« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »

2007/07/26

非難ばしご

 居酒屋で飲んでいた。ふとわきを見ると、ドアがあって「非難ばしご」と大きく書いてある。なんだかおかしい。酔いが回った頭でボヤーと考える。ホッピーわり焼酎という安酒を、注ぎ足しを追加までして、かなり飲んでいた。「非」はいいとして、「難」がおかしいのかな。いやいや、待てよ、「避難」ではないのか。それとも「非常」かな。それに、「はしご」とは何だ。ドアを開けると梯子があるのか。ビルの窓から地上に降りる、縄ばしごかな。いやだな。まてよ、ここはたしか地下のはずだ。まさか縄ばしごではあるまい。ドアを開けると、木製の梯子でもあって、地上に登るようになっているのか。

続きを読む "非難ばしご"

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007/07/20

真鍋モデルを貶める槌田(『CO2温暖化説は間違っている』の間違い、その2)

 地球温暖化が人為起源のCO2によることが、多くの科学者のたゆまぬ努力によって、次第に明らかになった来た研究史の中で、金字塔ともいうべき画期的な業績がいくつかある。ハワイ・マウナロア山でのキーリングのCO2濃度観測などがその一つだが、コンピューターを使って気候予測をする分野で画期的な仕事をしたのは、日本人の真鍋淑郎(プリンストン大学)であった。1967年、真鍋が共同研究者と書いた論文について、ワートは『温暖化の〈発見〉とは何か』の中で(143頁)、

 温室効果による温暖化のモデル計算が、専門家に理にかなったものだと見られるようになったのは、このときが初めてのことだった。温暖化に本質的な要因が十全に計算に取り入れられたと認められたのだ。専門家の一人であるブロッカーがのちに振り返って言っているが、この1967年の論文こそが、「これ(温暖化)は憂慮すべき問題なんだと、私を確信させたもの」だった、と。【上記書の翻訳がこの部分はやや生硬であったので、原文から私訳】

 と書いている。この真鍋の業績について、槌田は『CO2温暖化説は間違っている』の中で、とんでもなく見当違いの批判をしている。そのことを少し詳しく検討してみよう。

続きを読む "真鍋モデルを貶める槌田(『CO2温暖化説は間違っている』の間違い、その2)"

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2007/07/18

槌田『CO2温暖化説は間違っている』の間違い

 著者・槌田敦は、異論を唱えるのが生きがいの人である。最近では地球温暖化問題での通説を攻撃しているらしい。地球温暖化が産業活動などによるCO2の増加によることがほぼ明らかになった、対策が急務だ、との気象学者たちの結論に異を唱えているらしい。またやっているな。無視してもいいのだが、この問題にずっと関心を持ち続けてきたものとして気になる。タイトルに書いた彼の著書(ここ)を取り寄せて読んでみた。案の定おかしなことがいっぱい書いてある。どこがおかしいか、きちんとした反論はすでに専門家によってなされている(たとえばここ、本エントリの末尾にもリンクあり)。私は、槌田の致命的な誤りを1,2取り上げて、一般向きに書いてみよう。

続きを読む "槌田『CO2温暖化説は間違っている』の間違い"

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2007/07/12

キスリング展を観て

070711kisling キスリングという画家をじつは知らなかった。絵画については、自分なりの嗜好を持っているが、全般にわたっての知識レベルは平均値のあたりである。読者の大多数も同程度ではないだろうか。新聞(朝日07/6/27、be版、水曜アート)で目にした「モンパルナスのキキ」(左画像)に惹きつけられた。大きな目、白い肌のウブっぽい顔が、赤のセーターと清楚なスカーフに包まれて感じよく描かれている。誰もが目を奪われるだろう。茨城近代美術館で開催されている「キスリング展」に関連しての紹介であった。その後、もっと前に「スエーデンの少女イングリッド」(下方に画像あり)が紹介されていたこと、地方版には「オランダ娘」が掲載されているのを見た。

 うれしいことに地元での開催である。さっそくというか、新聞掲載のほとぼりが冷めるのを待って、出かけてきた。地方の美術館のありがたいのは、入場者が少なく、ゆっくりと鑑賞できることである。大都市ではこうはいかないだろう。逆に閑散としている分、無遠慮な大声で、くだらない感想を言い合っているおばさま方が邪魔だが、順路を変えて、距離をとることができる。

続きを読む "キスリング展を観て"

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/07/08

ある食事会

 思慮深く、ていねいに用意され、和やかに、しかしきちんとすべきところは妥協のない食事会だった。表向きは懇談会だったのだが、じつは食事のほうがメインだった。意義深かった。そのように私は感じた。そのことを書いてみよう。

 井の頭公園に近い駅を降りるとすぐ閑静な住宅地に入る。先日知り合ったばかりの大学教授が、途中まで迎えに来てくれた。その温顔とともに招き入れられた部屋には、すでに何人かの若者が集まっていた。隣接するキッチンでは、教授夫人とこの日の食事会の主宰者(旧約聖書学者のMさん)が、ほとんど準備を終え、前菜を大皿に盛りつけていた。この主宰者が、訪れた教授のお宅を場に、若者たちとの食事会を開催しようとしていた。

続きを読む "ある食事会"

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007/07/03

ハーバーマスのローティへの悼辞から

 リチャード・ローティが亡くなったことについては、先にちょっとだけ書いた。75歳での死。思想家として、もっと長く生きて、語り続けてほしいと思ったが、彼はすでに語るべきことは、語り尽くしたのだろうと、そこでは書いた。しかしここ何年か、私が物事を考えるさいの「導師」ともいえる存在だったこの人の死について、改めて何かを書いておきたいという気になった。そう試みているうちに、私が駄文を書くよりも、ドイツの思想家ユルゲン・ハーバーマスが書いている追悼文の抄訳と紹介をしたほうがよかろうということになった。以下がそれである。

 すい臓癌だったという。そのことをすでに1年前に彼は知っていた。思想的に同志でもあり論敵でもあったハーバーマスに、そのことを電子メールで打ち明けていた。ハーバーマスは、彼に対する追悼辞 "Philosopher, poet and friend" の中で、そのときのメールを紹介している。ローティは、スタンフォード大学教授を辞めることにした。戦争好きの大統領に腹が立ってせめてもの抗議のつもりだと、その趣旨をいつもの辛辣な口調で綴ったあと、突然、思いがけないことが書いてあった。

「おお、デリダを殺したのと同じ病気にかかってしまった」と。
そして「この種の癌は、ハイデガーの読み過ぎが原因よ」

と娘からいわれたと冗談ぽく付け加えられていた。ハイデガー好きの方、ご用心!

続きを読む "ハーバーマスのローティへの悼辞から"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/07/01

雨の降らない梅雨、つい毎日ウォーキング

 朝、歩きに出る。私の唯一の健康法だ。梅雨である。明日は雨になるかもしれない。今日歩いておこう。そんな日が続いて、ほかの季節よりかえってせっせと歩いている。連日歩くと、足腰に疲れがたまる。ときどき一日休みを入れるのが普通だ。しかしこの時期は難しい。今日休み、明日雨で、2日続けて休み、とはしたくないからだ。今年の梅雨はおかしい。天気のブレも予報のハズレも例年より大幅なのではないか。水戸では、一昨日は蒸し暑く、はじめて冷房を入れた。昨日は寒くて、下着を着たり、靴下をはいたりした。

続きを読む "雨の降らない梅雨、つい毎日ウォーキング"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »