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2007/06/27

「食」を通して見た世界

 「食」は、単に私たちが食べているもの、にとどまらない。食は、私たちが何ものであり、いかに生き、どのような世界に住んでいるかを表しているのではないか。

  Tell me what you eat and I will tell you who you are, where you live, where you stand on political issues, who your neighbors are, how your economy functions, your country's history and foreign relations, and the state of the environment.

 そういう問題意識で、雑誌"TIME" (07年6/25,7/2合併号)は、「食」特集 "We are what we eat" を組んでいる。世界各地にいる記者が志願して、自分が駐在する地とは別の取材地へ赴き、さまざまな観点から世界の食の現状をレポートしている。ヴァライエティに富み、さまざまなことを考えさられる。

世界の食の現状 パラパラと読んでみるとまず目をひくのは、さまざまな国で、一家族が一週間に、どのようなものを、どれだけ食べているかを写真と内訳表で示しているページだ。日本、ドイツ、チャド、アメリカ、メキシコの家庭が選ばれている。雑誌のWebページには、ほかにエクアドルが載っている。

 一つの国を一つの家庭に代表させるなんて、しょせん無理なことだが、それでも平均値的な特徴をつかんでいるように思える。日本、親子4人。魚介類や野菜・果物が多い。食への支出合計は、週あたり317ドル。日本の庶民家族の平均的な食生活はこんなものだろうと納得する。ドイツ。同じく4人家族だが、ビールや果物ジュースなどの飲み物が圧倒的に多いのが目立つ。肉、野菜、果物、乳製品はバランスがとれている。週500ドル。アメリカを代表しているのは黒人の4人家族だが、ピザなどのファストフードが目立つ。料理するための食材より、調理済みですぐ食卓に載せられるものやスナックが多い。アメリカでは富裕層と貧困層の格差は大きいが、家庭での食は画一化が進み、外食をのぞけば格差はさほど露わにならないようだ。アメリカの発行誌が、アメリカ代表はこんなところと選んだのだから、妥当なのだろう。週342ドル。チャドに住むスーダンからの難民の食事は極端に貧しい。5人の子を抱えた寡婦の家族のものだ。食料援助の配給を受けた穀物以外には、本当にわずかばかりの魚とも肉とも見えないもの、ちょっぴりの果物、ナッツ類が並べられている。週あたりの食費は、1ドル少々。Webページにあるエクアドルの家庭は、7人の子を持つ夫婦だが、穀物以外は手近に入手できる野菜と果物のようだ。週32ドル。メキシコの5人家族は、果物・野菜が目立つが、ドリンク類も多い。週189ドル。以上紹介した写真を見るだけでも、いろいろと考えさせられる。内訳を分析すると、もっと面白かろう。

従軍記者、懐石料理を経験 記者が分担した記事の中で目立つのは、アフガニスタンの従軍取材をしていた女性記者が、志願して京都の懐石料理屋で修行をする体験記だ。この人は、記者になる前にフランス料理のシェフの修業を4年間、世界各地のレストランでした経験がある。日本の懐石料理に憧れていたところ、今回の機会を与えられたらしい。京都の料亭・菊之井のオーナー・シェフは、国際世界に懐石料理を紹介している人で、英語の著書もある。女性や外国人を厨房に入れることを厭わず、この記者に懐石料理の調理を経験させたらしい。といっても、ひたすら海苔を切り刻む修行をさせたらしい。ほかに、契約農園での野菜の仕入れなどに同伴して、料理にとって旬で良質の食材の入手が大事であることを見せている。記者は、懐石における食材の大切さ、食材そのものの味を生かしながら、それぞれを目立たせず、コース全体の調和をはかることなど、懐石の神髄をうまく書いている。グルメの国際化が進んでいるが、懐石料理だけは日本以外で、同じものを供するのは困難だろう、これこそ日本文化そのものだと、この特集の中では特別扱いの記事を書いている。

スペインの寒村で これと対照的なのは、別の女性記者(日本人)がスペイン人の夫の出身村落を訪ねる体験談である。スペインのガリシア地方の寒村。道のどん詰まり、地の果てのような村だ。住人は46人、ほとんど老人。店もレストランもない。教会すらない。95歳の義祖母が、何百年も変わりのない昔ながらの生活をしている。食事に出されたシチューのような鍋料理は、親類家族が屠殺した豚、昨日まで裏庭を跋扈していた雄鶏、畑の野菜などが材料のきわめてローカル色の強いものだ。この村も変わりつつある。50年前には少なくとも百頭はいた牛が、5年前に5頭に減り、今ではたった1頭だけとなった。EUの基準が厳しく、ミルクも肉も出荷できなくなった(基準を満たすためには多額の投資が必要)。自給自足の食生活もくずれ始めた。自家で肉や野菜をまかなうより、毎日一回やってくる移動販売車から買うようになった。どこの家にもパン焼き窯はあるが使わなくなった。労するより買う方がいい。自慢だった自家製のソーセージも作らない。老人たちは、バス停にたむろして、廃線になった路線バスを待つわけでもなく、日がなおしゃべりをしている。老齢年金と出稼ぎの次世代からの仕送りで細々と生活しているのだろう。しかし時代の変化はすぐそこまで押し寄せている。都会からわざわざやってきて古い家を買い改装して住む人、古い農村を売りにする見せ物やフェスティバルを企画する人、いろいろである。

食の変化は固有の文化の破壊? これは極端な例だろうが、世界中どこにも同じような変動の波が来ている。固有の食習慣が失われ、どこにもある大量生産の食材が普及し、それとともに生活習慣も社会構造も変わっていく。そのことに格別の問題意識すら感じない。しかし食事は、家族の結びつきの基本である。家庭での食がいいかげんになると、家族関係が希薄になり、それが社会の動向にまで影響する。到来しつつある変化が、これでいいのか、それをこの特集は問うているようだ。食事は文化のコーナー・ストーン(隅石、基盤)であり、民族のアイデンティティのもっとも大事なシンボルだと、記者の一人は書いている。

飢餓と食糧計画のミスマッチ 近代になるまで何千年もの間、人類は生存をはかるのにやっとの量しか食べられないのがふつうだった。それが今や飽食の時代である。それでいて、アフリカなどには、依然として餓死者がでるような地域がある。政治状況が解決をむずかしくしている。国連世界食料計画(WFP)などの救援が有効に働いていない。50年も続いているプログラムだが、配給がすみずみまでうまく行き届いていない。仕組みにも問題があるようだ。先進国の余剰生産を押しつけるだけで、かえって現地生産を抑制するというマイナスの働きまでしている。この特集でエチオピアを訪ねた記者はそう指摘している。

食でつながる世界の問題 食で世界はつながっていることは、スーパーで見る食材の生産地表示でもわかる。中国人の食の質・量の変化は、全世界に影響する。魚介類の獲りすぎが問題となっている。地中海のマグロの漁獲制限が、私たち日本人の台所に影響する。鳥インフルエンザの脅威は世界共通の問題だ。インドネシアに赴き、現地事情を調べた記者は、鳥から人へウィルスの変異が起こる可能性の最も高いといわれるこの国で、一般人のレベルで、鳥インフルエンザの脅威がまったく認識されておらず、行政には力がなく、いざというとき即時の対応処置がとれそうもないという恐ろしい事情を伝えている。

グローバリゼーションと食文化の崩壊 食の画一化はとうに指摘されてきた問題だ。アメリカ的なファストフードが世界を画一化しつつある。グローバリゼーションの急速な進行とともにそれがますます進んでいる。世界各地へ年に2,3度旅行をしていると、それを実感する。秘境や僻地を好んで旅したこともあるが、どこへ行ってもジャンクフードやコーク類が、固有の食に浸透しつつあるのを実見する。先進国では、食を楽しむ生活習慣が失せつつある。みな忙しいのだ。女性も働く。昼食時に自宅に戻り、ゆっくりと食事をし、シエスタ(昼寝)までするなどという、ラテン民族の習慣は、現今のビジネス社会には適応できない。"Nobody has time anymore, not even the French" との皮肉な言葉を引用している。日本でも、朝食、夕食を家族がそろってするなどという習慣は、都市の住民からとうに失せている。家庭料理のノーハウを親から子へ伝えるのも、もう駄目になって来ている。

 「食」を見れば、現代社会の抱えている問題のあらかたが見えてくる。納得のいく、興味深い特集号だった。何編かは、未読で紹介できなかった。世界を股にかけて飛び回るシェフの話、めずらしい食材を発掘してシェフに仲介するフード・ハンターの話、世界各地のトマトスープの味比べ、チリパウダーがどのように世界を席巻したかの話しなどなど、である。

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コメント

牛の品質確保のスペインの話はごもっともで、鶏の放し飼いの横で牛が草を食んだとき、「飼料の交絡」から伝染性海綿状脳症が否定出来なくなるわけで、同じ様な話は沖縄の闇屠殺という形で語られています。

投稿: pongchang | 2007/06/27 21:06

大正生まれの母は、太平洋戦時下、日本は海に囲まれているので魚に困ることは無いと言われていたのに、制空権が無ければ船を出せないので、食糧が欠乏したことを話してくれましたが、先日名古屋で開かれた漁業資源枯渇に関するセミナーでは、養殖漁業も餌が無ければできないので、我々がすべきことは腹7分目と結論していました。田舎に行くと耕作放棄された田畑を見ます。工業化が進んだ日本の株式の3分の1は外国人所有で、(日系外国人も含む)日本人の労働の成果を吸い上げてゆく一方で、食糧生産は6割を海外に依存している現状こそ国の存亡の危機と思いますが、愚かな日本の民は、軍備を増強することが国防と考えて、演習に参加できることを喜んでいるばかりの与党を支持し続けるのです。

投稿: Miekli | 2007/06/27 21:57

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