政治家と言葉の力
安倍首相のスピーチで目立ったのは、「しっかり」の連発、意味もなく語気強くいわれる「・・・において」、そして文末の尻つぼまりの力弱さなどであった。首相として言語表現が拙劣だった。政治家にとって言葉が生命のはずである。欧米の政治では当たり前のことだが、日本の政治家にとってはスピーチというのは、二の次、三の次である。小泉首相にしてはじめて、人々に向かって説得力のある言葉で語りかけることこそ政治家の大事な資質であることが、実例をもって示された。継承した安倍首相は、その点で資質を欠いていた。小泉前首相が、後継者として安倍を育てたとき、それを見抜けなかったのか。あるいは自分のあとに、対照的に言葉の拙劣な人を立て、自分の首相ぶりを引き立てさせたのか。
国民は安倍首相の言葉の拙劣さにあきれた。選任した人たちのもろもろの不始末が不運だったとはいえ、そのたびに言い訳する口ぶりが、いっそう言葉の拙劣さを浮きあがらせた。参院選後退陣せずの言明は、何をいっているのか意味不明だった。じり貧になり野垂れ死にするだろうと、誰の目にも予想された。たぶん自分で自分が歯がゆかったのではないか。それが気力を失わせ、健康を損なわせたのだろう。あれこれ問題があったとはいえ、退陣に追い込まれた不人気の原因は、言葉の力の欠如だと私は思う。
政治の主舞台が、ボス政治家間の陰でのやりとりや腹芸であった時代はとっくに過ぎた。国民に向かって説得力のある言葉で政策を語りかけることが、政治家のもっとも大事な仕事である。言葉の力は、言葉の巧みさではない。言葉を発する前段階として、国の進むべき方向を見定め、当面の問題の本質を考え抜くという知的作業が必要である。その作業が深くなされてこそ、説得力のある言葉が生まれる。
政治におけるテレビの役割がますます大きくなっている。そこでは言葉の力がものをいう。自民党総裁の後継争いで主役となった当の二人が、流れがほぼ見えてきたかという段階の一昨夜(9/14)、テレ朝の古館の番組に登場したのには驚いた。今朝(9/16)の日曜午前の政治番組でもあちこち登場したようだ。どこの局でもキャスターは同じことを問い、同じ答えが繰り返されるので、すでに見飽きてしまった。さて、この二人は言語能力についてはどうか。麻生はうまい。しかしストレートではなく、ひとひねりし、皮肉っぽく語る。その口調が傲慢な感じを与えるのがどうか。福田は実直な番頭さんのものの言い方であるが、トップに立ってどう変わるか。ちょっととぼけた味は面白い。
最近テレビに登場する政治家の中で、考え深さと的確な言葉遣いで見直しているのは、石破茂である。単なる防衛族のひとりと思っていたが、さまざまな問題に、定型に依らず、自分なりに考え抜いた言葉をもっている。諄々と説く語り口も好ましい。言葉の軽さが目立つ自民党若手の中での逸材と見る。次世代の自民党リーダーとして期待がもてる。
民主党にも言葉という点で期待できる人がいる。だめな方からいえば、鳩山由紀夫である。この人は「思い」という女学生でもいいそうな言葉を使いすぎ、言葉に力がない。菅直人は盛りが過ぎた。老練の味が出てきてよさそうなものだが、同じ調子で語り続けている。小沢は言葉は少ないが、力がある。原理原則に立ってものを考え、妥協をよしとしないところが私は好きである。小沢が古い自民党的体質の典型のようにいわれるのは、どうしてなのか。自民党的体質と対極にある人のように思うが。
若手では、岡田克也は堅実なもののいい方がいい。前原誠司は、言葉はさわやかだが、自民党の古い政治家と同じく「まさに」を連発するところが気にくわない。言葉に力のない政治家ほど「まさに」で言葉に勢いをつけようとしがちだ。坊ちゃん顔だが、このところたくましく、喧嘩上手になってきたのは、原口一博である。近頃売れっ子の長妻昭は、地道な調査力に裏打ちされ、舌鋒じつに鋭い。反論されても、たじろがず巧みに言い返す。ものごとをじっくり考え抜いているからこそできることだ。しかし現状ではリーダーというより、有能なテクノクラートというイメージである。
書いているうちに、いつの間にか、政治家の個人評になってしまったが、いいたかったのは、政治家と国民をつなぐものとしての言葉の重要性と力強さのことであった。政治家が言葉を大事にしていないとすれば、それは国民のほうにも責任がある。この程度の言葉で説得できると、国民が馬鹿にされているのだ。言葉のつたない政治家でもトップに立てるのは、国民の側に政治家の言葉の力を見抜くだけの力が欠如していることの表れでもあろう。
今回の安倍首相の無様な退きぶりは、外国で失笑を買っているという。日本の政治のレベルはその程度だと甘く見られている。日本人の政治意識の水準は、先進国の中で、非常に低いとかねがね思っていた。今回のことで、やはりというか、聞きしにまさるというか、ともかくひどいものだと烙印を押されよう。本エントリの主題に関連していえば、言葉とそれを裏打ちする知的能力の点で、日本の政治家も日本人一般も、まだまだであると国際的に評価を下げたことになる。低レベルの言葉の掛け合い、罵り合いから脱して、政治のことを現実的で深みのある言葉で論じ合う。表面的なレベルを超えて、政治への関心を深く持ち続け、政治家の言葉を吟味する習慣を持つ。それが何十年も、百年も続かなければ、日本の政治レベルは向上しないだろう。だが、心配なのは、若い世代ほど、批判的知力を欠き、単純に軽薄に黒白を決し、多数に依り頼もうとする傾向が見られることだ。
今回の安倍退陣で学ぶべきことがあるとすれば、政治における言葉の力のことだと思う。
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