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2007/05/14

ドイツ滞在の印象(1) 地方の豊かさ

070514etzenrot

(滞在したEtzenrot、村へのアプローチ路上、村が見えてきた辺り)

 ドイツに1ヶ月滞在した程度で、ドイツについてもの知り顔に語るつもりはない。1年、あるいは数年住んでこそ、なにかいえるのだろう。それに、ドイツは地方色豊かな国のようだ。ほんの一地方へ行って、ドイツ全体について何かいえるはずがない。といって、感想がないわけではない。ほんのちょっとかいま見たかぎりでの印象を断片的に書いてみる。その程度のものと割り引いて読んでもらいたい。なおドイツからは、掲示板(Aquarian's Salon)に、写真入りの通信を送った。そちらは、滞在生活のあれこれの記録として読んでいただくといい。パートナーのみやは、例のごとく、旅日記をホームページ本館のほうに書きはじめることだろう。

 ドイツは、地方が豊かだな、というのが印象のひとつだ。それぞれ独自の文化をもつ地方の中小の町や村に、人々は安定した暮らしを営み、若者が地方をはなれて中央を目指すということもなく、したがって過疎などという問題もあまりないようにみうけられた。だいたい中央とか大都市とか、際だった人口集中地があるわけでなく、地方がそれぞれの特色を持って分散して存立し、それぞれに繁栄しているようだ。ただしかつての東独は除外しておこう。そこでは廃棄されたあばら屋、ゴーストタウン化した町の一角などを見た。

カールスルーエ 滞在した村は、ドイツ南西部のバーデン・ヴゥルテンべルク州にある。州都はストゥットガルト(Stuttgart、人口:59万人)であるが、州の西、ライン川の流れる地に、第2の都市カールスルーエ(Karlsruhe、人口:29万人)がある。かつては王の離宮の置かれた場所だが、今では工科大学と国立研究所(かつての原子力研究所)を中心に、先端研究のセンターの役割をになっている。連邦政府の最高裁判所も置かれている。

エトリンゲン その郊外、南へ向かうアルプ川沿いにあるのがエトリンゲン(Ettlingen、3万8千人)だが、町としてはこちらの方が古い。ローマの時代からの歴史を持ち、中世の城があり、町を囲む市壁の一部が残っている。市の中心部には、市庁舎、その前にマルクト広場と泉水、タマネギ型の塔を持つバロックの教会、木組みを外にむき出しにしたこの地方らしいの建物など、中世の佇まいを残す典型的な地方町だ。このような町は、ドイツの各所にあり、観光の名所でも何でもない。しかし、そのたたずまいを愛する人々が、その姿のままの町を維持し、日常生活を営んでいる。天気のいい日には、広場に面したカフェのテラス席で、市民が三々五々、コーヒーやアイスクリームを楽しみ、男どもは昼からビールのグラスを傾けている。

 夜ともなると、ビール醸造所直営のビアホールとビアガーデンに多くの人々が家族連れで集い、ビールを楽しみ、子どもたちは付設の遊園地で遊んでいる。サマータイムのせいで、夜はとても長い。暗くなるのは9時をだいぶ回ってからだ。地元カールスルーエのサッカー・チームがプレイする土曜日ともなるとビアガーデンに人は溢れ、大スクリーンで中継される試合の様子に歓声を上げている。

エッツェンロート このエトリンゲンは、その周辺にいくつかの衛星集落を持っている。その一つが私らの滞在したエッツェンロート(Etzenrot)である。数百戸ぐらいの集落だろうか。以前は農家を中心とした小さな村だったらしいが、今では、カールスルーエなどに仕事を持つ人々がここに住むようになり、旧村民と混住しているようだ。特にカールスルーエにある連邦最高裁判所の判事たちが好んで住んでいると聞く。

 カールスルーエは、平坦に開けた土地で、かくべつの潤いがない。そこから南へ行くと、黒い森の丘陵地帯が、エトリンゲンあたりからはじまり、なだらかにうねる丘と渓谷、それを覆う森や牧草地の野原などが、変化に富む景観をつくっている。谷沿いに走る主要道をはずれ、ヘアピンに曲がりくねりながら丘に登る。丘の頂上部の傾斜地に、エッツェンロートがある。周囲は林や野に囲まれている。なるほど、こんなところに住んでみたくなるのはわかる。このような村はここだけではない。同じ程度の規模の集落が、適当に距離を置いて、いくつも分散している。

村落をつくり住む ドイツに限らず、フランスでも、どこでもだが、ヨーロッパの地方では、人家は密集して村落をつくっている。日本の農村地帯みたいに、農地のあちこちに、ばらばらと家が散在するというようなことはない。住居は農地から離れ、集落をつくっている。大きな町になると壁を造り要塞化する。何百年前、何千年前から、外敵に攻められ、防衛を図った伝統なのだろうか。

村域の外に住まない 私たちが滞在したエッツェンロートも、ひとつのまとまりを形成し、住宅地域の境界線ははっきりしていて、その境界外に村落が拡がることはない。ただそのまとまりの範囲内では、住宅の密度は増えることはあるようだ。ドイツ滞在中に通信を送った掲示板にも書いたことだが、滞在した住居の持ち主である友人ヒルダは、何年か前に地所の半分を売った。そこに4所帯用の集合住宅が建ち、ヒルダは若い頃から愛していた眺望の大半を失った。この村をぶらつくと、村はずれにコンクリート建てマンションが2軒ほど建っていて、この村の景観を著しく損なっている。屋根型で目立たないが、数十所帯も入る長屋のコンドミニアムも見かけた。ここに住みたいという要望と村域を膨張させないという規制との妥協の産物と見た。

地方の豊かさ さて、地方の豊かさといっても、地方の中心都市とその周辺のベッドタウンとしての豊かさに過ぎないのではないか、それよりもっとはずれた本当の地方はどうなのか、と聞かれると、それほど深く広く観察したわけではないので、何ともいえない。ただいくつかいえることがある。

産業は分散 まず、産業拠点が分散しているようだ。黒い森地方は、もともと精密機械工作に優れた地方である。各種産業の部品加工をする中小の工場が、黒い森の各所に目ただぬ程度に分散して立地している。メルセデス・ベンツのそもそもの工場は、私らが住んだ村の近在にあった。今では、中心はストゥットガルトだが、メルセデス関連の工場は、この州の各地にあると聞いた。黒い森と聞くと、林業が主産業と単純に思ってしまうが、どうしてどうして、最先端の精密機械工作が、この地方の主要産業なのだという。そういう先端産業と、昔ながらの農林業とが混在し、各人が各様に働き、地方の豊かさを支えているように見えた。

住む場所も分散 だから一極集中の産業都市の周りにベッドタウンが広がっているというのではないようだ。仕事場は各地に分散する。その仕事場に応じて、住む場所を選び、分散して住む。それに加えてオートバーン(高速道路、スピード制限なし)の便利さゆえ、百キロ以上離れた職場に通勤するような人もいる。エトリンゲンのパーティで知り合った若いアメリカ人の女性は、夫の職場のあるこの町に住みながら、北へ約70kmほど離れたハイデルベルク近郊の米軍基地アメリカンスクールでドイツ語教師をするため、毎日オートバーンで通っている。また別の女性は、夫の本拠地、エトリンゲンに住み、約75km東にある州都ストゥットガルトの州政府の仕事に通う。彼女は州政府の高官である。

生活を楽しむ 産業が一極集中でなく、各地に分散し、居住地も都市とその周辺に集中することなく、個性的な村落に住み、距離を高速道路で埋め合わせる。この分散スタイルは、ドイツ人が個人の生活を大事にすることと密接に関連していると見た。ドイツ人は、いまや仕事もさることながら、個人の生活を楽しむことを優先する。世界で週あたりの労働時間がもっとも短く、休暇をもっとも多くとる国民だといわれている。そういうライフスタイルが、住む場所として都市を好む人から田舎暮らしを好む人までの多様性を動機づける。多様な選択を受け容れる地域の多様性がある。そのような事情が、地方の豊かさ、非過疎化を生み出しているように見た。

豊かな地方があっての国 中央があって、それに依存し、指示され、予算をともなって流れてくるもので地方の豊かさが確保される、というようなことはなく、それぞれに豊かで、自立した地方があって、そのまとまりとして州政府があり、さらにその上に連邦政府がある、という形なのではないか。全般的な事情を知るわけでないから、言い過ぎもあるかもしれない。一ヶ月ドイツの地方の村に住んで、そういう印象を持った。

豊かさとは 地方が豊かだと書いた。そもそも豊かさとは何か。リッチな生活をしているというのではない。食生活などけっこうつましく、贅沢をしているとは思えない。しかし、生活を楽しむゆとりを持っている。楽しめるだけの自分の時間と経済的ゆとりを持ち、自然環境はすばらしく、住環境は良く、食材は安く充実している。その中心に、おもいおもいに生活をエンジョイする個人としての自分自身と家族がいる。さまざまな面での「豊かさ」を感じたのだった。

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コメント

アクさん、お帰りなさいませ。長旅お疲れさまでした。
アクさんが分析された、特にドイツの非過疎化を生み出している諸事情、とても興味深く拝見致しました。(生活を楽しむ)過疎化を食い止める原因の一つと感じましたドイツの道路事情。日本も道路網は他国から比べて群を抜いて優れていますが‥海外からの訪問者が口を揃えていうことは、日本の高速道路は料金が高すぎるとの指摘でした。ドイツのことは分からないのですが、オートバーンというのは、通勤に利用できる程安価なのでしょうか。それとも無料なのでしょうか。
また、日々のお写真つきレポートも興味深く拝見しました。
ヒルダさんのお近くに咲いていた桜の木について、日本と比べて、葉と花が混在して咲いているとのご指摘がありましたが、たまたま読みかけの本に面白いことが書いてありました。「桜が創った『日本』(ソメイヨシノ起源への旅)」佐藤俊樹氏著ですが、その中で、幾つもの“語り”としての「日本の桜」を紹介していまして‥その中の一つは‥日本の桜は誰もがマックスで咲くピンク一色の桜(集合体の樹)をイメージし、他にも様々な種類の桜があるにも関わらず、ソメイヨシノが日本の古来の桜であるかのように、日本人は認識しがちであるが、実は、江戸時代に早く成長して花が観賞できるようにと、品種改良の結果できた、本来だったら自然に存在しない人工の桜だというのです。日本のソメイヨシノは、クローンで繁殖した桜であると。だから、枯れやすい、種が出来難いのは当然のことであり、接木に接木を重ねた為に寿命も五、六十年やそこらしかもたない。だから、ソメイヨシノ=桜と結びつけるのもおかしいし、安易に「古来」を持ち出し、「日本」と「桜」、「民族としての集合体のイメージ」とを結びつけて、日本人の精神論を語ることの無意味さ主張しておられました。また、全国何処へ行っても、学校や堤防などの地域のコミュニティの周辺にソメイヨシノの桜並木(山)などが見られるが、これは、戦後のことであり、戦前は存在しなかった日本の風景だというのです。誰かが、桜に関して勝手なイメージをつくりあげ、日本人はそれに一応に納得する傾向があるという指摘でした。私も少なからず、この傾向があるので、痛い所をつかれたという‥中々興味深い本でした。
アクさんのお考えでは、ドイツの国民性は、このような傾向は、如何でしょうか?やはり日本人特有のものとお考えでしょうか。

PSスロヴェニア・クロアチアの旅行記の方をお留守の間に拝見したいと申していましたが、‥後ろお下げ髪を引かれつつも‥拙ブログで下手なカキモノを始めて、恥の汗をかきかき、悪戦苦闘しつつ(笑)‥まだ拝見しておりません。

投稿: 梅吉 | 2007/05/15 10:42

梅吉さん、コメントありがとうございました。

長いこと留守をして、ブログも空き家になっていましたが、待ち受けて読んでいただいたようで、ありがたいです。

ドイツの自動車用高速道路は、ヒットラーに由来するもので、国が作り、社会資産として、国民に提供するということで、タダです。

ただし、ドイツを通過するだけの外国の貨物車にタダで使わせることはないだろうと、最近この種の車は有料のステッカーを買い、表示を義務づけるようになりました。東欧やスカンジナヴィアなどの国々の大型トラックが南北へあるいは東西へと走り抜けています。

ドイツで見かけた桜は、八重で白い花を咲かせる種類が多いようです。リンゴと同じ時期に開花しますから、遠くからは見分けがつかないほどです。写真にある白い花も、桜ありリンゴありです。

ソメイヨシノについてのご紹介、興味深いですね。そう、あれは、もともと交配で作られたものが実生にならなかったので、接ぎ木で増やしているのですね。同じ単体が延々と生命をつないでいることになります。

宣長の有名な歌「敷島の・・・」が、よく日本人の心情になぞらえていわれますが、あれが大和心(=愛国心)と結びつけていわれるようになったのは、近年のことらしいですね。桜を特に愛でるのが日本人の特性だ、というほどのことで、それはたしかでしょう。

投稿: アク | 2007/05/15 11:45

「ドイツの自動車用高速道路は、ヒットラーに由来する‥」歴史の遺産の一つとして、思い掛けない形で、国民は恩恵を受けているということですね。「外国の貨物車」の有料については、納得致します。
「同じ単体が延々と生命をつないでいる‥」はい、佐藤氏も、同様のご指摘をされて、存在の是非は別問題として、このソメイヨシノの独自性について関心していました。人間とソメイヨシノの有機的な関係が実に面白いと‥
「敷島の・・・」。なるほど、私は戦前も戦後も知らない世代ですが、ネットで検索して色々拝見してみると‥この和歌についての、ご指摘の「大和心=愛国心」に強烈にアレルギーをおこされている方が多くいらっしゃるようですね。
ソメイヨシノにしろ、この花の解釈にしろ、私たちの桜に抱く幻想が、いかに当てにならないかという事を思い知らされるような気がします。しかし、独り善がりな桜信仰であったとしても、どこかで、例え戦争に向う最中であったとしても、叙情的な繋がりを何かに求めたいというのは、私たちの抑え難い要求のように感じられます。
早速のお返事ありがとうございました。とても勉強になりました。

投稿: 梅吉 | 2007/05/18 10:56

梅吉さん、もう一度書いていただいて、ありがとうございました。

桜の話題となると、「大和心」を思い出してしまうのは、私たちとそれ以前の世代の特性でしょうか。しかし「アレルギー」というより、深く沁みこんでいる記憶です。桜のように散り際がいさぎよくなくてはと教えられ、特攻に向かい、むだにたくさんの人が戦死した。そのような時代の精神的支柱となっていた歌でした。

桜を愛し、華やかに咲き、あっさりと散るのを好む日本人の性格は、持続し執着することを嫌います。ヨーロッパのカテドラルが何百年もかけて建設されるとか、破壊されたものを、数万個の破片を拾い再建するとか、ヨーロッパ人のねちっこい性格と違うのだな、とつくづく思います。それぞれに違いますが、日本が国際社会で経済力以外に存在感が薄いのも、戦争責任感が希薄で、アジア外交に問題が出てくるのも、そのあたりと関係すると、いろいろと考えさせられます。

投稿: アク | 2007/05/18 15:09

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