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2007/07/12

キスリング展を観て

070711kisling キスリングという画家をじつは知らなかった。絵画については、自分なりの嗜好を持っているが、全般にわたっての知識レベルは平均値のあたりである。読者の大多数も同程度ではないだろうか。新聞(朝日07/6/27、be版、水曜アート)で目にした「モンパルナスのキキ」(左画像)に惹きつけられた。大きな目、白い肌のウブっぽい顔が、赤のセーターと清楚なスカーフに包まれて感じよく描かれている。誰もが目を奪われるだろう。茨城近代美術館で開催されている「キスリング展」に関連しての紹介であった。その後、もっと前に「スエーデンの少女イングリッド」(下方に画像あり)が紹介されていたこと、地方版には「オランダ娘」が掲載されているのを見た。

 うれしいことに地元での開催である。さっそくというか、新聞掲載のほとぼりが冷めるのを待って、出かけてきた。地方の美術館のありがたいのは、入場者が少なく、ゆっくりと鑑賞できることである。大都市ではこうはいかないだろう。逆に閑散としている分、無遠慮な大声で、くだらない感想を言い合っているおばさま方が邪魔だが、順路を変えて、距離をとることができる。

 さて、このキスリング、何とも印象がバラバラなのである。静物はセザンヌ風。風景画には、セザンヌの影響も、アンリ・ルソー風も見られる。部分的にはキュービズムもあるが、それは若い時期だけのようである。得意にしたのは人物画、それも女性像らしい。「キキ」をはじめ、いいものがいくつか目に付いた。リアルに描くというより、その人の美を浮き立たせる描きかたをしている。画家本人は気に入らなかったらしいが、下の画像の「少女イングリッド」など、とてもいい。肖像画としては、人物に生気が乏しく、幻想的に描こうとしたと思われるが、大胆なコスチューム、手に持つ一輪の花、バックの微妙な色合いなど、見ほれてしまった。同じ肖像画でも、場合によっては、内面的なものを描き出そうともしている(「マリー・ロンランサンの肖像」)。ほかに、篭に山積みされた魚の山を描いた「魚(ブイヤベース)」も、色とりどりの花をびっしりと重ね描きした「花束」も見事だった。

 いったいこの画家は、どんな人だったのだろう。展覧会では、モディリアーニと親交があり、彼の葬儀のいっさいを面倒見たとか、ユダヤ人であることを明白にするファーストネームの「モイーズ」を使わず、姓の「キスリング」だけを用いたとかの解説が標示されていた。絵もさることながら、画家自身に興味をひかれて、目録を買って帰り、解説のいくつかを読んでみた。手元にある世界名画全集の類も読んでみた。この人の生きざまも、当時のパリの画壇の雰囲気なども興味深い。私見を交えて無責任に書いてみよう。

 彼はポーランド出身のユダヤ人である。クラクフで育ち、19歳のとき(1910)、パリに出ている。クラクフへ行ったことがある。ユダヤ人街のあとも見た。スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」の舞台といえば、ああ、あの場所かと思い出される方もあろう。私のHP本館にも、旅の記録を書いてある。(『クラクフへ』、『クラクフのユダヤ人街と中央市場広場』

 印象派が始まって以来、パリは国際的な成功をめざして世界中の画家志願者が集まる場所だった。その中で、キスリングはうまく芽を出したようだ。モンマルトルや、モンパルナスに集まり、才能と個性でなんとか世に出たいと、新しい作風を競い合う。あるいは大家の作風を学ぶ。互いの作品を見せ合い、批評し合う。他方、貧窮と見通しのない絶望感から、酒と女の退廃的な生活へのめり込んでいく。そんなボヘミアンな連中に混じり合いながらも、キスリングはいささか違っていた。たぶん生きる知恵を持っていたのではないか。なにより売れる絵を描いて成功することだ。芸術的な高みをめざすこともさることながら、とりあえず生きることが大事だ。じじつ彼は成功した。ある程度裕福になった。社交的で面倒見のよかった彼のアトリエは、仲間の集まるサロンとなり、一時はリーダー的存在だった。モディリアーニがやっと世に出はじめたのに、酒と過労で健康を損ねたとき、病院に担ぎ込んだ。治療のかいなく死んでしまったとき、費用を出して弔ったのも、キスリングだったという。その後のモディリアーニの高い評価と、キスリングの現在のそれとを比べてみると役回りの皮肉さを感じる。

 20世紀前半、パリで活躍した画家たちをまとめて「エコール・ド・パリ(パリ派)」と呼ぶ。狭い意味では、フランス人ではない、外国から来た画家たちだけをさすらしい。アメデオ・モディリアーニ(1884-1920、伊、ユ)、モイーズ・キスリング(1891-1953、ポ、ユ)のほか、有名なのは、レオナール・フジタ(藤田嗣治、1886-1968、日)、マルク・シャガール(1887-1985、露、ユ)、シャイム・スーティン(1893-1943、リトアニア、ユ)らである。括弧の中に出身国を記したが、「ユ」と記したのは、ユダヤ人のことである。フランス人ゆえにこの中に入れない同時代画家としては、モーリス・ユトリロ(1883-1955)、アンリ・ルソー(1844-1910)、マリー・ローランサン(1883-1956)などがいる。ピカソやマティスは、同時代人とはいえ、すでに巨匠であった。

 パリは、自由を象徴するような国際都市とはいえ、外国人、特にユダヤ人に対する差別が歴然とある町だった。私は、マダム・キュリーの伝記を通して、彼女がいかに差別にさらされたかを知っている。彼女はポーランド出身だということで、ユダヤ人ではないのにかかわらず、反ユダヤ的世論にさらされ、二度目のノーベル賞を妬まれ(返上せよとの世論)、学士院会員選挙で凡庸な候補に敗れた(新聞紙上などで激しい攻撃があった。当時は女性であることも不利であった)。画壇にも歴然とした差別があったという。パリで定期的に開催される代表的な展覧会の一つ「サロン・デ・ザンデパンダン(アンデパンダン展)」では、外国出身者は、それぞれの出身国別の部屋(たとえばキスリングであると、ポーランドと明記された部屋)に展示することになっていた。彼はそれに反発し、この展覧会に出展することはなかったという。

 彼は、フランス人になろうとした。第一次大戦に参戦し、負傷までして、フランスのために戦った。そのおかげか、フランス国籍を獲得する。やがてレジョン・ドヌール勲章ももらった。そして画業の成功を通してフランス社会に溶けこもうとした。そのあたりに、華美を追求した彼の絵が、その裏になんとない憂愁を秘めている理由があるのではないか。しかも、それが不思議な魅力を醸して、パリ社交界で受けたというのも皮肉といえよう。

070711ingrid キキという名の伝説的なモデルがいる。フジタ、ユトリロ、モディリアーニ、スーティンらのモデルであったし、写真家マン・レイのモデル/愛人として知られている。歌手・女優としてもてはやされたこともあった。私生児として生まれ、貧乏暮らしをしていた彼女を、最初に見いだしたのがキスリングなのだそうだ。このエントリの冒頭画像の作品のほか、裸像など、彼女の絵を多く描き、それが彼女の魅力が世に知られるきっかけとなった。彼の絵のおかげで、彼女は一躍時代の「セックス・シンボル」となった。それとともに、キスリングのところには、女性を描くのが得意な画家として注文が殺到したという。女優、歌手、やがて映画俳優などを次々に描いた。個人的な肖像画の注文も多かったらしい。すぐ上の画像「スウェーデンの少女、イングリッド」も、そのような注文に応じて描かれたものだ。そんな事情が、画家としてのスタイルを確立することをかえって邪魔したのではないか。

 ドイツにおけるナチスの勃興、そして第2次世界大戦へ、という流れの中で、ユダヤ人であった彼はアメリカに逃れる。それによって、彼の時代は去った。大戦後パリに戻ったが、もう時代はすっかり変わっていて、彼の栄光は二度と戻らなかった。時代が経ってみると、彼の作品は、ほとんどが個人の所蔵品であって、公的な美術館のコレクションになっているものはあまりない。今度の展覧会で見ることのできる63作品は大部分が、ジュネーブのプティ・バレ美術館の所蔵品で、個人コレクションに由来するものである。

 ふつう展覧会の目録の解説は、画家と展示作品を褒め称えるものだが、今回の目録でパリ市立近代美術館学芸員のひとりが書いている解説は、ずいぶんシビアな言葉で綴られている。そしてその最後には

 彼には新しい絵画的言語で新境地を開くようなことはできなかった。ヒューマニズムの芸術、感情によって繊細さを取り戻した古典主義への扉をわずかに開いた、キスリングの描くメランコリックな子どもたちや悲しげな孤児は、彼を、今日誰もが認める巨匠とするまでには至らないのである。

と。これに対して、日本のある美術館の学芸員は、この種の美術評論にありがちの難解な表現でこう述べている。

 薔薇の匂いのように、かぐわしくも美しく明晰な空間と色彩、そして味わい豊かな作品との具体的な美的体験のただなかで、一瞬自分自身の文化の過去が面影のように二重写しになるのである。私たちは、キスリングの絵画の香気に触れることで、深い部分で私たち自身の魂の古層を無意識に思い起こしているのだ。色彩麗しい絵画の匂いで、記憶の抑圧とかさぷたが剥がされるのである。もう一度自らの意識の深い地層を掘り起こし、個人として誠実な生を生きなおしてみようという勇気を絵画が与えてくれる。おそらく、私たちがキスリングの絵画を理解できるのは、私たち自身が子どものころから持っている「ある種の態度、英雄的意志、そして理想」(キスリング)を想起できるが故に他ならない。

 たしかにキスリングの絵画には、独特の香気がある。それから何を思い出すか。「記憶の抑圧とかさぶたが剥がされる」ほどのことはないにしても、触れてみる価値はありそうである。水戸での展覧会は7月20日で終わるが、そのあと、横浜、北九州、府中、名古屋と今年いっぱい全国巡業をするようだ。

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