりとなる。旅の次第や印象を細かく書くことによって、記録も残り、旅の「成果」をじっくりと考え直すことができる。それが私たち二人にとっての主な目的である。それに加えて、ホームページに載せておけば、さまざまな人に読んでもらえる。旅仲間にはアドレスを伝えて読んでもらう。それ以外に、広く未知の人に読んでもらえる。これまでも、読んだよと便りをくださる方もあるし、旅先情報の問い合わせを受けたりもした。出版社から写真を使わせてほしいとの依頼を受け、写真が出版物に載ることもある。インターネットは巨大な情報空間である。そこに載せておけば、ひとさまのお役に立つ。これも旅行記録を書く励みになる。

 連れ合いのみやは、旅に出るとき、一冊のノートを用意し、日程順に一日数ページを割り振り、そこにある程度予習した事項を書きとめておく。旅行中は、目にしたこと、ガイドなどから聞いたことを詳細にメモする。高校で世界史を教えていたから、歴史には詳しい。旅をし、記録を書くとなると、いくつかの資料を調べ、ガイドから聞いたはなしを補ったりもする。見たり聞いたりの印象だけでなく、歴史のことをずいぶん書き添えていることが、私たちの旅行記の特徴だろうか。ビジュアルな印象を伝えたいと写真撮影にも力を入れている。一眼レフを3台持って行くなど、かなり凝っているつもりだ。

 今回出かけたスロヴェニアとクロアチアは、いずれもソ連崩壊以前は、ユーゴスラヴィアの一部であった国だ。ともにスラブ系民族を中心とする国だが、スロヴェニアはオーストリーに近く、その影響を受けている。クロアチアは、アドリア海を隔ててイタリアに向き合い、その影響が色濃い。両国とも、自然はすばらしい。スロヴェニアでは北部のユリアン・アルプス地域の山と湖、南部の二つの大きな鍾乳洞が見ものだ。クロアチアでは、海岸沿いの石灰岩質の荒涼とした山々、その内陸に潜む水と緑豊かなプリトヴィッツェ国立公園が美しい。両国ともにアドリア海沿いに古代から中世にかけて繁栄した数々の都市をもつ。中でもクロアチアの南端にあるドゥブロヴニクの美観はよく知られている。いずれも期待を裏切らない、いや、それ以上のすばらしさだった。アドリア海に点在する島々もよかった。暇と気力さえあれば、これらの島々をゆっくりと渡り歩く旅をしたいとさえ思った。

 ユーゴスラヴィアが分解し、それぞれが独立国になる段階で、内戦の時期を経ている。スロヴェニアはそれほどでもなかったが、クロアチアは、セルビア・モンテネグロとの苛烈な戦争を経て、独立と領土の保全を大きな犠牲を払って確保した。その傷跡は、旅行者にはほとんど見えないほどになっているが、少し話を聞き、注意深く見ると、内戦の激しさを知ることができる。以前,アメリカの小説家ポール・セローの旅行記『大地中海旅行』を読んで紹介したことがあった。スペインのジブラルタルから、モロッコのセウタまで、地中海の海岸沿いに一回り旅をした記録だ。1993年から95年にかけて、途中4ヶ月の中断を挟んで、19ヶ月ほどをかけて旅をしている。鉄道かバス、時にはフェリーを使い、地上をはい回るような旅をしている。彼がスロヴェニアとクロアチアを旅したときは、内戦直後であった。町は寂れ、避難民は溢れていた。観光客のいない閑散としたドゥブロヴニクまで行って、そこから先、モンテネグロには入れず、スプリットまで引き返し、イタリアを経由して、アルバニアへと渡っている。その記述を読むと、私たちの見聞と昔日の感がある。

 今では、どこにも観光客が押しかけ、西ヨーロッパの諸国と変わらぬような印象を受けるが、十数年前には、行きたくても行けないような地であり、市民は戦争による疲弊の中にあった。いま、平和と繁栄を楽しんでいる人々を見ると、戦争がどんなに愚かなことか、しかし、それでもなおそれを闘わずしては、独立を確保できない民族の宿命を考えさせられる。今回行ってみた国のすぐ近くで、つい少し前までボスニア・ヘルツェゴビナの内戦があり、セルビアのコソボでは今なお独立をかけた紛争が続いている。ちょっとだけ行ってみたモンテネグロは、つい先ごろ独立したばかりであった。

 今回の旅では、いい友をえた。いつも旅で知り合いができるが、長続きするのは稀である。今度は特別だった。旅が終わったあとも、往き来したり、ひんぱんにメールを交わし続けている。この仲間意識は、ずっと続きそうな予感がする。これも旅の大きな収穫であった。

 前の旅の記録を書き上げたところで、次の旅が始まる。ドイツへ、一ヶ月、ふたりで友人を訪ねる旅となる。今度は少し趣の違う旅をしてくるつもりだ。

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コメント

アクさん、おはようございます。
クロアチアはなじみの無い国でしたが、ナチに協力したクロアチア人を題材にした映画「ミュージックボックス」で、その歴史に接し、以後、万博のクロアチア館など、気になる国です。海岸線を独り占めにしていますが、海岸線の国という歴史があるのでしょうか?
時間を見つけて少しずつ読ませていただきます。
1970年代の終わりにイラストレーターの故堀内誠一さんが出された「パリからの旅」で旅の3つの楽しみには、計画と整理がありました。お大変でしたでしょうけれど、多分行くことの無い国の旅行記も、行ったことのある国の旅行記も、それぞれに楽しく読んでいます。インターネットはすばらしいですが、一瞬にして消える可能性もある情報ですから、バックアップは必要。でも、かなり選択したつもりでも、どんどん膨らみますね。

投稿: Miekli | 2007/04/07 09:35

Mielki さん、忙しくてレス遅れごめん。

本館のほうの旅行記にも興味を持っていただいてありがとうございます。
海岸線を独り占めする海岸線の国、というとらえ方は面白いですね。

私もよく分かりません。以下勝手に私見を。

たぶんまずアドリア海を取り囲む文明世界があったのでしょう。ギリシャ時代からはじまって、ローマ時代に繁栄しています。ローマの衰退に入れ替わってスラブ系のクロアチア人がこの地方にどんどん入ってきて、力を持った。ただし、たえずベネチア共和国との勢力争いのもとにあった、ということでしょう。

途中、オスマントルコ(イスラム)の支配が優勢になり、それをオーストリーハンガリー帝国(ハップスブルグ家)が盛り返し、という、他国支配を受けながらも、民族としてはじっとその時その時の状況に耐えてきたのでしょう。その後、イタリアの支配から、第2次大戦後のユーゴスラヴィア時代を経て、やっと民族としての独立を得るまで、クロアチア人としての民族意識はずっと続いていたようです。

同じスラブ系でありながら、セルビアとクロアチアを分けているのは、宗教です。セルビアは東方教会系のセルビア正教、クロアチアはカトリック。その違いゆえに分かれています。

なぜ海岸沿いか、というと、これは行ってみれば分かりますが、海岸からすぐに石灰岩質の山脈がアドリア海沿いに切り立っています。海沿いの僅かばかりの地域と、内陸は、全くこの山脈で分けられているのです。クロアチア人はまず現在のクロアチアの北側の内陸を含めた地域に優勢になったのでしょう。そこからしみ出すようにして海岸を南へドゥブロヴニクのあたりまで、勢力圏に納めたのでしょう。

ただし、海岸地方は、ローマ-イタリアの影響も残っていて、イタリア語が通じる部分と内陸では、その後支配したオーストリーの影響でドイツ語の通じる地域とあります。クロアチアの人と英語で話してみると、部分的はドイツ語が混じるのです。

ヨーロッパの辺境は、民族・歴史・宗教・言語など、いろいろな要素が現状を作り出しているところに注目するとなかなか興味深いです。

投稿: アク | 2007/04/09 21:14

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