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2007/07/18

槌田『CO2温暖化説は間違っている』の間違い

 著者・槌田敦は、異論を唱えるのが生きがいの人である。最近では地球温暖化問題での通説を攻撃しているらしい。地球温暖化が産業活動などによるCO2の増加によることがほぼ明らかになった、対策が急務だ、との気象学者たちの結論に異を唱えているらしい。またやっているな。無視してもいいのだが、この問題にずっと関心を持ち続けてきたものとして気になる。タイトルに書いた彼の著書(ここ)を取り寄せて読んでみた。案の定おかしなことがいっぱい書いてある。どこがおかしいか、きちんとした反論はすでに専門家によってなされている(たとえばここ、本エントリの末尾にもリンクあり)。私は、槌田の致命的な誤りを1,2取り上げて、一般向きに書いてみよう。

専門家はようやく共通認識に達したというのに 地球温暖化が、産業活動などによるCO2の排出によるものであることは、ここ数十年の気象学者らの観測とモデル計算との積み重ねによって、専門家の間ではほとんど異論がない程度の共通認識に達してきた。さまざまな現象についての膨大な観測データと、多くの機関によって独立に進められてきたモデル計算が、ほとんど確実にその事実を指し示している。当初は専門家の間に異論があった。何しろ地球という巨大で複雑なシステムの中で、長い時間スケールで起きていることである。さまざまな要因が関与している。だから観測データにばらつきがある。異論があって当然だった。しかし長い時間をかけて、異論は詳細に分析・検討され、ほとんど問題が解消された。その過程は、たとえばワート「温暖化の〈発見〉とは」に詳しく書かれている。

なぜ異論を唱えるのか 現在では、異論は主として専門外の人たちから提起されている。専門家の間に異論があった時代ならともかく、いまだに異論に固執しているのは、知識不足からする「誤読」に原因がある。わざとする「誤読」もある。人柄にも原因がありそうだというのが、私の見方だ。「異論を唱えたがる人」、「確信犯的にわざと変なことを言ってみたがる人」(たとえば、池田清彦とか)が、いつの世にも絶えない。既定概念を疑うところからしばしば科学は前進してきたものだが、ここまで来た温暖化の科学は、すでに異才が活躍する段階を通り越しているように私には見える。

ほとんどの異論は「誤読」から 異論を唱える人は、ほとんどの場合、自説にとって都合のいいデータを部分的に拾い上げてきて、違うではないかという。さらに、もともとのデータとはまったく違う意味に「誤読」する。あるいは既存のデータから、自説を根拠づけるかのようなデータを作り出す。専門家同士なら討論で決着がつくが、異論を唱える人とは議論が成り立たない。専門家の間では、提起された異論のどこが誤りであるかが議論され、片づけられているようだが、そのことは一般人に伝わっていない。逆に、異論を唱える人は注目されやすい。異論が間違っていることを知る人が、さまざまな場で指摘することが必要だろう。そんなことで、私も書いてみることにした。私は、この分野に関しては非専門家である。一般の科学常識のレベルで議論してみよう。

温度が原因でCO2が増えていると 槌田は、CO2が増えていることも、温暖化も事実として認める。ただし、CO2が増えていることが原因で、温暖化しているのではなく、逆に温暖化が原因で、CO2が増えているだけだ、というのが彼の主張の一つだ。いつも同じデータを引用している。議論のため、槌田の著書のp.41、図表2-3を引用して示す(画面をクリックすると別画面に横800ピクセルの拡大図が出ます)。変動の山や谷に付された矢印に注目してこの図を眺めると、たしかに気温の昇降が、CO2の変化に先んじて起き、因果関係が逆転しているように見える。しかし、このデータは、そのようなことを示すものではないのだ。CO2濃度と気温変化との長期的なトレンドをのぞいて、細かな変動だけを抜き出し、そこに何らかの副次的な現象がないかを見るために作成されたものだ。そこから槌田のように議論するのは、全くの「誤読」なのだ。

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微少な変動部分をこじつけて そのデータをもともと作成したのは、CO2濃度測定をハワイ・マウナロア火山の頂上で始め、長年測り続けたキーリングである。温暖化問題ではどこでも引用される、極めて印象的なデータをもたらしたキーリングその人である。彼は自分の得たデータを分析して、さまざまな考察を行った。CO2の全体としての上昇傾向は明瞭である。しかしその上にわずかな変動部分(リップル)があるようだ。それは何に由来するかを分析しようとした。そこで全体としてのCO2の上昇傾向を差し引いて、微少なリップルだけが見えるようにした。温度上昇の傾向についても同じようにした。長期的な上昇傾向を差し引き、温度のリップル部分だけを取り出し、その二つを比べた。それがこの曲線である。キーリングはその結果を分析して、エルニーニョに由来する温度のリップルが、CO2の濃度の微少なリップルをひきおこしていることを結論したらしい。全体としての温度上昇は、CO2濃度によって引き起こされているが、微量なリップルに関しては、エルニーニョによる温度変化に応じて、時間遅れでCO2の細かな変動がもたらされていることが分かったのである。エルニーニョがあると、干魃などにより植物などの活動が鈍る、土壌有機物の分解が進む、森林火災が増える、などが原因らしい。

変動幅は非常に小さい ここで問題になっている変動幅はとても小さいことにも注目しよう。CO2濃度が全体として350ppm から 720ppm に変化すると、温度が2.8度(予測幅、1.7-4.4度)上昇する(IPCC第4次報告書第1作業部会要約、A1Bシナリオ)ことが問題にされている中で、この図では、CO2濃度の 0.5ppm 程度の微小変化幅と、温度の 0.2度 程度のゆらぎとの関連を問題にしているのである。

別の例で誤りを指摘しよう 別の例で説明してみると、分かりやすいだろうか。ある国の経済統計で、長期にわたる経済規模の拡大(GDPの上昇)にともなって、家計支出が増加するという因果関係があるとしよう(多分そうだろうが)。ところがその増加傾向に、細かい波動(リップル)が乗っている。そこで、GDPの成長曲線から、平均的な成長傾向を差し引き、細かなリップル部分だけを取り出してみる。家計支出についても同じようにする。短期的に変動するわずかなリップル部分が抜き出されてきた。さて、その変動部分同士を比較してみたところ、家計支出の増減の波動が、経済成長の波動に先行していたことを見いだした、としてみる(そんなことがあるかどうかはともかく)。仮にそのような現象を発見したからといって、それをもって長期にわたる経済成長の原因は家計支出の増加に起因すると結論できるだろうか。槌田はそのように結論しているのである。そのような傾向が仮にあるとしても、それなりの別の要因があるのであって、全体としての長期にわたる経済成長と家計支出の因果関係とは別に考察されるべきだろう。温度上昇とCO2濃度との関係を論じる場合も同じである。

 そんなおかしな議論を、槌田は、知ってか、知らずしてか、分からないが堂々とやっているのである。

始末の悪い自称「物理学者」 「物理学者」を自称する人は始末が悪い。そう称する人は、物理学は学問の頂点にあると思っている。あるいは裁判官のような地位にあると思いこんでいる。そういう高みから、世間の誤りを正そうとする。現在の学問分野は高度に専門化しているため、他分野のことを十分熟知し、その分野の専門家と対等に議論することはなかなか難しい。物理の基本的なところに立って、あらゆる事柄にいいパースペクティブを持っている天才的な人は稀にはいる(ファインマンとかフォンノイマンとか)。自分の専門分野で卓抜な成果を上げていればいいのだが、往々にして、物理学の周辺でウロウロしている人に限って、変なことをいうのである。

空が青いのは汚染のせいだって? 揚げ足をとるようだが、槌田は、この本の中で、なぜ空が青く見えるかという中学・高校生でも知っている程度の現象について間違ったことを書いている。空が青いのは、太陽光が空気分子によって散乱(レイリー散乱)されるとき、波長の短い青い光が散乱されやすいからである。それを槌田は、エーロゾル(空気中の微粒子、砂塵、煙、火山噴火など)による散乱だと説明し、ガガーリンの「地球は青かった」は、地球が美しいという印象を与えたが、地球が青いのは大気が汚れているからなのだ、という話に持ち込んでいる。彼の「ためにする歪曲」の一例だ。あるいは彼の物理の知識はその程度なのだろうか。

 もう一つ別の問題(コンピューター・シミュレーションについての誤解)を取り上げるつもりだったが、すでに長すぎるエントリになってしまった。今回はこれまでにしておこう。

同趣旨のプログエントリ 同じ問題を、もっと詳細に議論しているエントリがあることに気づいた。参照いただきたい。
槌田敦「CO2温暖化説は間違っている」を読む(1)
槌田敦「CO2温暖化説は間違っている」を読む(2)
槌田敦「CO2温暖化説は間違っている」を読む(3)
槌田敦「CO2温暖化説は間違っている」を読む(4)

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コメント

「工学のためのデータサイエンス入門」(間瀬茂 他著、数理工学社)に面白い記事がありました。少々長くなりますが、引用します。

p.121 コラム 相関関係と因果関係

民俗学者によれば、昔のあるアフリカの小国の王様の重要な役目は、夜明け前に今日も太陽が昇るように祈ることだったそうである。効果はあらたかであり、お祈りの後には必ず太陽が昇った。回帰分析の結果を解釈する際には、この話が決して笑い話では無くなる。
 ※ 中略
しかし回帰分析、そして相関係数は、二つの変数の間に数値的に密接な関連があるという「相関関係」を示唆するだけであることを忘れてはいけない。それが因果関係かどうかは、統計的結論ではなく解釈の問題となる。
 ※ 中略
統計学者Yuleは、時間とともに観測される時系列データ間に、しばしば無意味な高い相関が観測されることを注意し、1875年から1920年に至る時期の大英帝国の年出生率と、アメリカの銑鉄の年生産高との相関係数は-0.98(※注:非常につよい負の相関)であることを例にあげている。これは単に両者がともにその時期直線状だったという意味に過ぎない。


投稿: kazu | 2007/07/23 11:28

>「物理学者」を自称する人は始末が悪い。そう称する人は、物理学は学問の頂点にあると思っている。あるいは裁判官のような地位にあると思いこんでいる。

”物理学者を自称する人”にも色々な人がいると思いますがあなたは一括りにして論じていますね。乱雑な議論は物事の本質を見誤りますよ。

それから槌田という”人”に対して反論しているような文脈ですが、本来”説”に対して議論すべきです。
論者の勝手と言ってしまえばそれまでですが、そんな下らない事を公衆のネットでやる必要があります?

私はどの説が正しいのか分かりませんが、例え定説がある話題に関しても「定説だから」「多くの専門家が認めているから」といった理由で「こっちが正しい」という判断をする事は浅はかだと思います。
限界はあるにせよ根拠を知り、自分なりの理解をする事が必要と思います。あなたはどうですか?

投稿: てっけん | 2011/06/12 18:21

私は科学的に正しいかどうか実際のところは「わからない」が正しいと思います。地震についてもそうだったけど、人類の調査なんて地球の生涯からすると本当に一時に過ぎず、その一時で地球がどうなるこうなるという話をするほうがナンセンスだと思う。現温暖化は地球にとっては私達の呼吸の一時にしか過ぎないのだとしたら今は吸っているところ。温まっていっているとしてもおかしくないのでは?CO2は私達人類も吐き出す物質。少なくとも放射能を放出するよりはいいのではないかと本能的に思います。

投稿: ヒロミ | 2011/07/13 12:52

でもこれ結局CO2温暖化説は間違っている事に対する指摘なだけでCO2の人為的排出が地球温暖化の支配的要因の説明になってないですよね。

投稿: banr | 2012/04/16 21:53

banr さん

5年前に書いたエントリを読み,コメント、ありがとう。

そう。これは槌田の論拠が間違っていることを指摘することに絞って論じました。

「CO2の人為的排出が地球温暖化の支配的要因」であることは、私が改めて書くまでもなく、多くの専門家が説明していましたし。その後、数多の懐疑論は科学の証拠によって論破されています。

投稿:  アク | 2012/04/17 09:49

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» 討論会の感想 [温暖化いろいろ]
後日記:「エルニーニョとCO2濃度の変化の関係グラフの読み方」もご覧ください。 (初出:06年2月20日17時03分) 2月18日(土)にあった、懐疑派の中の槌田敦氏と反懐疑派の東北大明日香氏が企画したバトルのような討論会に、僕も参加してきました。 槌田氏の論に対して、かなりな反論が盛りだくさんに出されましたが、結局はああいえば上祐的に言い逃れられてしまって、相手方には楽しかった、またやりたい、的な感想をもたれていたようです。  途中で僕が飛び入り参戦したときにパソコン上で紹介しましたが、槌... [続きを読む]

受信: 2007/11/30 11:14

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