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2007/07/01

雨の降らない梅雨、つい毎日ウォーキング

 朝、歩きに出る。私の唯一の健康法だ。梅雨である。明日は雨になるかもしれない。今日歩いておこう。そんな日が続いて、ほかの季節よりかえってせっせと歩いている。連日歩くと、足腰に疲れがたまる。ときどき一日休みを入れるのが普通だ。しかしこの時期は難しい。今日休み、明日雨で、2日続けて休み、とはしたくないからだ。今年の梅雨はおかしい。天気のブレも予報のハズレも例年より大幅なのではないか。水戸では、一昨日は蒸し暑く、はじめて冷房を入れた。昨日は寒くて、下着を着たり、靴下をはいたりした。

 夏は朝、冬は夕方歩きに出る。近くの県庁の敷地周りを、速歩で約45分、一回りしてくる。コースは変えない。朝、歩きに出る時間が、このところめっきり繰り上がった。歳とともに、早く目が覚めるようになった。このところ4時半には目が覚める。ストレッチをしたりして、5時過ぎには歩いている。

 歩くとき、イヤホーンでFM放送を聴きながら歩く。ずっと使っている音源は、NHK-FMしか受信できない。歩く時間が早まったのにつれて、5時台の番組になじんできた。邦楽である。チントンシャンを聞きながら歩くのも妙なものだ。以前は6時から始まる「バロックの森」を聴き慣れていた。秋から冬そして早春までは、夕方のミュージック・プラザを聴くことになる。真冬は4時以前のパート・ワン・クラシック。春になるとともに、4時以降のパート・トゥー・ポップスへと移行する。歩きながら聴く番組が、私にとっての季節感の一つだ。

 連れ合いもいっしょに歩きに出ることが多い。ただ、いっしょに歩くのは、出かけて200メートルぐらいまで。歩幅もペースも違う。それ以後は別行動になる。この2,3日、彼女は梅の実を拾って帰ってくる。水戸は梅の名所である。県庁の構内のあちこちに梅がある。早朝拾いに来る人が多いという。彼女にとっては拾いものが季節感のようだ。秋には栗だったり、カラスウリの実だったり。時には野の花、落ち葉さえ採ってくる。

 小石を握って歩く。これはずっと昔、ウォーキングの本に薦めてあった。腕を振って歩くのがいい。手ぶらより、何か重みのあるものを持った方が、振りが自然にできる。いちばん安直なのは、そこらに転がっている石である。適当な重さで、握った手にうまくフィットする丸みのある石がいい。今のはもう十年も愛用している。右手のほうを少し重くするといいようだ。バーベルを持つて歩く人がいる。かつて試してみたが、私には重くて負荷がかかりすぎる。100-150グラムで十分なのである。

 今年ドイツでよく見かけたのは、スキーのストックのようなものを持って歩く姿だ。ノルディック・ウォーキングといい、日本でもある時期導入されたが、あまりはやらなかったようだ。野山ならともかく都会の道をこれで歩くのはさまにならないのだろう。しかし、老人には転ばぬ先の杖としていいかもしれない。

 帰り道、小さな神社の境内を通る。そこの神殿から正面の鳥居まで、敷石の上を、膝を大きく上げて歩く。小学生の頃「歩調とれ!」の号令のもと、軍隊式の行進をさせられた。あれである。片足を大きくあげたとき、バランスがうまくとれなくなっている。それを矯正するのと、運動負荷を増やすことが目的だ。ひと気のほとんどないローカルな神社の境内だからできる。人がいたらやらない。われながら漫画チックな歩き方だからだ。

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